この本は、並々ならぬ決意で書かれたものだ。
タイトルを見たときにそう思った。
ほんとは、なかったことにしたい。だが、やむにやまれぬ想いで書かれた本だ。
書いたのは、元タカラジェンヌの東小雪さん。
この本を書くことで、多くの人を傷つけてしまうかもしれない。
しかし、自分の生きる力を取り戻すために書いた。
この本を出す意味を考え、迷い、悩み、葛藤し…
出さないほうがいいかと怖気づいたこともあった。
自分の体験と真正面から向き合うことで、「私を生きよう」と思った。性虐待がなかったことにされている現状を憂えて、
一石を投じたかった。
東さんは、1985年、石川県金沢市生まれ。。
3歳くらいから地元で子役の仕事をしていた。
父は、演劇活動の中心人物で、地元ではよく知られた存在だった。
家庭でも「非の打ちどころのないお父さん」だった。
今から思えば、そのお父さんにされていたことに目をつぶりたくて、
いろんな症状が出ていたのかもしれない。
小2から不登校、摂食障害、意識障害伴う痙攣発作、難聴、
視力低下や視野狭窄・・・。だが、当時の記憶はあいまいだ。
小2~6年まで、学校に行かず、金沢市の教育センターで過ごした。
高2で、女性が好きと感じる体験をし、
自分のセクシャリティー(性的傾向)が他の人と違うことに気づいた。
ピアノやバレエも習っていた。
真琴つばさを特集する「宝塚グラフ」を見て
タカラジェンヌにあこがれ、宝塚音楽学校を受験。1浪の末、入学。
2005年、宝塚音楽学校を卒業、第91期生として宝塚歌劇団に入団した。
「あうら真輝」の芸名で男役として花組に配属されるが、
ほどなく退団した。
あこがれの宝塚では、上級生によるイジメが待っていたのだ。
音楽学校でも、歌劇団でも。
初舞台に立てる精神状態でなくなり休演。そのまま退団した。
宝塚退団後も茨の道が待っていた。薬物依存との戦いだった。
抗不安薬を睡眠薬と思い、大量服用してしまい、
オーバードーズ(薬の大量摂取)による緊急入院。
以来、オーバードーズやリストカットの繰り返し。
自己否定、自殺願望。最悪の精神状態だった。
つけられた病名が「境界性人格障害」
感情や行動、対人関係が不安定になる障害だった。
追い打ちをかけるように、父の病気が悪化した。
金沢に里帰りしたが、実家に居場所がなく、極度の緊張感が拭えず、
自宅の窓から飛び降り、自殺未遂に終わったが、
精神科閉鎖病棟へ入れられた。
父は、2008年、悪性リンパ腫で死去した。
父の死後も迷走を繰り返していたが、
ようやく明るい変化の兆しが出てきた。
2010年9月16日、Twitterに芸名とレスビアンであること公表。
2011年春、いまのパートナー増原ひろこさんと出会う。
2011年秋、催眠療法士の岩本令子さんとも出会う。
岩本さんのカウンセリングを受け、
自分の心の奥底に秘められていた「父からの性虐待」という
深い闇と出会った。過酷な現実から無意識のうちに逃避していた。
膿を出すように、封印していたおぞましい光景が蘇っていった。
お風呂場での父から受けた行為。
その行為は、小2から中2の初潮が来る日まで続いた。
少しずつ、過去に置き去りにされた感情の記憶を解放していって、
楽になっていった。
カウンセリングで「あなたは何も損なわれていない」と言われ、
救われた。薬も完全にやめられ体調も改善し、
恋人の出現で、精神も改善された。
LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)
支援のための活動を始めた。
2013年3月には、東京ディズニーリゾートで初の同性カップルによる
結婚式を挙げた。
波乱万丈、紆余曲折・・・ほんとうは封印したいことを、
いやいままで封印してきたことを、白日のもとにさらすのは、
相当の勇気が必要だったことだろう。
ボクも、その勇気に敬意を表したい。
そして、
過去に封印したままの母親との関係が改善されることを祈りたい。
(日曜はがんばらない出演時 2014.10.9撮影)