金八先生の舞台はフィクションですよねとよく言われる。でもモデルはたくさんあったのだ。足立区の中学校の先生がモデルになっていたが、私が1970年に卒業した葛飾区立上平井中学校はもっとドラマチックに学級運営をやっていた先生の集団がいた。日本教職員組合東京教職員組合葛飾教員組合上平井分会の先生たちだった。
 いやあ、中学1年の時、ホームルーム(学級会)が授業時間が終わってから開かれたんだけれど、なんと終わったのが夜の7時すぎ。当時TVアニメは巨人の星だったか見られなかったことがある。学校に親たちから電話が殺到したのも無理はなかった。
 問題点を掘り下げてとことん話し合う。生徒会活動も活発で、なにか問題があるとすぐに全校の問題として、全校集会が開かれた。卒業式や入学式もユニークだったなあ。とくに卒業式は生徒が中心になって式のスケジュールを組んで、先生はあくまでもサポーターに徹してくれていた。もちろん君が代も日の丸もそこにはなかった。教育委員会からの授業視察も組合の先生方の教室は、スルーだった。
 修学旅行でも私の後輩たちが故江口保先生の指導のもと奈良京都から東北へ、そして広島平和学習旅行が行われていた。すごいよね、江口先生は数学の先生だったんだけど長崎で原爆に被爆していた、いつかは広島だとずっと思っていたそうなんだけれど、東京都の修学旅行が何も京都奈良でなくてもいいということになっていたのを利用して、葛飾区教育委員会を説得して始めたそうだ。
 1983/5/--
東京・葛飾区立上平井中学校の被爆教師故江口保さんが、8年間の平和学習を集大成した教材「碑に誓う-中学生のヒロシマ修学旅行」を出版しているから図書館で先生が残した本が読める。

 日本国憲法を支えた教育基本法を体現させるような教育方針で、教職員室には『逝いて還らぬ教え児よ』が模造紙いっぱいに書かれてベニア版に貼られて掲げてあったのを覚えている。金八先生も子供たちと一緒に苦悩する教師の姿を海援隊で一世を風靡していた長崎教育大出身の武田鉄矢さんを主演に小山内美江子さんの原作を元に出来上がったTBSテレビドラマだった。だから自民党の教育行政に一石を投じるものだったはずなのだが、まあ芸能人だから自民党かあと思ったけれど、納得できなかったなあ。
 教育基本法1947年法を復活させよう!今こそ日本国憲法の基本的人権を実現させよう!
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