昨日は韓国プロ野球の外国人選手登録期限でした。

残念ながら昨年に引き続き今年も静かにこの日を迎え、
個人的目標には至らない結果となってしまいました。

なにが足りなかったのか?分かりません。
求める野球の質の違いもあるとは思います。
今年は外国人選手が19名中3名が入れ替わりました。
そこに僕がリストアップされていたのかも分かりません。
ただ「韓国プロ野球の外国人選手」になるには
僕には何かが足りなかった。

残念ですが、自分の仕事を卑下するつもりはありません。
韓国に乗り込んで実際にプレーをする機会を得た事。
球歴や過去の数字だけでは計る事のできない
外国人野球選手としての能力をアピールする機会を頂いた事に心から感謝しています。
僕の仕事を認め必要としてくれるキムソングン監督やワンダーズの存在にも感謝していますし
自分自身の仕事に誇りを持ってやってきました。
応援してくれるファンの方々、家族や仲間がいる。
自分を蔑む事はその人たちとの縁を否定する事になりますからね。
一先ず、ここまでご支援ご声援を頂いたこと本当にありがとうございました。

もっともっと頑張って野球選手として自分の仕事の質を磨いていきたいと思います。





8月15日

日本では終戦の日。
韓国では日本の植民地支配から解放された独立の日。
台湾でも終戦に関わる沢山の思いが表面化する日だったことを覚えている。

戦争で犠牲になった全ての方に黙祷を捧げました。


戦争は人が社会性を育んでいく為の全ての定義や論理、価値観をぶち壊してしまう。
だから理屈ではなく人の感情として物事を判断ししなければ行けない事もあるだろう。
しかし時が経てば人の心は移り行くもので、時間が経てば経つほど正確に収集する事は不可能となる。

当時の思想、世界情勢の流れを今の価値観で計る事は出来ないだろう。
何が間違いで何が正しかったのか?も国際政治上、大きな問題なのだろう。
だけど、これからどうしていくことがそれぞれに取って有益なのか?
後世に残していくべきなのか?ということを考えることの方が正直、
希望的で継続的なことだと思う。

誤解しないでも貰いたい。けして過去を疎かにするのではない。
僕だって戦争に対して怒りや悲しみ、憂いの感情はある。

ただ歴史研究のプロでも政治家でもなく、現代社会に生きる一人の日本人である僕が
これからの未来、子供たちに残していける事を考えたとき、
幸せな社会であって欲しいと願うとき、自分に出来ることを考えるとしたら
変えられない過去よりも、平和を生み出す機会ある未来を信じたい。というのが素直な感情だ。

未来を造る上でポジティブな感情を抱いていれば努力は継続出来るが
ネガティブな感情では耐えられなくなり真意を失ってしまう。

ポジティブな精神は存在するものを明確にするが
ネガティブな精神は存在しない物事や不安を生み出してしまう。

例えば、出来る理由しか目に見えない時は大体上手く行く。しかし、
ネガティブ考えでは失敗したらどうしようと言い訳を考えたり、
誰かの所為にしたりありもしない事実をでっち上げたりする。

野球の世界だけではなく他の業界や政治にも似たことが起きているではないか。



場所が変われば環境が変わる、気候や風土、土や草木、グランドを取り巻く環境も
道具も変わる。そして共にプレーをする仲間や支えてくれる人たちの
思想や歴史観、感情も様々だった。

そんな中で野球を続けてくると
「何が正しいのか?」という疑問そのものが「なぜ正しさを求めるのか」と変わって来た。
もちろん上手くなりたいから、なのだけど、環境や評価の基準が変われば求める正しさも変わる。
幸せの基準も違ってくる。それなのに人は何が正しいのか?をそれぞれの違う基準でぶつけ合う。

すると結局、何も変わってない。

日本の野球。アメリカの野球。韓国の野球。台湾の野球。メキシコの野球。

それぞれにそれぞれの魅力を秘めた野球があるのに、
どれが正しい野球なのかを評価しようとするがために、
それぞれの価値観を押し付け合う。
要は自分が好きか嫌いかのエゴでしかない。
(もちろん僕にだって好き嫌いはある。だが割り切らなければ仕事にならない)


それと同じじゃないだろうか。
もっと現場の環境や社会性、彼らが背負って来ている一人一人の人生(歴史)を理解して
アプローチしていかないと、折角、高品質な技術やアイデアを持っていても価値を失ってしまう。
現地の人たちの生活や思想に敬意ある理解を持っていかなきゃな。いや、お互いに、だ。
目に見える利益だけでは本当の利益は上がらない。
奪い合えばいつか必ず滅びる。分け合えば第三の利益を生み出す事が出来る。
お互いに利益の上がる道を選択できれば更によりよい世界になるんじゃないかな。

きっと僕が野球選手じゃなかったらこんな風には考えないんだろうな。
でも、野球選手の僕にはそうすることしか出来ない。
自分に出来ることで野球界が少しでも素晴しい社会になって欲しいと思うし
そんな野球が世の中を魅力的で平和なモノになって欲しいと思う。

簡単な事ではないけれどそれが僕に出来る平和への行動だと信じている。
そうありたいと思います。


戦争で犠牲になった多くの命の上に今の僕らの時間は存在している。
命の灯火を無駄にしないためにも僕らは毎日を懸命に生きていかなければならない。





o(・∀・)o 「ざぁぁぁっす!」