川上操六 05 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 之れも熊本籠城中の插話である。操六、一日、上等兵某に兵卒數名を附して城外にやり、敵の動靜を探らしめた。上等兵某路を誤つて、部下の兵卒と相離れ、却つて敵のために捕へられた。某は縛せられて敵の隊長の許に送られ、其糺問を受けた。偶隊長の面貌を見て、大に驚き喚んで、貴下は川上聯隊長殿の令弟でありませぬかと問ふ。隊長答へて、然りと首肯する。
 上等兵、卽ち其懷を探つて、一葉を寫眞を示し、是れ貴下の寫眞ならんと問ふ。隊長、復たうなづく。上等兵曰く。我れ城を出る時に臨み、聯隊長殿は此寫眞を授けて、敵中必らず此人物がゐるであらう。吾賢弟の誤つて賊中に投じたものは此寫眞である。汝、若し此者に出遇はゞ速に捕へて城中に拉し來れと命ぜられた。然るに今や吾身が却つて貴下の捕虜となつて了つた。けれども之れも亦奇因緣である。貴下は我れと共に聯隊長殿の許に來られよ、聯隊長殿は貴下を待つ事久しいものがあると、熱誠こめて吿げた。
 隊長は、曾つて病父の看護に歸鄕した操六の實弟丈吉であつた。父の歿後、先輩知友に誘はれて薩軍に投じ、一隊を率ゐる者となつたのである。然るに今、捕虜の言によりて、家兄の城中に在る事を知つて、骨肉同胞相別れて敵對してゐるを覺り、感慨無量である。しかし丈吉、今更薩軍を脫して城に入る者でない。夜陰に乘じて、其捕虜の縛を解き、之れを林野に誘うて具に家鄕の模樣から、吾身につきて語り、之れを家兄に吿げん事を托して、上等兵を縱つた。上等兵城に還つて、一伍一什を操六に復命すると。操六天を仰いで、彼れ竟に來らぬかと、あまたび嗟嘆した。這間の悲劇、宛たる一場の好劇面である。されど後年に至り、幸に丈吉、操六と相會するの喜びがあつた。あれも運命、之れも運命、悲喜の因緣は糾へる繩の如きものである。
 薩軍の包圍牢くして、城兵死戰するけれど之れを破る事が出來ぬ。彈藥漸く缺乏を吿げ、食糧從つて盡きなんとしてゐる。此儘に空しく日を過さば、餓死の悲慘か、孤城陷落の憂き目を見るは必然である。城中茲に於て突圍の議が生じ、守將谷干城自ら兵を率ゐて、陣頭に立ちて敵の圍みを突かんと主張した。樺山參謀長之れを抑止し、身を以て突圍隊の指揮官たらんと請うたが、谷少將許さぬ。遂に大隊長奧保鞏少佐をして指揮官とする事になり、此突圍隊は第十三聯隊の一大隊を以て、之れに當てた。
 四月八日、突圍隊は敢然疾驅して薩軍の圍みを衝き、宇土に至つて官軍に合し、之れによりて別働隊の入城を見るに及んだ。第十三聯隊は前にも記すが如く、操六の統宰する隊である。



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