昨日、午前中に藤井両親が上京
年越しを一緒に、こっちですることにした
2人とも64歳。
結婚してから愛媛以外で年越しするのは初めてらしい
いつも練習しているグランドへ2人を連れて行って藤井父と久々キャッチボール⚾️
高校で野球やっていたとはいえ
64歳でキャッチボール出来る藤井父は、親ながらスゴイと思う
運動神経的には僕の3倍は良い
走るのも速い
小学上級生くらいまでは
受け継いでいたんだけどな
引退すると決めて最初に報告したのは藤井父だった。
僕が野球をしてる姿が生きがいで
藤井母を含め父親が喜んでくれてるから
練習が嫌でも習い事が嫌で辞めたくても続けてきた野球だった。
引退を僕以上に残念がりショックを受けたのは藤井父だろう。
自分の為にしてる部分もプロになって割合が増えてきたが、大半は藤井父に喜んでもらうために頑張っていたので、いつだったか父の日に福岡ドームで完封したのは嬉しかった。
試合前練習から神経が研ぎ澄まされてる感じで、
狙って完封したからだ。
もしかしたら、この日以来の完封だったのかも
あの無完封、珍記録は
小学2年から野球を始めた。
雨や夜遅くなった日は車に自転車を積んで帰ってくれ、
自分がリトルリーグの臨時コーチになってくれたり
教習所の先生だったから
県外のチームとの試合ではバスを運転して、みんなを運んでくれたりしたm(_ _)m
この30年間の野球人生、
親への感謝の気持ちは相当だけど
それを超越した言葉にしにくい気持ちがある。
基本、僕は藤井父の話に弱い。
今も外で書いてるから泣くのを必死に我慢している。
目が軽く充血、鼻がツンとしてしまっているのを周りに悟られないようにしているところだ。
キャッチボールの時も
藤井母が撮影している横で泣きそうになるのを、かなりガマンしながら投げていた。
愛媛の実家辺りでフルadidasを着ているのは藤井父くらいだろう
僕のお下がりや、プレゼントしたのを着てくれている。
かなり新品を送っているはずなのに
いつも似たようなのでローテーションさせている
なんでと、聞くと
勿体無いから。
着れなくなったら新しいのを出そう思ってるらしい(ー ー;)
あげたウェアなどを、その流れで着ようと思ったら100歳くらいまで生きないと全部制覇出来ないよ
息子としては
どんどん新しいのを着てみてほしいのに
藤井両親を連れて渋谷adidasへ。
adidas様には本当に感謝ですm(_ _)m
ジジ達も一緒に
ゆっくりした年末になりそうだ。