深夜の半身浴中。


バタバタと過ごすオフシーズン。

シーズンで酷使してきた肉体と精神のケア。
次のステージへ向けての逆算と現状との兼ね合いから流動的になるトレーニングスケジュール。
各国、各リーグ、各チームへ狙いを定めてアプローチ。
そのための資料作成。
オフシーズン限定で開催しているベースボールクリニック。
支えてくれた人達へのご挨拶や近況報告会。
トークライブ。

9ヶ月ぶりに帰ってきた家のこと、もろもろ…

忙しく動いております。


そんな中でも久しぶりにともに生活している妻との時間、家族との時間、同志と言うなの仲間との再会は最高に熱いエネルギーをくれます。

魂の帰ってくる場所。

外国人選手として、野球選手として、社会人として、日本人として、男として、夫として、息子として、兄として、友として、色んな役割によって生かされていること仕事をしていることの意味や価値を、言葉以上の温もりで明確にしてくれる場所ですね。


毎回、毎回、何度も何年も繰り返していますが深い孤独との戦いになるオフシーズン。
契約先が決まるまでは目標が立てれないのでトレーニングのモチベーション維持も大変なんです。

だけど、こうやって忙しくしていると気も紛れて「精神のエアポケット」に落ちることもありませんね(笑)


2006年2月。
僕の海外での活動の中で一番辛い時期でした。
2005年秋に中日ドラゴンズを退団した後、現役復帰のためアメリカ行きを決断したもののツテもなければ方法もルールも分からない。英語も出来なければビザだとかトライアウトのエントリーなんかも分からない。真っ暗闇の中にポツーンと落ちてしまっていました。

マスコミは日本のプロ野球のキャンプインを賑やかに報じ始めたのですが、
「いわゆるプロ野球選手たち」と「プロ野球選手であろう僕」との温度差は悲惨でした。
テレビ画面の中では開幕に照準を合わせて投げ込みをする選手たち。
日に日に好調な選手などがクローズアップされ始めます。

一方、僕は明日の練習場所、練習相手を探すのに一苦労。
雨が降れば高速道路の高架下のスペースを探して練習。
相手のスケジュールが変更したりして練習相手が見つからず投げれないとモチベーションはドン底。
練習に使う道具、肉体のケアにかかる治療費も当然だけど自己負担。
収入のない中、移動費も自己負担で経済的不安も増すばかり。

野球界を離れて初めて自分がどれだけ恵まれた環境にいたのかを痛感したものです。
今となっては、それ程までに依存してしまっていたのだと思います。
管理されることに慣れ、自分から動いて仕事をしようと考えることが少なかったんでしょう。


当時26歳の僕は自分の野球に対する正直な気持ちとそれ後押しする肉体の若さに対し、
前例のないことに反対する周囲の反対姿勢や前進しな現状中でもがいていました。
この腕があるから「投げたい」なんて思うんだ、と自暴自棄になりそうなこともありました。

なぜ?自分の気持ちに素直に生きようとしているだけなのにこんなに苦しいんだろう。

そう、考える日々が2ヶ月ほどありましたが、5月に米独立リーグのカルガリーヴァイパーズと契約して現役復帰を成し遂げたあとは悟りました。

僕が悩み苦しんでいたことは海外の野球選手達はみんな当たり前に経験していること、だったからです。そう、海外の野球リーグでは明日リリース(契約解除)されてしまうか分からないのが当たり前で“契約していない期間”なんていうのは当たり前のこと。自分がプロ野球選手として生きている間は“無職”ではなかったんです。もしかすると、契約期間中でも戦うことを辞めてしまった者は既にプロ野球選手ではないのではないか、と思うようになりました。フリーランスと呼ばれる人達は常に泳ぎ続けなければ溺れしまう生き物でプロ野球選手とは本来 そういうモノ なんだと今では自覚できるようになりました。

日本の野球観、固定観念からの脱却を僕は経験したのです。



それからは海外の野球選手達もやっていたようにオフシーズンの間にアルバイトもしたし、野球(仕事)のために節約するようにもなりました。スポンサーさんを自ら探してお願いに行ったりもしました。

中学、高校、プロとスカウトされて来た僕は自分が「選択する側」から「選択してもらう側」に変わっていることに気づきました。

恐らく日本でマイナースポーツと呼ばれる世界のアスリートの方達はみんな、こうやって自分のやりたいスポーツを継続しその道を極めようとしているのだと知り、どんなスポーツでもリスペクトして見ることが出来るようにもなりました。それまではただただ「すげーなぁ」くらいだった感情が「この人はどんなバイタリティで苦労を乗り越えてこのフィールドに立っているのだろうか?」と考えると興味とそのプロセスの偉大さに感動するようになりました。

「チャンスは必ず来る、なんて嘘だ。チャンスは死ぬ気で獲りに行け!」

そう思えるようになったのは野球選手としてでなく、仕事を持つ者として大きく成長出来たのではないかと思います。


とはいえ、そう悟った所で簡単に希望する契約が取れるほど簡単な世界ではありません。
ここまで生き延びてきたことすら、やはり行く先々で出会った人達との縁のおかげです。
これは奇跡だと思っています。
日本では1軍にも上がれずにいた無名の野球選手が外国人助っ人として海外プロリーグで生き残って行く物語。こんなのは人と人との出会いなくして叶うわけがありませんね。僕の力を見抜き信じて使ってくれたこと、その小さなチャンスをくれたことへの感謝が僕には大きなエネルギーになったのです。

「自分を信じてくれた人、認めてくれた人のために結果を出すんだ」と欲のない良い緊張感となっていました。

これからも感謝の心を忘れずに、謙虚に貪欲に自分を信じて、最期まで全力で生きます。

野球は成長する喜びや人と人とが繋がり変化をもたらす本当に素晴らしいスポーツです。
野球に携わる全ての人が幸せになるように、僕は全力でプレーします。

そしてそれを伝えていくことを誓います。


もうしばらく…そんな世界の野球のリアルにお付き合い頂ければ幸いです。

宜しくお願いします






o(・∀・)o 「ざぁぁぁっす。」