高円寺〈素人の乱〉前史……山下陽光インタビュー | 我々少数派

高円寺〈素人の乱〉前史……山下陽光インタビュー

 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 カンパを広く募集しています。振込先は、「福岡銀行 春日原支店 普通 1167080 トヤマコウイチ」です。


 前回書いたように、しばらく秘密アジトにこもってひたすらテープ起こしに励み(結局、花咲政之輔氏のインタビュー・テープには今回も手をつけずじまい)、とりあえず2つ起こし終わったうちの1つについて、その後さらに細かい修正作業などやって、んでインタビューされた当人による原稿のチェックも経て、いよいよ公開できる形になった。

 これから公開する山下陽光(やました・ひかる)氏へのインタビューは、2009年6月29日深夜、東京・高円寺の飲み屋〈素人の乱9号店・セピア〉でおこなわれたものである。
 山下氏は05年9月、“素人の乱・総帥”の松本哉氏と共に高円寺・北中通りにて、〈素人の乱1号店〉を始めた。インタビュー中でも触れられているとおり、同店は松本氏のリサイクル・ショップと山下氏の古着屋(と小笠原慶太氏のインターネット・ラジオ)との融合体であった。1号店は当初の予定どおり3ヶ月で建物の取り壊しのために閉店し、その後、同じ北中通り内やその近隣に、それぞれが独立して開店。素人の乱では、移転をくりかえしたり、また別の友人・知人が仲間として参入して独自の店舗を出すたびに(例えば過去に存在した〈1号店〉は欠番にして)「2号店、3号店……」と数えていくので、現在、山下氏が開業している北中通りの古着屋・シランプリは(その間にも1度移転をした経緯もあり)〈素人の乱10号店〉となっている。  参考
 インタビューの場には私と山下氏の他に、いずれも山下氏の古くからの(もちろん素人の乱を始めるはるか以前からの)友人である上記、小笠原慶太氏と、9号店セピアの店長であるノラネロ氏が同席した。

 私が思うに、今回インタビューした山下氏という人は、松本哉と並んで素人の乱の“もう1人の中心人物”であり、素人の乱を始める以前に彼が10年近くにわたって高円寺で展開してきた一種の(しいて云えば)前衛美術運動は、現在に至る素人の乱の運動の展開や作風を大きく規定している。
 というか実態としては、そもそも高円寺には山下氏を中心とした、独特のセンスを共有するそうした若者たちのシーンが2000年代前半に形成され、そこに、それまで別の場所でやはり数年の年月をかけて独自の運動展開をしてきた松本氏が合流してくる形で、素人の乱が誕生するのである。
 にも関わらず、素人の乱はたいてい、近年の“プレカリアート云々”の文脈で語られがち(というか要するにしょーもない今どきの左翼主流派の文脈に回収していこうという、例えば毛利ナントカあたりがやってるような)で、こうした経緯はハショられてしまう印象があり、私はそれに大いに違和感を持っていた。
 今回のインタビューは、そのあたりを私なりに形にしたいという思いからおこなったものである。
 (そのあたりの話は、インタビュー直後の2009年7月3日の記事にもある)

 で、そもそもムチャクチャ長いってのもあるし、例によって全体をまあ今回は20回ぐらいに分けて、小出しに公開していこうと思う。
 最初の3回ぐらいは山下氏の幼少時(というか、郷里・長崎で過ごした高校時代まで)の話で、いよいよ本題に入るのは4回目あたりからになるが、要するにその“高円寺デビュー前”の話もなかなか面白いので、じっくり読んでいただきたい。