前回、何故声を上げようと思ったかを書かせて貰いました。

詳しく書き綴ったら1冊の本じゃ足りない量になるから、ザックリ理解してもらえる長さを目指すね。

「何故行動したのか」

自分の中で抑えきれない、誤魔化せない思いをTwitterで呟いたのが2011年4月の始め。

「原発反対って言っただけで芸能界は干されてしまう。でも言ってやりますよ、原発反対って」
確かこんな言葉で呟いたと思う。

呟いた瞬間、涙が止まらなかった。嗚咽を漏らしながら泣いた。


「ずっと抑え続けてきたものが一気に溢れ出した」

そんな感じ。

誰かを誹謗中傷するわけで無く、ただ自分の思った事を口に出せない世界に自分が生きている事に事故後、ずっとショックだった。

「原発はいらない」って事さえ言い辛い同調圧力。
「食べる為には仕方無いじゃないか」と慰める自分への失望。

「声をあげるんだ!」と声なき声で叫ぶ心の中の自分。

でも結局声を上げない自分自身への絶望。


何が表現の自由だ。何が言論の自由だ。事故前の基準からすればあり得ない数値の場所に人々を「安全」だと住まわせ、事故を小さく見せる為に情報操作、印象操作を繰り返すこの国には「生きる権利」さえないじゃないか。

「でも何も言えない自分は、何も言わない自分は、不条理を押し付けてる権力者と同じだ!」

そんな思いからやっと解放された感じ。

Twitterやネットの中で、「原発嫌だ」と言ってもそこまで大きな拡がりはなかった。

ネットユーザーは多数派ではないから。
TV、新聞を情報源にしている人々が圧倒的多数だから。

まだ広くは知られていないのだから最初は気を付けてやろうと思った。

反原発の市民運動に頻繁に参加すれば近い内、仕事は無くなる。

「今のうちに仕事して貯えなきゃ!」

生まれて初めて参加したデモ(高円寺素人の乱)からマスコミのカメラを見つければ顔を背けたり極力バレない様にした、兎に角、広く知られるまでの時間を稼ごうと思った。

そんなヤワな考えが一気に吹っ飛ぶトンデモない出来事が自分を変えた。


「何故行動したのか」


文部科学省が子ども達の安全基準を20倍に引き上げた。

被曝は年1ミリシーベルト以内、これ「国際基準」

子どもは大人と比べて3倍~10倍、専門家によってはそれ以上と言う人も。

ならば、どれだけのリスクを子どもたちに背負わせるのか?

子どもを守るはずの文科省が「柔らかな死刑宣告」を子ども達に与えた。自分の中で何かが吹っ切れた。

「子供を守れ?いいカッコすんな!」

いや、そうじゃない。

子どもはこの国の未来。
その未来を担う子ども達に過酷な数値を与えるって事は、国が未来を諦めたって事。


命ではなく、目の前のお金を守った。


あまりにも過酷な事故を前に、次々に事実を発表すれば経済破綻が訪れる。


「目の前の金儲けを止める訳にはイカナイから子どもたちには犠牲になってもらいます。」

安全基準の数値を上げて「建前上」は大丈夫って事にされても、子どもたちの身体が急に20倍強くなるわけじゃない。

子ども達に与えられた殺人的数値年20ミリ シーベルトにブチ切れた僕は、「逆にマスコミの前に出てってやろう」と決意した。

何の特技もない僕だけど、光が当たらない場所に自分が出て行けば、ニュースなどで取り上げられる可能性があると思った。

たった5秒のオンエアでも、たった2行の記事でも、押し付けられた不条理を、ひとりでも多く伝えられる可能性が少しでもあるならそれを特技としよう、と思ったんだ。

腹を決めて、行ける限り色んな現場に足を運んだ。

自分の想いとかけ離れた悪意ある記事を書かれた時は、哀しかった。

でも、ココロある記事を書いてくれる人もいた。

清濁併せ呑む(いい事も悪い事も受け入れる)気持ちでやるしかないと、覚悟した。

でも本職はそうはいかない。

所属する事務所には僕以外にも20人近く俳優が所属している。

スポンサーありきの職業でスポンサーに唾を吐く様な行為は他の役者に迷惑がかかる。

実際、事務所には脅迫電話や励ましの電話が多く掛かってきた。

そのピークが「ドラマの役を降ろされた」と呟いた時。

芸能人が踏み込んだ発言をすればどう言う目に遭うか、皆に知っておいて貰おうとTwitterで呟いた。

すると事務所の電話はパンク寸前、日常業務は不可能な状況、と社長から説明された時、事務所を辞めようと思った。

原発は直ぐには無くならない。だったら声を上げ続けなきゃならない。

声を上げ続ければ、電話や嫌がらせが終わる事は無い。事務所の皆に迷惑をかけ続ける事になる。

事務所に居続ける事を選択すれば、極力嫌がらせを受けない様に行動を自主規制する事になる。

それじゃ何の為に声を上げたかわからないじゃ無いか。


今までお世話になった人たちとお別れは少し淋しかった。役者思いの本当にいい事務所だったから。

16歳の時から芸能界以外知らない自分が、スタッフに支えられて生きて来た自分が
これから一人でやって行くのか、誰にも守って貰えないんだなって不安にもなった。


正直、ちょっぴり怖かった。


その一方で、これからはタブー無く好きにやってこう、思った通りに生きるんだ、って言う大きな力も湧いて来た。

生き延びてやる。皆で生き延びてやる。

その為に動きまわってやる。

そしてこの2年間、全国を動きまわった。

不条理を押し付けられた沢山の人々の声を聞いた。

お金持ちでも権力者でもない、「38歳 無職」の僕には何も出来ない。

ただ話を聞く事しか出来ない自分が情けなかった。

あまりにも権力の圧倒的な力を前に政治ではなく、自分の人生を生きようかとも思った。

じゃあ、この2年間の自分の中に蓄積された数々の声はただの思い出話になるのか?

皆の声を届けたい、形にしたい。

日に日に思いは強くなった。

この不条理を押し付ける世の中を引っくり返したい。

人間を「数」として扱い、簡単に切り捨てる世の中を引っくり返したい。

目の前の金儲けの為に、企業の論理で、僕たちから「生きる権利」や「表現の自由」を奪おうとする者たちと闘う事に決めたんだ。

国会の中に入って、皆の声を形にする。


下心なんてないよ。

強いて「下心」を言うなら、

「生き延びたい、皆で生き延びたい。」

それだけ。

力、貸し貰えますか?



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