午歳2・稲荷神社3(初午・いなり寿司・きつねうどん)/土用の丑 | 獨と玖人の舌先三寸

午歳2・稲荷神社3(初午・いなり寿司・きつねうどん)/土用の丑

※午歳の人だけのご神徳ではありません。是非、興味、関心を抱かれたら、神社を訪ねてみてください!
“牛”ウシじゃありませんよwwww



◎初午(はつうま)とは、2月の最初の午の日。稲荷社の縁日で、雑節の一つとすることもあります。
京都の伏見稲荷神社のご祭神が大和に降りた日が、和銅4年のこの日であったとされています。それから午の日が縁日になり、初午の日に全国で稲荷神社を祀るようになりました。実際には信仰の起源はもっと古く遡ります。
この日を蚕や牛や馬の祭日とする風習もあります。江戸時代には、この日に子供を寺子屋へ入門させていました。
本来は旧暦2月の最初の午の日ですが、現在では新暦2月の最初の午の日になっています。そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまいました。 さらに古くは、立春以降の最初の午の日に行っていたようです。

2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もあります。二の午には馬頭観音の祭事を行う地方があります。また奈良県では、この初午の日に旗飴(はたあめ)という習慣があります。これは子供たちが近所の家(地域によっては商売を行っている家)を訪ね廻り、旗飴をもらうというハロウィンに似たものです。栃木県ではしもつかれを食べる風習があるようです。

初午は、その年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたものです。4月初めの巳の日の菜の花祭りの夜と、初午のいずれかに雨が降らないと、火に祟られるとか初午の早い年は火事が多いとか俗信があるようです。また初午の日に、消防団員が各家庭を回って火の用心を呼びかけ、火の用心のお札を配る習慣がある地方もあるようです。
獨と玖人の舌先三寸-101111上野公園、花園稲荷 101111.上野公園花園稲荷。
午歳は朱の鳥居の前を素通りしてはなりません。立ち止まり、会釈をする程度の心掛けは必要です。それは、午が神様の乗り物だからです。
獨と玖人の舌先三寸-111124.富岡八幡宮境内、神馬 111124.富岡八幡境内、神馬。
稲荷は“意成り”でもあります。思ったことが通じることです。願い事があり、それを叶えたい午歳は、稲荷の朱の鳥居の前はくれぐれも素通りしてはなりません。

午は、狐も大事にしなければなりません。狐は古来、三徳ありとされています。毛色が黄色であることが重要で、“土”の気を司っているのです。農耕の守り神です。なにより狐は、収穫を食べてしまうネズミの天敵。さすが、農耕神“稲荷大神”の神使です。午の天敵を退治してくれるのです。
京都の伏見稲荷には、午に乗った狐の伏見人形が売られています。こんな話を知れば、“狐を馬に乗せたような話”という言葉が「信用のおけない話」などという意味で使われる現代のなんと不愉快な話か。古来悪しき伝承も数知れず、そちらの“意味”を取られてしまったんですわ。

いなり寿司というのは縁起物です。祭りの日に作り、お供えするものです。いなり寿司は“福包み”といい、福を包んだものです。大黒様の俵に見立てて作られました。稲荷大神のご神徳、五穀豊穣を願ってのものです。
午歳は毎月、最初の午の日にいなり寿司を食べると運気が上昇します。土用の一の丑には鰻を食べますが、まあ似たようなものです。巷のスーパーでは2月の初午だけしか謳いませんが。
獨と玖人の舌先三寸-いなり寿司
油揚げで包んだ寿司をいなり寿司、油揚げの入ったうどんをきつねうどんと言いますね。狐は農耕上有益な動物であったので、その頭の良さそうな行動と金色の毛色の縁起良さから、狐信仰が発生していったのです。人々は狐に感謝して農作物などを狐の穴に供えましたが、肉食の狐にとってはただの迷惑で、農耕民族の勝手な振る舞いでした。
とある人物が夢見をして、油揚げを供えてみることにしました。野菜などからすると随分マシな食べ物なので、狐がこれには口をつけたのです。そこでまた傍迷惑な話、狐は油揚げが好きなのだと人々が思うようになったのです。
このとある人物、かの弘法大師ですw
獨と玖人の舌先三寸-きつねうどん そばやないかァーい(゜▽゜)つ∇))







※せっかくなので記しておきます。
“土用の丑の日”(に鰻を食べるという習慣)――を夏だけと思っている方が多いそうですが。厳密には“土用”は春夏秋冬の4回あります。“四立(しりゅう)”の直前18日間(17~19)を土用と呼ぶのです。最後の日は“節分”になります。
鰻は高たんぱく、エネルギー豊富で消化もよく、夏バテ予防に食べられます。それを謳ったのが平賀源内先生……信憑性は…。“ウ”のつく日に“ウ”の着くものを食べよう、っつう…。
食材としては、旬は晩秋から初冬で、夏はイチバン質が悪いんです┐(´Д`≡´Д`)┌ 冬眠に入るため、養分を貯えているのです。
確認できるところで、日本は奈良時代には食べていたと思われます。大伴家持が二首も歌っているんです、鰻のことをww
江戸時代。採れ過ぎて、雑魚同様の扱いだったそうです。
蒲焼きは江戸料理です( *`ω´)q
獨と玖人の舌先三寸-100722.い志ばし(成田) 100722.い志ばし (成田市)
江戸じゃねえじゃん! ヘ(_ _ヘ)☆\( >0<*)
獨と玖人の舌先三寸-100722.い志ばし(成田) 100722.い志ばし (成田市)2
蒲焼きじゃねえじゃん! ヽ(XXヽ)〃∠(>◇<#)
山葵がうまいんだよぉぉおおおおぉ!! (ノ><)=O(xзx)