東洋医こと内海聡のブログと匿名「コメント」の紹介 | キーサン日記

東洋医こと内海聡のブログと匿名「コメント」の紹介

 茨城県牛久市で「牛久東洋医学クリニック」の院長をしている内海聡という医者がいます。彼がブログをやっているようですが、残念ながらあまり面白いものではありません。ですが、ときどき、「コメント」におもしろいものがあり、今回それを紹介したいと想います。匿名「コメント」なので、どういう人が書いたのかは分かりませんが、内容はおおむねまともだと思います。内海聡もこのような「コメント」を読んでまじめに勉強したらいいんじゃないか、と老婆心ながら思っています。

 しかし、バカ専門家の医者は、どうして自分のことしか考えられないのでしょうか?自分が誰のおかげで大金が稼げて、飯が食えているのか、という基礎基本のことが全く解っていないようですね。

 

 私自身はあえてコメントはいたしません。疲れていてしんどいですから。

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誤診という言葉について

 
巷や前関わっていたHPでは、「誤診」という言葉が流行語の域にまで達していたように思われます。しかし心療内科や精神科の領域にそもそも誤診という言葉が存在するのか?は常につきまとう疑問といえます。確かに明らかな誤診と呼ぶべきケースは存在するのですが、難しいケースの場合、明らかな誤診のケースは数少ないのです。それはあとから重篤な症状が出てくることも確かにありえるし、それぞれの医師が全く別の診断体系をもっているからです。例えば区別がつきにくいものとして発達障害か統合失調症か、解離か統合失調症か、気分障害でもいろいろあるがACとだけつける人もいるし、挙げればきりがないでしょう。そもそもACは教科書的病名ではないので、そういう言葉を厳密に使わない人もいれば、状況を理解させやすくするために第一病名とする人もいるかもしれません。これらをどちらであると簡単に断言できる人のほうが本来危うい医師であり、患者側としても、ある医師の言だけを尊重するようになったら、これはもう妄信としかいえません。
(中略)
発達障害の大家神田橋條治氏は、解離と統合失調症は合併するといっています。愛媛の笠陽一郎氏は発達障害と統合失調症は絶対に合併しないといっています。気分障害があった時に、先天的要素は全く無視してACのみだという医師もいました。同じく発達障害の大家、杉山登志郎氏の教え子が診ている患者にセカンドオピニオンする機会もありましたが、その病名は発達障害に伴う統合失調症(急性精神病)でした。最後のケースの矛盾については各自調べていただきたいですが、一言でいえば皆バラバラなのです。
HP活動になにかしら関係していたこの人たち、しかも大ベテランで各地で大家でもあるこの人たちでもこれだけ違う。であれば市井のクリニックや病院では、それこそあらゆるケースがバラバラなのは必然であるといえます。
(中略)
これらの問題はこの先も、精神の何かを数値化できたり検査化できない限り永久に続く問題でしょう。そして有用な検査などが実現する可能性さえ低いといわざるを得ません。やはり心理検査などは、科学性や客観性に乏しい面が否定できませんし、かといって科学的検査は全く追いついていないのが現状だからです。また精神状態は常に変化するものですから、診断名も状況に応じて変化していきます。診断書に定期的病名の見直しが載っていることもほとんど忘れ去られています。DSMやICDは商業ベースで作られたものであり、従っていれば万人が精神病になってしまいますし、かといって全否定できるものでもありません。簡易的な診断という意味で役に立つのは事実だからです。このような状況下で誤診という言葉を使ったところで何も本質的解決には結びついていないように思われます。

私自身はこの言葉の代わりに過剰診断という言葉を使っていました。観念的には内科、外科的な感覚であり、重い病気は皆嫌ですからできるだけ避けるように、しょうがないし周囲も納得できるから少しずつ重い病名をつけていくということになります。しかしこの観念は精神科医にはあまりありません。重い病気をできるだけ早くつけたほうが医師は楽だし、薬も出しやすいし、囲い込みにも成功しやすいからです。これらの行為を批判するにあたり、誤診という言葉はやはり的外れではないのか、もっといえば過剰診断という言葉も的外れかもしれません。こういうことをする医師は確信犯的なものがあり、まともな精神科医というのは常に病名に悩んでいるもの、つまり誤診という言葉を使えば、誤診を同一患者に繰り返すものではないかと思うからです。
(後略)
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匿名「コメント」
 
No title
東洋医さんは、誤診の問題点を何も分かっておられないようですね。
 
統合失調症という病気は、世界中どんな人でも、100人に1人かかるといわれていて、精神科医にとっては、内科や小児科が「風邪ですね」と診断するくらい、無難な診断名です。
そして、この病気と診断していれば、ほとんどの向精神薬を使用することもできますし、症状が悪化したり、薬物性の精神症状が出たりしても、誤魔化すことが容易です。
 
まず、この病気はカウンセリングが効果がないということが言われているため、患者の話を聞かなくてすみます。
保険適用内で診療している場合、カウンセリングは、診療の回転率を下げる厄介な問題です。5分間診療があたりまえですが、1秒診療というのもあります。診察室に入ってすぐ出されます。そして薬を処方されて終わりです。
統合失調症ではない人にとっては、症状や悩みを医師に伝える時間が必要
ですが、統合失調症と診断してしまえば、効果がないため、その必要性はなくなります。
 
次に、インフォームドコンセントの必要性も無くなります。
患者は統合失調症と診断されますと、妄想があり、まともにコミュニケーションがとれないと判断されていますので、インフォームドコンセントの必要もなく、作用や、副作用などを聞かされないまま、強い薬をどんどん処方されるようになります。
本人も、病気の症状なのか、薬の作用なのか、分かるには10年以上かかる場合も、よくあります。
精神科医も、処方のまずさをを誤魔化しやすくなります。
 
そして、統合失調症と診断されている場合は、精神科医の診療や、処方に重大な問題があるとして、それを相談するため、管轄する保健所などの、公共機関に行っても、門前払いされてしまいます。
妄想があると言われている人の話をまともに聞いてくれる人はいないでしょう。することと言えば、近場の精神病院に連絡して、おかしな人がいるので、対応してほしいというような事を言うだけです。これが証拠になり、強制入院させられてしまいます。ここまで来ると完全に人権侵害です。
こういう誤魔化しが蔓延しているため、精神医療はまともな医療ではないと言われている所以です。
 
家族内でのゴタゴタが起きていても、統合失調症と診断されている方、一人の問題にされやすいです。
父親や、母親の暴力、過干渉などで、うまく社会と関係が作れない人でも、親には何の責任もなく、統合失調症と診断されている子どもに、一人薬を飲ませることで、問題解決をはかろうとします。
当然、精神科医は、面倒な家族のゴタゴタに首を突っ込みたくはないので、詳細は聞きません。子どもに薬を飲ませておけば、見かけは治療していると言えますので、責任回避になります。
親にとっても、自分の非を認めなくてもよいので、責任は回避できます。
医師と親とが、WIN、WINの関係になるのが、統合失調症という診断です。
 
一度、統合失調症と診断してしまえば、患者を強制入院させる大義名分を容易に持つことができます。
閉鎖病棟内で、どんな薬を処方し、どんな扱いをしても、ブラックボックスの中です。
本人の異議申し立てによる救済制度があるといっても、外部の人は、薬で症状が悪化しているか、病気が悪化しているかは分からないでしょう。
しかも、強制入院されている分けですから、通常冷静ではないです。
そして、親や兄弟とも、いざこざがあり帰るところはありません。
よほどのことがないかぎりは、面会して外へ出すことは皆無です。
 
今では、画家として成功されたジミー大西氏も、自動車教習所の適正審査で、精神科受診をすすめられ、そのまま精神科に強制入院させられそうだったところ、明石家さんま氏が、なんとか医師を説得して、外へ出すことができたというエピソードがあります。
さんま氏が、熱心に医師を説得していなければ、ジミー大西氏も閉鎖病棟で長期入院、薬物治療で症状が悪化していた可能性は高いように思います。
 
そして一度この病気の診断がついてしまえば、社会復帰が容易ではないということです。
何事も、妄想とされてしまうと、まともに人とコミュニケーションはとれません。
妄想があると言われている病名だった人、しかも完治はしないとされている人を、雇用してもいいいと思う人はいないでしょう。
 
このように、精神科医にとっては、統合失調症であっても、他の精神疾患であっても、薬さえ症状にあっていれば、問題ないというような楽観視した気持ちでおられる方がいますが、実はのところは、全く治療法が違い、社会的な立場も変わってきて、人権の剥奪にもなります。
逆に精神科医のメリットは、診断の誤り、処方の誤り、治療の誤り、時間内で患者を多くさばくことができ、家族とのゴタゴタに首を突っ込まなくていいなど、誤魔化しがいくらでも利く都合がいい診断が『統合失調症』というとになります。
この診断にしていることによって、医師は安全、便利、容易を手にするとができます。
 
しかし、精神医療界で、笠医師という空気の読めない方が、「誤診、誤診」と言い出したので、これは面倒だということで、『発達障害』という病名が急速に流行しだしたということでしょう。
そこらへんなって、ようやく東洋医さんが、出てこられたということです。
 
東洋医さんは、医師でありながら、精神病院というものを知らなすぎます。各地の閉鎖病棟を見てまわって、長期入院中の方の声を聞いてまわれば、もう少し診断の重要性が分かると思います。
2011-01-14 16:00 URL 編集
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(註)この「コメント」に書かれていることは、現在の腐った精神医療業界の現実について書かれているのであって、決して分裂病(=統合失調症)の患者・病者が、この腐った社会でこのような『処遇』を受けても仕方がないということを書いているのではないということを念のため確認しておきます。
 いうまでもなく、本当の分裂病の病者はいるのであって、上の「コメント」のみでは、そのような病者の方が差別を受ける危険性があるので注意しておきます。

 

 我々が目指しているのは、上に書かれた「コメント」のような現実を破壊し、本当の分裂病の病者が真の意味で《野放し》にされ、そのままで生きていけるような真の《病者解放》の世の中にしていくために、今の社会を「破壊」することです。それを、キーサン革命と言います。ですから、「社会復帰」「社会参加」という言葉は我々キーサンの辞書にはありません。

 いまいちど、そのことを、確認しておきます。

 

   皿澤 剛

 

〈追記〉
 上記の文章にコメントが付きました!!!
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Tさん
>我々が目指しているのは、上に書かれた「コメント」のよ
>うな現実を破壊し、本当の分裂病の病者が真の意味で《野
>放し》にされ、そのままで生きていけるような真の《病者
>解放》の世の中にしていくために、今の社会を「破壊」す
>ることです。それを、キーサン革命と言います。ですか
>ら、「社会復帰」「社会参加」という言葉は我々キーサン
>の辞書にはありません。

皿澤さんに聞いてみたいのですが、つまり、キーサン革命とは法律も警察も病院もない社会にしていく運動なのでしょうか?
個人的には、東洋医さんのブログは面白いと思います。
読者のコメントに批判が多いのは何故?
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皿澤 剛
いまごろ気付かれましたか?
全くその通りです。(と言うより、われわれが日々のセイカツを地を這うようにしていけば、必然的にこの社会は「破壊」されていきます)
ですから、「ノーマライゼーション」などというクソみたいな横文字も、われわれキーサンの辞書にはありません
「べてるの家」「当事者研究」「SST」「人権センター」「マスコミ」「制度政策提言路線」「難治性重病者」「処遇困難者」「人格障害者」「病棟機能分化」「ACT」「ES」「障害者手帳」「法」「国家資格」「啓蒙」「説教」「社会を良くしたい」「ヴォランティア」「学会」「ガクシャ」「全国組織ナンタラ」・・・・もわれわれキーサンの辞書にはありえません
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Aさん
おはようございます。
極私見です。
精神科の診断は、疾患部位はここです、こんな風に問題がでています、と説明するための目に見えるデータがない。では何に頼るかというと「その医師が○○病とはこういう臨床状態をしめすものである」と思い込んでいる頭の中のデータである。そうなると、その思い込みデータをその医師がどうやって集めたかが問われる。
1 文献 2 仲間同士の発表会に行く 3 自分が偉いと思っている先達に教えをこう 4 最近はネット情報 これだけで、病院内だけで、診察室だけで、診断をする。そして、なんと・・・自分のできないことは「自分のできないこと=精神科では成立しない」と言い切って恥じない。なぜできないのかは明らかである。病者に付き合ってもらえない「エラーイ先生」だからである。「エラーイ先生」は実は「裸の王様」であるが、本人はわからない。病者は鼻もひっかけない。(トイレでつばはきぐらいはするかも・・)「セカンドオピニオンの盲点」とのたまうが、見えないのは「エラーイ先生」の目である
。「あんたらに一緒にご飯を食ってくれる本物の病者友達はいるんか???」
不適切多量の抗精神病薬による薬剤性精神病状態からの脱出は命がけである。「エラーイ先生」方がばらまいた毒の種は日本各地で成長し続けている。患者・家族の命がけの声が聞こえないのは、聞こうとする真摯な心がないからであって、「セカンドオピニオンは精神科では成立しない」からでは ない。あなたにはできないだけである。
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