庄内藩の薩邸焼討報告書 | 大山格のブログ

大山格のブログ

おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

松平修理大夫様三田屋敷、並島津淡路守様三田小山屋敷へ、浪士体之者潜伏、市中暴行砲発等致シ候趣ニ付、取締方之儀、昨夜御沙汰ニ付、左衛門尉人数へ酒井紀伊守殿人数差加へ、且為応援、陸軍方御人数、並松平大和守様、松平和泉守様、松平伊豆守様御人数共、今明六ツ時過罷越、種々談判仕候得共、不聞入、却テ彼ヨリ又暴発候ニ付、不得止発砲等仕、打合切捨降人召捕人等有之、且右両屋敷共砲火ニテ焼失仕候、尤左衛門尉人数之内ニモ討死手負等有之、総人数ハ夕七ツ半時頃引揚申候、委細之儀ハ、猶取調可申上候得共、先以此段御届申上候、以上。
  酒井左衛門尉家老
    十二月二十五日  松平権十郎

『復古記』第一冊、p367より

松平修理大夫(島津茂久・維新後は忠義と改名。薩摩藩主)様の三田屋敷、ならびに島津淡路守(忠寛・佐土原藩主)様の三田小山屋敷へ、浪士体の者が潜伏し、市中で暴行し、発砲などしたとのことなので、取り締まりのことが昨夜、御沙汰があったので、左衛門尉(忠篤。庄内藩主)の人数へ酒井紀伊守(忠良。出羽松山藩主)殿の人数を加え、かつ応援として、(幕府の)陸軍の御人数、ならびに松平大和守(直克。前橋藩主)様、松平和泉守(乗秩。西尾藩主)様、松平伊豆守(大河内信古。三河吉田藩主)様の御人数とも、けさ明六ツ時過ぎにまかり越し、種々談判つかまつりましたが、聞き入れず、かえって相手からまた暴発してきたので、やむをえず発砲などつかまつり、撃ち合い斬り捨て、降伏人や召捕人などありました。かつ前に掲げた両屋敷とも砲火にて焼失つかまつりました。もっとも左衛門尉の人数の内にも討死や手負などありました。総人数は夕方七ツ半時頃に引揚げました。委細については、なお取調べて申し上げますけれども、まずもって、このとおり御届け申上げます。以上。


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ