『最強の2人』(映画)

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      thank you伝道師 ナースりんゼウスです。






    先日観たカチンコ


       「最強の2人映画



   アップ頚椎損傷によって

   頚から下が麻痺してしまった大富豪と、

   その世話人になった人が織り成す

   ヒューマン映画きゃわたんです。


   
    介護も医療も得てして、

   あくまで働く人間にとっては、

   好きか嫌いか…よりも「仕事」であるから、

   

   相手が、

   自分と同じ生身の人間であっても、

   どこかで 【】やってあげている【】


   無意識にしろ、

   言葉に出す・出さないにしろ…

   そう思ってしまいやすい汗


   他人の世話というものは、

   とてつもなくすることが多く、

   考えることも多いもの。


   
   相手からも

   笑顔や、回復の兆候…或いは感謝の気持ちが

   伝わってこないと

   本末転倒になってしまいやすいのです。



   いくら仕事とは言っても、

   人間関係がそこに存在しているのですから、

   持ちつ持たれつの関係を、

   明らかな態度や言葉で与えられることを

   求めてしまうと…
  
    
     辛いだけの「作業」になってしまうのです。



    



    『最強の2人映画では、


   介護をしている世話人は、

   医学の知識も、

   介護の知識もありません。


   大家族で育ち、

   誰かを心配したりする気持ちは、

   きっとたくさんあったと思います。


   それが自分にとっては「当たり前」のように。。。




      彼にあるのは「心(気持ち)」。




   この人のために何ができるか?

   今、何が必要か?




   ある意味、

   思い遣りの本能と言えるかも知れません。


   
   私はこの映画カチンコに…

   再度、次のようなことを考えさせられました。


   「人として…看護師としてやりがいを持ちながら働くためには」



    ブログで、

   この映画カチンコについて記事にした時に、


   “「アンビリバボー」でやってましたね”


   …と、

   コメントをくださった方がいましたハート

       (ありがとうございますひまわり



   そのテレビを見逃していた私は、


   もったいないことをしたなぁ~びっくり

   観たかったなぁ~



   …そんな気持ちでいっぱいでした。


   

    この映画カチンコ2人の絆にとても感動し


   実話であることが、

   なんとも嬉しくて…きら


    現実にこんな関係が築ける…


   世界って素晴らしい!!!可能性の宝庫アオキラだと、

   感じました。



   今の私には、

   小さな一歩ずつですが、


   この気持ちの炎メラメラだけは、

   消さないでいこう。


     これが私の原点のはず。。。



   他人事じゃなく、

   我がことのように嬉しかったのですダヨ



    そうしたら昨日…


   午前中に家庭菜園を作ったりして、

   午後から体を休めていたときに、


   アンビリバボーの再放送がテレビ流れていました。

   
    
      「まさか、【】最強の2人【】の話は出るはずがない」

      そんなムシのいい話…余りにも良過ぎるゎ得意げ



    …と観ていたら、

   どうも話が似通っていて…


   まさかのまさか…そのまさか!!

   が起こりました!


   まさに【】最強の2人【】の主人公の実話だったのです。


   観ることができちゃいましたきゃわたん

   
   映画を観ていた私は、

   少し違う角度から、

   このお話をゆっくりと観ることができました。



    大富豪が言いました。


   「彼は決して私をしょうがい者として見なかった」

                     …と。



   だからこそ、大富豪は彼を採用し、

   最高の人間としての絆が結ばれたのだと確信。


   人間として見てくれる…

   かわいそう、大変そう、お金が貰えるから…

   
   …たとえ体が動かなくなっても、

   そんな理由で

   そばにいられたら寂しいですよね!?



   それはまるで「家族」のように、

   いえ、2人は言ってました…「家族なのだ」と。。。



    医療も介護も…理想論でもありますが、

   最初に「心ありき」なんです。



   目的がお金であろうが、

   とりあえずの仕事であろうが、

   なんだっていい。



   人間として「思い遣りの心」があるかどうかビックリ!!



   相手を思いやる心が根底にあれば、

   目的がそれぞれ違っても(違って当然ビックリマーク

   素晴らしい看護や介護ができると、

   私は思うんです。



    そのためには、

   働く側の心も潤ってなければ、

   持っている力を発揮できないまま、

   荒んでしまいます。


   
   潤うためには、

   スタッフ間の声の掛け合いや、

   上司の労いの言葉と理解…。

   心荒んできているスタッフのフォロー。



   できなかったこと探しではなく、

   今日のできたこと探しを

   みんなでシェアしていく。



   意味がないことなんて何もないんだってことを、

   伝えてくれる研修や、

   勉強会などなどの企画や参加。

 

   これらのことが必要でしょう…。



   形だけの勉強会なんて、

   会議の伝達事項と同じですし、

   心に残りません。


      …それこそ時間砂時計のムダというものです。


   介護や看護される側とする側に

   な~んにも差はありません晴れ


   役割が違うだけ…立場が違うだけ。



   
   大富豪が言っていた言葉…


   「彼はしょうがい者という目で見なかったから」


   お互いが家族であり、

   大切な存在…それだけなんです。


   大切だから、何かしたいって思うでしょう?


   幸せであってほしいって思うでしょう?



   …その次には、

   この人には何が必要か?

   どこまで自分でできるだろうか?

   どうなったら笑って暮らせるか?


   どんどん具体的になっていきます。


   そのために観察し、思考(アセスメント)があり、

   実践されて…


   結果どうだったかを振り返ることができる。


   
   みんな家族…かけがえのない一人ひとりの命ハート



    理想論きれいごと…と、

   片付けないでください。

   現場がどれだけ厳しいかも知っています。



   ほんの数秒でも、
  
   気持ちさえあればできることが

   私達にはたくさんあるのです。




    
   すべては「同じ人間、大切な命」として見ることから。。。



   

    アンビリバボーテレビを観ながら、



   大富豪の気持ちに成り代わり、

   私はその気持ちを

   体感していたように思います。



    
    
    私が映画カチンコの後でアンビリバボーを観たのは、

   偶然ではなく、やはり必然だったと

   確信しました。





   「ありがとう」はね…言葉だけじゃないんだよ。

   いつの間にか自分の「徳」になって、

   積み重なっていくものでもあるのです。


   
   「ありがとう」はね…言葉にしなくちゃ伝わりにくいけど、

   ちゃんと心の奥で繋がっているから…

   言葉を期待してしまうと

   こっちが苦しくなることもあるからね。



   「ありがとう」って思われてる…


   見た目にはそう思えなくても…

   素晴らしいことができたら、

   誰もが心の奥で「ありがとう」って

   感じるものだから。


   それだけで幸せなことなんだよぷるんハート



   


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