赤報記に見る薩邸焼討 | 大山格のブログ

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実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 『赤報記』は、薩邸に潜んでいた浪士側の記録である。

十二月廿五日、辰上刻、賊兵襲来、猥ニ発砲、遂ニ放火、既ニ邸中へ乱入、我兵憤発撃破之、賊兵散乱、我兵間ヲ得テ邸ヲ出テ、為防禦策、高輪品川辺所々放火シ、鮫洲村ヨリ以小舟本藩蒸汽船ニ乗込、但小船三艘之中二艘、本船へ不能近付、終ニ武州羽根田へ上陸、是賊以軍艦烈敷発砲之故也、賊、益我蒸汽船へ砲発、船中諸具大ニ破傷、晩景ニ至リ、賊船終ニ逃去、廿六日、豆州小浦湊へ入津、船並船具破傷修復、遠州灘ニ航ス、戌刻頃ヨリ暴風、船中益破傷、廿七日、暴風倍烈敷、終日徹夜無止時、船頭船子不残断髪祷冥助、蒸汽車へ碇綱巻付、進退極ル、廿八日、烈風少敷止、今暁ヨリ雨、廿九日未中刻頃、紀州九鬼浦へ入津、卅日巳刻頃、水原次郎、板田三四郎、伊牟田尚平、陸地ヨリ抵京師、慶応四年正月元日未明、九鬼浦出帆、二日申刻、兵庫湊へ入津。
『復古記』第一冊 p369

十二月廿五日、辰上刻(07:00~07:40)、(ここでは幕府側をさす)兵が襲来、猥りに発砲し、あげくに放火して、邸中へ乱入した。我が兵は憤発してこれを撃破、賊兵は散乱し、我が兵は突破口を得て邸を出て、防禦策として高輪品川あたりの所々に放火し、鮫洲村より小舟で本藩の蒸汽船に乗込んだ。但し小船三艘のうち二艘は、本船に近づくことができず、ついに武州羽根田(羽田)に上陸した。これは賊が軍艦ではげしく発砲したせいだ。賊はますます我が蒸汽船を砲撃し、船中の諸具は大いに破傷した。晩景に至り、賊の船はついに逃去った。廿六日、豆州小浦湊に入港し、船と船具の破傷を修復し、遠州灘に出た。戌刻(19:00~21:00)頃から暴風が吹いて、船中はますます破傷し、廿七日、暴風ますますはげしく、終日夜を徹してやまなかった。船頭や船子は残らず断髪して冥助を祈り、蒸汽車に碇綱が巻付いて、進退極まった。廿八日、烈風は少しやみ、今暁から雨になった。廿九日の未中刻(13:40~14:20)頃、紀州九鬼浦に入港、卅日巳刻(09:00~11:00)頃、水原次郎、板田三四郎、伊牟田尚平は陸地から京師に着いた。慶応四年正月元日未明、九鬼浦出帆、二日申刻(15:00~17:00)、兵庫湊(神戸)に入港した。


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