被告訴人である私選弁護人木梨松嗣弁護士選任の経緯について 2013年7月18日/告訴状作成の下書 | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。

はじめに母親から私選弁護人をつけるように薦められていたのは、まだ金沢西警察署の留置場にいる頃でした。京都の親戚の人が費用を工面してくれるのでお金の心配はいらないとも話していたと思います。それを断って国選でいいと言っていました。

なぜ国選にこだわったかというと、自分の事件のことを誰よりも知るのは被害者の家族だし、保身のために余計なお金を掛けるつもりかと受け止められると、ただでさえ決定的に悪くなった印象をさらに悪化させてしまうことをおそれたからです。

しかし、それほど深く考えていたわけでもなく、ただただ当時は金沢西警察署出頭直後の緊急搬送時に意識を失い、意識不明で植物人間になるかもしれない状態になっていると聞く被害者の容体の回復ばかりを考えていました。

刑事裁判や弁護士の役割に関する知識もほとんどなかったです。平成4年当時というのはパソコンすら個人的なものとして普及はしておらず、携帯電話も最近になって会社に一台導入した、という話を聞く程度でした。現物もみましたが、ずいぶんと大型なものだったと記憶しています。

長距離トラックの運転手をしていたこともありテレビを観る機会も少なく、弁護士が出てくるような裁判もののドラマを観ることは皆無ではないものの、かなり少なかったかと思います。

それでも鮮魚や青果の長距離輸送という仕事柄、現地に泊まり込んで時間を潰すことも多かったので、コンビニにおいてあるような週刊誌はよく読んでいました。泊まると言ってもほとんどの場合は、トラックの中で寝ていました。九州や東北が多かったです。

そんな週刊誌のなかが多かったように思いますが、弁護士と言えば悪徳弁護士という言葉をよく覚えていました。そういうイメージも少なからず影響はしていたと思います。何よりも被害者家族の理解を得ること、これが唯一の最善の道だと考え、疑いを持つこともなかったです。




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