私の劣等感物語 ~ドン突きにいくと、それは自己肯定に変わる~ | 山部香澄 自己表現を生きる

山部香澄 自己表現を生きる

自己表現を生きるためのステップ。



本日のBGM。



このコラボは、ハマる。




香澄です。




先日、自分史をつくった
というお話をしたんだけど。



自分の過去を振り返ると、
これでもかというくらい、

財産が発掘される。


とくに、よかった出来事だけでなく、
苦しみ、悩み、痛み抜いた出来事からも。


これがさ、終わったあとには
美味しいネタになるんだわさww





私は、どんな苦しみにもあ
ゲームの面クリアのように

かならず終わりがあると思っている。




そしてその「終わった地点」から眺めると
その苦しみにはかならずと言っていいほど

「それがあったからこそ学べたこと」
もセットになってついていると思う。



で、

いちどドン突きまで味わったら
それ以上悪くなれないから、

いい方に戻るしかない。


これが本当に収穫だったと思う。



スワロ
(昔の写真なので画素数が…)



私自身の、過去のそれを
今まとめて眺めてみると…

すべての悩みが「劣等感」に
はじまっていたことが分かる。




―――――――




劣等感から、人をくらべ

劣等感から、自己否定をし

劣等感から、自分を高めようとしはじめ

劣等感から、人からぬきんでようとし

劣等感から、持っているものを守ろうとケチになり

劣等感から、自分に合わない「格の高い」(?)人に近づこうとし

劣等感から、「格の高い」人といると恐怖をおぼえ、

劣等感から、フラれたときに地獄のように苦しみ

劣等感から、お金がほしいお金がほしいと思い

劣等感から、いらないものに「投資」といいつつ散財し

劣等感から、人の評価が気になりまくり

劣等感から、周りの人を自分より低く見ようと頑張った。



どれもこれもが
裏を返せば劣等感から始まっていて。

劣等感?なにそれ美味しいの?
みたいな人を見ると羨ましさでイラつき、
また口を閉ざす。



劣等感を克服しようとする過程で
努力することでハイになって

楽しいと思ったときも一瞬あったが


始まりが劣等感だから
それは幻だったと分かり

自分を高く見たいもんだから、
周りの反感を買ってまた痛みに逆戻りした。



必死えのぼっているつもりでも
アリ地獄のように落ちていく…

そんな気持ちを繰り返しているときは
それはもう、ツラかった。




―――――――




今もくらべたりとか
劣等感、ないわけじゃないけど

98%くらいはどこかへ飛んでいった。


相変わらずセコイし羨むし比べるけど(笑)

それに伴う痛みは
かなり昇華されて、消えている。



以前は、

劣っていたものが
優れたものに変化できたから

劣等感がなくなるのだと思っていた。


上から見下ろす景色はさぞ爽快で
優越感にひたるのはさぞ気持ちいいことだろう、と。




初期
(ドヤァ)



でも、そうじゃなかった。

劣等感は優越感とあまり変わらない。



逆があるとしたら、
「自己肯定」だ。




そして別に私の人生、
なにも上がっちゃいない。




上下だけでいうと、

昔の方がむしろ
若かったし体力もあったし
それなりに人間関係も華やか(風)で

よかったことは多いかもしれない。





でも、

ひとつだけ決定的にやめたことによって
当時持っていたすべての劣等感から

抜け出すことができた。





やめたこと。
それは、

◆自分の感覚よりも、不特定多数の周りの意見を優先すること。



もちろん、誰のいう事も聞くな
ということではない。




「不特定多数の」
というのがポイントで


実は劣等感のある時には

・街で通りすがりのモデル級の美女

が言うことや

・社長と名のつくただのおじさん



・テレビ画面でしか見たことのない毒舌オカマキャラ

の言うことなんかまで
すべて、間に受けていたりする。


信じるのは勝手だが

それをえてして、
劣等感を強化するためにすら、使おうとする。



自分のことを
いちばんよく知っているはずの自分は

一切、自分の心に耳を傾けないのに。




私も、長く寝るものは怠け者だ、
そんな奴は成功できない

とどこかで聞いたからか

短眠を実行して身体を壊したことがある。




今は、ええ、一日10時間寝れることも
余裕でありますわ(笑)。



それがそもそもの私であり

それが起きている時間をもっともゴキゲンに、
精力的に生きるスタイルだから。





私が、「劣等感」というギフトから
いちばん学んだことは…


優れていてもいなくても
そんな自分を心から認め、ねぎらうこと。

何をやってもやらなくても
私、よくやった!

と心から声をかけること。



利久


もはや、胃の中にある
大量の食物を消化しただけでも

最近は「よっしゃよっしゃーーーよくやった!!!」

である。


(食うたのも自分やけどw)


消化ってなかなかの重労働ですよ、実際。




そこから、始まる。




それを続けてくると
いかに劣等感にまみれた自分が

「夢」だと憧れてきたことが
ほとんど「幻」でどうでもよかったかが分かる。



ほんとに大事なものが、分かる。



そうしたら、幸せになるのなんて一瞬だ。



これが私が痛みの自分史から得た、
いちばんのギフト。



(ウインク、下手か)





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