近藤勇・流山前後59 | 大山格のブログ

大山格のブログ

おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

あとがき

 この連載は、プロットを立てずに書き始めました。いわば、飛び上がってから着地点を探すようなことをしていたら、二ヶ月の長期連載になってしまいました。仕事として文章を書いているくせに、プロットなしで書くなんてことは邪道もいいところです。その点は素直に反省しておきます。

 行き当たりばったりでしたけれども、はじめから考えていたとおりに書けたこともあります。近藤勇と題しながら、近藤勇の目線で世間を見るのではなく、世間の目から近藤勇を見るという視点を貫くことがそれです。それで近藤勇が主人公になり得るかどうかは、あらかじめ考えていました。
 昭和二十九年公開の映画『ゴジラ』は、ゴジラと題していながら、ゴジラが何を考えているのかを本人が語ることはありません。ひたすら襲われる側からの視点が表現されていきます。それでもタイトルはゴジラなのです。このゴジラの立場に近藤勇を立たせてみようと思ったのです。

 もうひとつ書きたかったのは、忠義のあり方です。流山で近藤勇は戦わないことを選びました。それは主家である徳川家が恭順という方針を示していたからでした。主家に従うことこそ忠義の基本ですから、戦うことを忠義とはいえないのです。
 戦った人々は、滅んでいく幕府に殉じたいと思う人もあれば、塚原渋柿園がいうように「口惜しい」と思う気持ちだけで前後を考えずに戦場へ飛び込んだ人もいたわけですが、たとえ幕府は滅んでも御家だけは残したいと徳川家は望んでいました。そのための恭順です。
 主家の意向に背いてまで戦った人は幕府という組織に対する思いや、あるいは口惜しいから戦いたいと思う自分の気持ちのために戦ったのだといえるでしょう。それに対して近藤勇は主家の意向に従いました。それこそが戦わないことで表す忠義なのです。

 人間とは下世話なもので、対立とか葛藤とか、ぶつかりあうのを見るのが大好きです。そして日本人の性癖として判官贔屓があります。滅び行く者に対する限りない同情を抱いてしまう人は多いのですが、判官贔屓のもとになった源義経と、対する源頼朝とを冷静な視点で較べれば、どうしたって日本の武家社会の指導者としては頼朝の方が優れていたといわざるを得ません。そこは史実として歴史を論じるうえで、はずせないポイントです。
 近藤勇は最後の最後に戦わないことを選びました。滅びようとする幕府に殉じようとしたわけではなく、逆に徳川家が生き残るように考えていたのです。戦いもせず、主家は滅びずと、近藤勇は日本人が好む悲劇のヒーローの条件を、二つともはずしています。

 じゃあ、近藤勇は腰抜けだったのか?

 この連載を、はじめから通しで読んでくださった方なら、きっとそんな風には思わないことでしょう。

 話は変わって、典拠となる史料を出しながら論じることは当初から考えていました。その引用がナマのままでは読みづらいので、ある程度は読み下した形にしました。その読みやすくする程度がどれくらいかは、連載中に揺れ動いています。こういうことも、はじめから凡例を決めておいて統一すべきなので、いずれ形を変えて発表する機会があれば良いと思っています。もし、各社の編集様が御覧であるなら、御連絡たまわりたく存じます。

 これ以上なにを書いても蛇足だと思いますので、この辺でやめておきましょう。最後まで読んでいただいて、まことにありがとうございました。


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ