連休というだけのことで、ともかく名の通った観光地へ揃って押しかけ、人の群れに揉まれ、決まりきった白々しいサービスを受け、大したことのないみやげ物をごっそり購入し、さほど美味いとは思えない名物料理とやらを食して悦に入るという楽しみ方にけちをつけるわけではありませんが、そんな余暇の過ごし方を眺めていていつも脳裏をよぎるのは、この人たちはそうすることで本当に喜んでいるのだろうか、心底から嬉しいのだろうかという疑問です。
 それというのも、やりたかったことをやっているという嬉しさがまったく伝わってこないからなのです。口もとには確かにそれらしい笑みが浮かんでいるのですが、しかし、その目はどこまでも虚ろで、背後には重い疲労感がこびりつき、足どりはどこか事務的で、あたかも義務を果たしているかのような雰囲気を漂わせています。
 それが過ごしたかった休暇なのでしょうか。ただ単に近所の人々や職場の同僚や友人や知人に対する一種の見栄でそうしているように見えてしまうのはなぜでしょうか。もしくは、皆と同じ人生を送っていることにしか安堵を覚えない異様な国民性のせいなのでしょうか。それとも、最初から本音や本心を持っていない人種なのでしょうか。
 関係業者のカモにされなくても、家の近所にゆっくりとくつろげて伸び伸びできる空間はいくらでもあるのです。そういうところに身を置きながら、上空を流れる雲でも眺めながら、普段は目にとめない、何の変哲もないあらゆる事象と向き合ってみるのも一興かと思います。
 すると、自分とは何か、この世における幸福とは何かという重大な発見がもたらされ、明日が変わるかもしれません。