●越前鎌と桐油●越前打刃物●アブラギリ●桐油(きりゆ)(とうゆ)ともいう
★22 越前鎌と桐油(1)http://p.tl/NQnk
 1874年(明治7)の『府県物産表』には、福井県が全国一の物産として、越前鎌と桐油があげられています。
★(2)http://p.tl/ohVb      図説 福井県史  http://p.tl/fbBg
★三 打刃物と鋳物  越前打刃物業の起源 http://p.tl/yiWv
★野鍛冶 http://p.tl/5feI  鎌行商 http://p.tl/2CDV
★販路の拡張と打刃物問屋 http://p.tl/p-Hv
★『福井県史』通史編4 近世二 目次 第三章 第二節 鉱工業の進展 三 打刃物と鋳物 から http://p.tl/4O7g

★アブラギリ(油桐、学名:Vernicia cordata)http://p.tl/oNhv
トウダイグサ科の落葉高木。種子から桐油と呼ばれる油を採取して塗料などに用いる。
東アジア産のアブラギリやシナアブラギリはAleurites 属から分離してVernicia 属とすることもある。
★木材保護油 コボットの桐油/コボット株式会社 http://p.tl/dVKo
★桐油(きりゆ)桐油(とうゆ)ともいう [ 日本大百科全書(小学館) ]
アブラギリなどの種子から圧搾法により得られる乾性油。桐油(とうゆ)ともいう。核の含油量は50~60%である。ヨウ素価140~180。中国桐油は、他国産に比し品質がよい。エレオステアリン酸(共役トリエン酸であり、3個の二重結合が隣り合って存在する)を主成分として含む。酸化重合しやすく乾燥性はきわめて速やかであり、乾燥膜に小皺(こじわ)を生ずる。酸化重合度は大であり、乾燥膜の耐水性や硬度は他の塗料油より高い。あまに油と混合あるいはスタンド油処理などを行えば小皺を生じない。毒物を含むので食用とはならず、ワニスなどに用いる。
[ 執筆者:福住一雄 ]
★きりあぶら【▼桐油】三省堂 大辞林
⇒とうゆ(桐油)
・きりゆ【▼桐油】
⇒とうゆ(桐油)
・とうゆ【▼桐油】
(1)アブラギリの種子から採った乾性油。オレイン酸のグリセリン-エステルを主成分にし、油紙をつくるときなどに使う。食用にはできない。きりあぶら。
(2)「桐油紙」の略。
(3)「桐油ガッパ」の略。
・世界の油
・桐油
トウダイグサ科の支那油桐の種子から得られる。油分は種子に約35%核に50~60%含まれている。冷圧法によって得た油は黄色またはオレンジ色であるが、温圧法による油は暗色を帯びる。
融点-17~21℃、比重d0.93~0.94、屈折率n1.51~1.52、鹸化価188~197、沃素価155~175、ロダン価78~87、タイター36~37℃、不鹸化物0.6~1.8%である。脂肪酸組成は、飽和酸は2~7%でパルミチン酸が多く、不飽和酸93~98%のうちαエレオステアリン酸(9.11.13オクタデカトリエン酸)が約80%を占めるのが大きな特徴である。例をあげれば飽和酸4%、オレイン酸9%、αエレオステアリン酸77%である。用途は塗料・リノリウム・印刷インキなどである。
原産国:中国産と日本産では油の性質が異なる
★とうゆ-がみ 3 0 【▼桐油紙】
美濃(みの)紙に桐油や荏油(えのあぶら)を塗った紙。防水性があり、カッパや包装用にする。合羽紙。油紙。桐油。
★とうゆ-ガッパ【▼桐油―】三省堂 大辞林
桐油紙で作ったカッパ。桐油。
★ばとうゆ【馬▼桐油】三省堂 大辞林
馬上で用いる大きな桐油合羽(ガツパ)。

★越前鎌(えちぜんがま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
越前国府中(ふちゅう)(福井県越前市)の特産物として中世から生産された鎌。府中は越後(えちご)(新潟県)や播磨(はりま)(兵庫県)と並んで、打刃物の三大産地の一つであった。数多い種類の鎌をはじめ、包丁、鉈(なた)、鋏(はさみ)なども生産され、江戸時代には福井藩の保護統制により、たいへん栄えた。とくに安永(あんえい)年間(1772~81)がもっとも盛んな時代だったらしく、鍛冶(かじ)株仲間も、鍛冶屋横丁だけで200軒を超え、問屋も50軒あったという。府中とその周辺に住んで行商をした人々により北陸、関東、大坂、京都などに売られた。越前市の水間谷(みずまだに)や月尾谷(つきおだに)に住む人たちがもっとも熱心で、300人ぐらいが行商に出たこともあったが、現在はわずかとなった。
[ 執筆者:渡邊守順 ]

★武生(たけふ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
福井県中部、武生盆地南部にあった市。1948年(昭和23)武生町と神山(かみやま)村が合併して市制施行。1950年武生市は吉野、国高(くにたか)、大虫(おおむし)の3村、1951年坂口村、1954年北日野(きたひの)、北新庄(きたしんじょう)、王子保(おうしほ)の3村、1956年味真野(あじまの)村、1959年白山(しらやま)村を編入。2005年(平成17)10月今立(いまだて)郡今立町と合併し越前(えちぜん)市となる。旧中心市街地は日野(ひの)川のつくる扇状地に位置し、農村部にも大虫、味真野などの扇状地が多く、また村国、茶臼(ちゃうす)、岡本山などの沈降性山地が点在し、古墳が多い。JR北陸本線、福井鉄道福武線、北陸自動車道、国道8号、365号、417号が通じる。
大化改新後越前国の国府が置かれ、国分寺、総社なども創建され越前の中心となった。催馬楽(さいばら)にも「道の口、武生の国府(こふ)に……」とある。中世には府中(ふちゅう)とよばれ、越前守護所、府中奉行(ぶぎょう)所が置かれた。1575年(天正3)前田利家(としいえ)がこの地に入って府中城を拡張し、1613年(慶長18)以降は福井藩の家老本田富正4万石の居館となり、城下町がつくられて明治に至った。1869年(明治2)武生と改められた。産業としては絹・合繊などの繊維工業、電気機器、木工のほか鎌倉時代からの「越前打刃物」の伝統を継ぐ包丁類を製造。秋には武生中央公園で「たけふ菊人形」が催される。野大坪万歳(のおおつぼまんざい)は国の選択無形民俗文化財。城福寺の枯山水庭園は国指定名勝。毫摂寺(ごうしょうじ)は真宗出雲路(いずもじ)派の本山。市にゆかりの紫式部を記念した寝殿造庭園の紫式部公園、国の重要文化財である旧谷口家住宅がある史跡公園「越前の里味真野苑(あじまのえん)」などもある。旧武生市の人口7万3792(2000年国勢調査)。
[ 執筆者:木下昭三 ]
★鎌(かま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
穀物や柴草(しばくさ)の刈取りに用いられる農具。穀物を多量に収穫する農業が始まるとともに、鎌は人類になくてはならない道具として発明され、改良が加えられてきた。現在でも世界の穀物栽培面積の大部分は、鎌を用いて収穫を行っている。日本ではイネやムギの栽培面積の95%以上がバインダーやコンバインで収穫されているが、ダイズやナタネなどの雑穀類や草刈りには小鎌が使用されている。
[ 執筆者:江崎春雄 ]
★包丁(ほうちょう) [ 日本大百科全書(小学館) ]
庖丁とも書く。台所(庖(くりや))の役人(丁(よぼろ))、すなわち料理人というのが本来の意。中国古代の思想家、荘子(そうし)の『荘子(そうじ)』「養生(ようせい)主篇」に「庖丁は文恵君のために牛を解く」とみえ、料理の名人庖丁が魏(ぎ)の文恵王のために牛を料理したことが記述されている。庖丁が料理人を意味するようになったのは、これによるともいわれる。これから転じて、料理すること、料理の技術をさすようになった。したがって料理人のことは、庖丁人、庖丁師、庖丁者(じゃ)とよばれた。また庖丁人・庖丁師などの語と並行し、それらの使う小刀を「庖丁刀(ほうちょうがたな)」とよぶようになった。『宇治拾遺(うじしゅうい)物語』に「いと大なるまな板に、ながやかなる庖丁刀を具して置たり」というのがその例である。さらに庖丁刀を略して「庖丁」と称するようになったわけであるが、室町時代中期の辞書『下学集(かがくしゅう)』に、庖丁を「刀の名なり」と注するのがその早い例である。この庖丁というのは、江戸時代初期の地誌『雍州府志(ようしゅうふし)』に、「凡(およ)そ庖厨(ほうちゅう)に於(お)いて魚肉を截(き)る刀を、大小を論ぜず倭俗総(わぞくすべ)て庖丁と謂(い)う」と説くように、魚・肉をさばくための刀である。野菜などには、別に菜刀(ながたな)とよぶものが使われていた。産地としては山城(やましろ)(京都府)、摂津・和泉(いずみ)(大阪府)が著名である。
調理のためには、包丁は欠かせないものの一つである。調理は非常に範囲が広いので、それに用いる包丁も、各目的に適したものが必要である。とくに和食では、包丁により料理の美しさを出すことが多く、包丁さばきの良否が問われるのもそのためである。その結果、現在ある包丁は、日本の場合40~50種もあるといわれるほどである。家庭では、通常、万能包丁、出刃包丁、菜切り包丁、ペティナイフ程度しか使わないが、専門家では、それぞれの流儀、あるいは料理の種類で包丁を使い分けしている。一方西洋料理では、日本ほど多くはないが、それでもかなりの種類がある。しかし中国料理では、中華包丁1本ですべてを行うこともあり、種類は少ない。包丁の材質により切れ味も異なるが、通常、鋼、ステンレスが使われる。新しい材質のものとしては、セラミックのものもできている。
[ 執筆者:森谷尅久・伊東宗裕・河野友美・伊東宗裕 ]
★鋏(はさみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] . http://p.tl/KSc9
相対する二枚の刃を摺(す)り合わせて、物を挟み切る道具。『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(931~938ころ)の容飾具と鍛冶(かじ)具に刀(こうとう)(波左美)とあり、裁縫具としては剪刀(せんとう)(毛乃多知加太奈(ものたちかたな))があげられている。江戸前期の『和漢三才図会』(1712編纂)には、百工具として鋏(かなはし)、刀(かなはさみ)、容飾具に剪刀(はさみ)、女工具に剪刀(ものたち)が出ているが、鋏(かなはし)と剪刀(ものたち)はいわゆる「はさみ」ではない。鋏は元来、鍛冶で焼鉄を挟んで持つ「かなはし」をさしており、今日のような鋏をさすようになったのは、明治末になってからである。剪刀(ものたち)は小刀のようなもので、直線裁ちの和服の裁断には、その材料からいっても、裁ち板の上に布を置いて、小刀で裁つほうが便利であった。したがって、この時代のはさみとしてあげられるのは、刀(かなはさみ)と剪刀(はさみ)の2種である。
鋏は「てこ」の原理を応用したもので、支点の位置によって元支点型、中間支点型、先支点型の三つに分けられる。(1)元支点型は握り鋏とか、和鋏といわれる型のもので、U字型に曲げられた「ばね」のところが支点となっている。江戸時代までは、この型の鋏が主であった。(2)中間支点型は一般に裁ち鋏とか羅紗(らしゃ)切りといわれる型のもので、支点の位置を変えることによって、用途に対応したものができる。すなわち、刃を長くすれば1回に長く切れ、短くすれば1回に切る力が強くなる。(3)先支点型は葉巻用、採果鋏、押切り鋏など特殊なものである。
[ 執筆者:岡野和子 ]
★太刀(たち)http://p.tl/9Mim
日本刀のうち刃長がおおむね2尺(約60cm)以上で、太刀緒を用いて腰から下げるかたちで佩用(はいよう)するものを指す。
刃を上向きにして腰に差す打刀とは「銘」を切る位置が異なるが、例外も数多く存在する。
★刀に関する専門知識 http://p.tl/n5Pv  http://p.tl/TH3B
★物裁ち刀【モノタチガタナ】デジタル大辞泉
裁縫で、布を裁つのに使う刀。裁ち物包丁。
★はさみ http://p.tl/bX6y
洋鋏は通常2枚の細長い金属板が蝶番を中心軸として重なり合う構造となっており、それぞれの金属板の内側に向かって刃が付けられ、2枚の刃が交わった部分が閉じていくことで間に挟んである紙や布などが切断されるしくみである。
★唐ばさみ http://p.tl/9TlY  刃物あそび http://p.tl/oy1O
★金切り鋏(かねきりはさみ)http://p.tl/Vmap
薄い金属板(鉄板・ステンレス板・アルミニウム板・銅板等)の切断専用の鋏で、切り落としていく側の金属板が鋏の刃を押す事無く、真っ直ぐに切り進める様に刃物部分が通常の鋏と異なる物形状に工夫してある。
★はさみ(鋏、剪刀)http://p.tl/m0o6
物を切断するための道具である。形態としては、支点が作用点から離れている和鋏型、支点が中間にある洋鋏型がある。
・はさみ
1.(鋏)物をはさみこむことによって、物を切断するための道具。本項目で主に解説する。
2.(挟み、挿み)物をはさみこむことによって、物を握持するための道具。洗濯用の洗濯ばさみ、炭火用あるいは清掃用の火ばさみ、角氷用の氷ばさみなど。なお、物を掴む道具である「やっとこ」にも「鋏」の字があてられる。
3.(螯、鉗)節足動物の肢の先にある道具の鋏のような構造の部分 - はさみ (動物)
★やっとこ(矢床)http://p.tl/dZKA
釘や板金、あるいは熱した鉄などをつかむための鉄製の工具。
「やっとこばさみ」ともいい、「やっとこ」に「鋏」の字があてられることもある。
対象を曲げたりする加工に使う場合もある。形状は二本の金属棒を蝶番でつないだもので片側が人が持つ取っ手で反対側の部分で物をつかむ。
取っ手側は長く、てこの原理で人の力より強い力で物をつかむことができる。
ペンチやプライヤーと構造や目的が似ているが基本的にはさむだけであり、物を切断する能力はない。
手作り(鍛造)のやっとこなお、工具としてではないが、柄(取っ手)が取り付けられていない鍋をつかむときに用いられる専用のやっとこもあり、このような柄(取っ手)が取り付けられていない鍋を「やっとこ鍋」という。
★洗濯ばさみ(せんたくばさみ、洗濯挟み)
(またピンチ(英語でpinch、はさむの意)とも)とは、通常、洗濯物を乾燥させるためにひもや物干しざおなどにかけるとき、かけた洗濯物を落ちないように固定するために使われる留め具のことで、様々なデザインや色彩のものがある。
★はさみ (動物) http://p.tl/yL8R
動物に見られるハサミ(螯、鉗)とは、カニの第一脚のように紙や布を切る道具(はさみ)と似た構造を言う。