
thank you伝道師 ナースりん

日常の至る所で、
悲しいことに…地獄言葉がはびこっています。
テレビ

日常の会話の中から、
時には私の心の中からも

コメンテーターの言葉を聞いていると、
そういう立場上、
何かを言わなくちゃいけないことは分かりますが、
何か失敗や汚職をした場合…
それ自体は褒められた行為ではありません。
また記者会見に臨む関係者が、
名誉・権力などに左右されていないとは
言い切れません。
実情はでどうであっても、
してはいけないことは、
大人としてきちんと振り返ってほしいと願います。
どこがいけなかったのか…
これからどうすればいいのかを、
自分自身や自分たちの組織の中をどうしたらいいかを
良心があるなら、
良心に従って考えてもらいたい。
子供のいる方なら…子供に胸張って言えることなのか
原点に戻って考えてほしいと願ってます。
メディアであれ、
対個人であれ… 有言実行

改革が必要であるなら、
本気で改革に挑んでもらいたい。
これは…今朝の全柔連の会見を見ていて
感じたことなのですが…。
コメンテーターとして、
不特定多数に伝える立場として、
「やると言ったからには、全力で挑んでほしい」と、
そう言う人たちは、
実に少ないですね。
本当にできるのか?
「できない」「資格がない」
…ない、ない、ない!!!
できないことを前提にコメントしているなぁ…と、
悲しくなりました。
このような情報をただ聞いていると、
改心はできないものなのかも知れない…とさえ、
思えてきます。
結果は…その人たちがどんな取り組みをし、
どのように情報を提供して、
結果が我欲に基づいたものだったのかどうか
私達が見極める責任があると思うのです。
罪を憎んで、人を憎まず

誰にでも魔がさすことはあります。
組織ぐるみで隠蔽された世界で、
身動きがとれず…もがくよりも楽なのは、
朱に交わってしまうことですよね。
人間は弱いんです。
それでも…一度は信じてみてもいいのかなって、
その代わりに…
私達はそれを記憶の彼方に葬るのではなく、
その後どうなったかを
追求していくくらいの責任を
持っていいのではないかと思いました。
「この人間には資格がない」
「今までこんなことをしてきて改革ができるのか?」
そんなカンタンに
コメントしないでほしい。
やるからにはしっかりやってほしい…
僕たちもこれからも見守っていく義務がありますね…
そのくらいのコメントが
出てきてもいいのではないでしょうか

メディアに出る者の責任として、
希望のある言葉や、
相手を応援する言葉があってもいいのではないか…
そんな気がします。
悪いこと、間違ったことをしたら
中傷して、叩き潰して…
それで何になると言うのでしょうか?
その縮図が、
日常の中にたくさんこぼれています。
耳にまとわりついた否定形が、
いつも心に残っているから、
否定して、相手をけなしてしまえばいい。
もちろん、メディアだけのせいではありませんね。
こんな言い方だと更正も何もないよね…
そういう自分なりの考えを持って
情報を見聞きしていかなければ、
私達は、相手を信じることすらも
忘れてしまうでしょう。
ルールに反すれば…自分を振り返る機会を
与えてあげてほしい。
その人が…自分に気づいて改革或いは更正できたとき、
やっぱり人間は気持ち次第で
なんでもできるんだ。
正しいと思えることを、
心にずっと消さずに信じていくことが、
組織の腐敗を、
どこかでSTOPできる可能性を持っていると
そういうことを
きれいな言葉で伝えてほしい。
希望を伝えてほしいな…
そう思えてなりません。

しかし、この情報社会で…
風潮は作られてしまいます。
その責任を、メディアに関わる方々は
意識しているのか…いささか疑問です。
ネット世界で「炎上

メディアも、本でもなんでも…
地獄言葉を並べ立てるだけが脳じゃないでしょう

とても悲しいコメントだな…と思えました。
誰にでも可能性はあるんだよ。
誰だって間違えることがあるんだよ。
みんな弱い人間なんだよ。
きれいな言葉で、
希望のある言葉で…
この世界を彩っていってほしいですね。
そして、小さなコミュニティの中では私達が、
意識していきたいことです。





