曹洞宗 | 獨と玖人の舌先三寸

曹洞宗

某が家の宗派を紹介しておきます。以前、リクエストも頂いておりました。


そうとうしゅう。
吉祥山永平寺(日本曹洞宗 大本山)を開いた道元禅師(1200~1253年)が、南宋から伝えた禅宗の五家七宗の一派です。
永平寺は、越前にある本山の意より、越山(えつさん)とも通称されています。
諸嶽山総持寺(横浜市鶴見区鶴見)も本山とされています。

禅宗の開祖は達磨大師(5~6世紀)です。
達磨大師から数えて6代目にあたる、六祖 慧能禅師(えのう。7世紀)がおられた場所が曹渓山宝林寺であったことから「曹」の字を採り、曹洞宗の開祖とされる洞山禅師(とうざん。慧能禅師より5世代後、9世紀)の「洞」の字を重ねて「曹洞」宗とされます。
道元禅師は、慧能禅師の正しい宗風を伝えていると共に、達磨大師の正しい仏法、さらには釈尊の正しい仏法をも伝えているということから、「正伝の仏法」と示しました。
現在の宗教法人名は、曹洞宗というだけになっています。“日本曹洞宗”は、中国に存在した曹洞宗の系統と区別するためと思われます。また、“曹洞宗道元派”と記されていることもあります。
曹洞宗の御本尊は、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)です。また、高祖(道元禅師)と太祖(4代目瑩山禅師(けいざん))を尊び、これを“一仏両祖”と言います。

仏祖単伝の正法に遵い(したがい)、只管打坐(しかんたざ)、即心是仏(そくしんぜぶつ)を承当することを宗旨としています。
成仏とは、一定の水準に達することで完成するものではなく、たとえ成仏したとしても、さらなる成仏を求めて無限の修行を続けることこそが成仏の本質であり(修証一如)、釈迦に倣い、ただ坐禅にうちこむことが最高の修行である(只管打坐)と教えます。
修行の基本は坐禅です。坐禅だけに限りませんが、ただひたすらに坐禅を行うこと(只管打坐)を最重要と考えています。そして、坐禅の心と姿で、日常生活を生きていくこと(即心是仏)を説かれます。

道元禅師は、阿弥陀念仏や他土往生には批判的でした。
「又、読経念仏等のつとめにうるところの功徳を、なんぢ、しるやいなや。ただ、したをうごかし、こえをあぐるを、仏事功徳とおもへる、いとはかなし。仏法に擬するに、うたたとほく、いよいよはるかなり。又、経書をひらくことは、ほとけ、頓漸修行の儀則ををしへおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめむ、となり。いたづらに思量念度をつひやして、菩提をうる功徳に擬せん、とにはあらぬなり。おろかに千万誦の口業をしきりにして、仏道にいたらむとするは、なほこれ、ながえをきたにして、越にむかはむ、とおもはんがごとし。又、円孔に方木をいれんとせん、とおなじ。文をみながら、修するみちにくらき、それ、医方をみる人の、合薬をわすれん、なにの益かあらん。口声をひまなくせる、春の田のかへるの、昼夜になくがごとし、つひに又、益なし。」 (弁道話)
晩年になり、釈尊に対する称名念仏を肯定されるようになります。只管打坐において、余行と批判されていました。
「他のすすめによりて片善を修し、魔に嬈せられて礼仏する、また発菩提心なり。しかのみにあらず、知家非家捨家出家、入山修道、信行法行するなり、造仏造塔するなり、読経念仏するなり、為衆説法するなり、尋師訪道するなり、跏趺坐するなり、一礼三宝するなり、一称南無仏するなり。」(“正法眼蔵”発無上心巻)
曹洞宗では、「南無釈迦牟尼仏」と称えます。
浄土教の他力本願の念仏とは異なり、釈迦牟尼仏に帰依するという意味で、本唱名を称えています。

室町時代以降、全国へ教線が拡大する過程で、各地の神仏・信仰・風俗などと習合し、葬儀や授戒、卒塔婆による供養、念仏、密教による加持祈祷などが積極的に取り入れられるようになりました。
曹洞宗の僧侶が、これらの民俗宗教的実践者として認知されることが可能なのは、只管打坐による禅定力を、民衆が感じとっていたためと考えられています。
江戸時代、幕府による宗教政策に従うことで規模を保ちました。
明治時代、政府の廃仏毀釈によって一部地方では大打撃を受けました。
その後も多くの篤信僧、篤信者を輩出し、こんにち現在、14,000ヶ寺以上の寺院を有する、単一宗派として日本最大の規模を誇る宗教団体です。