2015年7月27日:パート3

 安倍総理との出会いは、今から20年前。 1995年の夏。 亡父の急逝を受けて立候補した参議院議員選挙で初当選を果たした。 そのまま(自然な形で)亡父が所属していた清和会(福田派)に入会。 初めて出席した派閥の会合で、優しく声をかけてくれたのが、先輩の安倍晋三衆院議員(現総理)だった。

 当選した直後に(思いもかけぬ)「大きな政局」に巻き込まれた。 9月の自民党総裁選挙に小泉純一郎元厚労大臣(後の総理)が派閥の代表として立候補することになったのだ。 中川秀直衆院議員(元官房長官)を本部長とする選対が組まれ、事務局を手伝うよう指示された。 

 事務局チームでは、当時、安倍衆院議員の親友で、同い年の荒井広幸衆院議員(現参院議員)とがっちりスクラムを組んだ。 2人で小泉選対の様々なキャンペーン企画を立案した。 ドキドキする毎日だった。

 総裁選挙を契機に、安倍、荒井両代議士と3人で時々、食事をするようになった。 2人の若手衆院議員は当時、注目の的だった派閥横断の「グループ新世紀」(いわゆるYKK)のメンバーでもあった。 参院議員として山本一太だけがこの勉強会に加わった。 当時、参院のドンとして君臨していた村上正邦幹事長が、「衆院の動きには同調しないように」というお触れを出していたからだ。

 様々な会合で顔を合わせるようになって、気さくな安倍先輩がとても好きになった。 ウソをつかないのもいいなと思った。 あの頃、荒井広幸氏がよくこう話していた。 「今はあんまり目立ってないけど、いつか安倍晋三に総理をやってもらわないといけない。オレらが力を合わせて押し上げないと…なあ。」

 それから2年後の1997年10月、「この人はいつか必ず日本のリーダーになる!これからもずっと応援していこう!」と心に誓った瞬間に遭遇した。 自民党外交部会・日朝問題小委員会での安倍事務局長の発言だ。

 あ、もう午前1時を回っている。 この続きは次回のブログで。 


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」