曹洞宗2/だるま/健康/i | 獨と玖人の舌先三寸

曹洞宗2/だるま/健康/i

人物注釈のち……です┌(_ _)┐


◎祖師 達磨大師――
古史では達摩とも表記されています。菩提達磨。ボーディダルマ。ダーマとも。ダルマはサンスクリット語で“法”。南インド タミル系パッラヴァ朝国王の第3王子。
中国禅の開祖。
洛陽郊外の嵩山少林寺にて、面壁(めんぺき。壁に向かって座禅を組むこと)を行いました。
確認されているだけで曇林、慧可の弟子がいます。宗派は当初、楞伽宗(りょうがしゅう)と呼ばれました。



●だるま――
“面壁九年”で、達磨大師の手足が腐ってしまったという伝説により、坐禅姿を模した置物、玩具としての“だるま”ができました。
現在は宗教・宗派を超え、縁起物として親しまれています。
日本では、だるまは赤色(朱色)を基調とした塗装で作られます。火や血の色である赤は、古来から魔除けの効果があると信じられていました。
縄文時代には、当時魔法の器具ともいえる一大発明であった土器を作り出す火や、命の糧である動物の血に力を感じていたと考えられています。
古墳では、石室に水銀朱がまかれ、貴人の亡骸の腐敗を防ぐ役割を期待されました。
平安時代には、貴人の住居や神社の鳥居も、腐食を防ぐ赤である丹で塗られました。
お祝い事の席には、衣服にしろ食べ物にしろ赤が欠かせぬものとなり、様々な病や災いは赤色を持って防げると考えられてきました。
江戸時代以降、日本で描かれる達磨大師の絵はたいてい赤い衣を纏われています。
縁起物として、紅白となるよう白いだるまを作ることも行われてきました。現在は、色彩効果など関係なく、色とりどりのだるまが作られています。

※越谷だるま――埼玉県越谷市製造。“武州だるま”とも呼ばれ、享保年間(1716~1736年)に、間久里の“だる吉”という人形師が、従来あった“起き上がり小法師”という玩具に座禅を組んだ達磨大師を描いたのが始まりといわれています。
他に比べて色白・鼻高・福福しいという特徴があり、川崎大師や柴又帝釈天など関東一円をはじめ、全国に広く出荷されており、「越谷だるま」の名で知られています。越谷市だるま組合の越谷市の7軒、さいたま市岩槻区1軒、春日部市1軒により、年間約40万個のだるまが生産されていますが、そのほとんどが手作業によります。

※東京だるま。別名 多摩だるま。東京西部、現在は拝島大師や深大寺などで売られているものがそうです。

※だるまとは別に、各地の郷土玩具に“起き上がり小法師(こぼし)”というものがあります。これは底を丸く、重心を低く作ることによって、倒しても起き上がるという置物です。球体に近く、腕もなく足もない形状であるため、これに顔を描いたものが次第にだるまと混同されるようになりました。
江戸時代、中国から長崎の黄檗宗の寺院に持ち込まれた起き上がり小法師は、インドで僧侶の衣服の色として用いられた黄色であったと伝えられています。

武州でだるまをお求めの際は、どうぞ越谷を思い出してネ!O(^・x・^)oニャ!



◎慧能禅師――
えのう。“本来無一物(ほんらいむいちもつ)”を説きました。
「菩提、本(も)と樹無し、明鏡も亦、台に非づ本来無一物 何れの処にか塵埃を惹(ひ)かん。」
(菩提はもとより樹でなく、鏡もまた鏡でない。本来、無一物であるのに、どこに塵がつくのであろう。)
悟りや煩悩の概念に囚われた世界をきっぱりと否定し、悟りや煩悩ばかりか、“一物(いちもつ)も無い”と言う考え方さえ存在しない、一切の囚われを否定しつくした世界こそ、「禅である」と説かれ、後継となりました。
慧能禅師の禅は、南宗禅と呼ばれ、臨済宗や曹洞宗など五家七宗はみな、慧能禅師の弟子です。

※五家七宗――
中国禅宗の宗派、仰宗・臨済宗・曹洞宗・雲門宗・法眼宗の五家、臨済宗の系統 黄竜派と楊岐派とを合わせて七宗と言います。


◎曹山禅師――
曹洞宗の名称が、師の教えを広めた弟子である曹山禅師の「曹」という説が採用されてきていますが、師より前に名を連ねることはないという考えから、現在は前述が望ましいと説明されています。
曹山禅師は洞山大師の弟子ではありますが、その教化の後継は雲居禅師(46仏)がされているため、筋違いとも捉えられます。





坐禅は、必ず私生活、社会生活に影響を顕します。坐禅と日常生活はひとつということです(禅戒一如(ぜんかいいちにょ))。
現代もたびたび、ややの流行を見受けます。

今ここに生きている、かけがえのない命を、事実のままに生きる――

日常生活を大切にしよう。生きること、人生そのものが、修行である。
この自己の修行が、そのまま仏の行であると教えています。
自宅の仏前で、正座をするのもありでしょう(*^ー゜)v





◎面壁九年(めんぺきくねん)――
九年間の長い間、壁に向かって座禅を組んで修行すること。転じて――
ひとつの目的に忍耐強く専念して、やり遂げること。
長い間わき目もふらず心を傾け、努力を続けること。
(石の上にも三年……なんともヌルく聞こえてしまいます。)





※おまけ――
アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトは、日本文化についての著作“菊と刀”の中で、
「~(略)~彼ら日本人は、死後に生前の行いに従って、極楽と地獄に行き先が分けられる、という本来の仏教のアイデア(※因果応報を指しています。)を拒絶したのだ。
どんな人間でも、死んだらブッダに成る、というのだ。(中略)他の仏教の国で、そんな事を言う所はない。~」
と記しています(―¨―;)
まあしかし。この本は大層なコトがつらつら書かれていますが、彼女自身はただの一度も日本へは来ていません(たしか(-ω-;) 書いた後に来ているんだったかなあ?)。
日本に滞在した者、旅行した者の書物を読みあさって記したものなのです。著名な書物ですが………………。










ハイ、今日の歌は~……(“思い出した言葉”シリーズですよ~ノシ)

花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに――

小倉百人一首にも選ばれた、小野小町の和歌です。
“いたづらに”は「無駄に」。
“世にふるながめ”は、「降る長雨」と「経る眺め」とのふたつの意味が含まれています。
“花の色”は「我が身」にかかっています。

花の美しい色が、長雨のうちにすっかり褪せてしまった。それと同時に、わたしの容色も物思いに耽っているうちにすっかり衰えてしまった。
現代では決して読まれないでしょう?
「花のいのちはみじかくて――」
なんて。

昭和にはこんなことも言ってましたね。
「娘十八、花なら蕾。」
女性の美しさはよく花に例えられますが、まさにその美しさが、花開こうとする年頃ですねΣ(● ̄◇ ̄●)

※“花の色”とは、現代常識的には桜を指すそうですが、古今和歌集の選者たち(紀貫之ら4名)は桜花として扱っていません。










※超おまけ――
ハイ、美しさについて、アドバイス(*゜ー゜)v
(いつも通りな?w 女性へのメッセージww)
正座すると、背筋(せすじ)が勝手に伸びるでしょ。アレだけで背筋(はいきん)は鍛えられていますp(^ ^)q 伸ばすだけでイイんですッ( *`ω´) q)))
正座をしても丸くなるのはヤバい(;゜∇゜) それに、女性は猫背が多いよねw
それから、正座の時はもちろん、日頃 椅子に座る時など、股を閉じるよう心掛けましょうww
電車なんか特に、“みっともない”って映ってしまうよね(-ω-;) 男もほどほどの方がカッコいいぞww
股を閉じているのって、実は大変だよね。つまり筋肉が使われている。閉じているだけで、肛門部の筋肉が鍛えられているというわけ(((o(*゜▽゜*)o)))
正解な数字を忘れてしまったけど、20代で20%、30代で30%、40代50代で50%、60代で40%、70代以上では30%の人に尿もれがみられ、その中の更に(全体の)20%が失禁を経験しているそうな(´◇`;)
その原因のひとつが、肛門部の筋肉の未熟や衰え。開閉運動を行うのが最適ですが、若いコはまだ、その程度の心がけで変わってくるのでは?

人間は、運動不足なのではなく体操不足なのだ、と唱える方は少なくありません。
日頃、ラジオ体操の類い、体育前の準備体操の類い、そしてストレッチ。全身の筋肉スミズミに日々刺激を与えることが、身体的な健康の秘訣だそうです。
まあ……毎日、よく食べ、よく動き、よく寝れば、自ずと健康体になっているんですけどねwwww


おまけ。
うつうつな日や考え事がある時は、部屋なんかでじっとしているより、外に出て身体を動かした方がいい。散歩なりジョギングなりね。まず健康であること。血液の循環が高まり、肉体的に解放感・爽快感が得られ、そのまま心に作用する。そして脳みその回転がよくなるわけだ。
身体を動かすなんて嫌い、なんて人種もけっこう見かけるが……生きる営みと思って取り組んでみてはどうだろう。
これ、キープ・アクティブと言います。じっとしていると物事を悪い方へ考えてしまうんだ。

“健康”に明確な基準てないんだよね。国家ごとに規格を設けてはいるけど。
なのに、誰も彼もが自分の健康維持に躍起になっている┐(´Д`≡´Д`)┌



それでは~また~ε=ε=ε=┏( ^д)┛