無条件で正当化できる用語に頼らない | MAKAのブログ

無条件で正当化できる用語に頼らない

言葉には、使用しただけで「無条件で正当化できる用語(フレーズ)」が存在する。


言い換えれば、「前提を問うことすら許されない」と一般に認識されている用語とも言える。



例えば、


「愛(情)」

「人間らしさ」

「○○なのが人間」

「○○なのが人生」

「それはあなたの考えでしょ?」



といった用語だ。



こういった多くの「必殺」フレーズを、


わたしたちは親や教師や友達から感覚的に学んでいく。



幼少時、初めて相手にそれを使われ、よくわからないまま言いくるめられたときの、


あのモヤモヤ感をひきづったまま、何かの拍子になんとなく自分も使ってみたら


相手が反論に詰まって、「これは便利だな~」と癖になる。


そして、使いどころも段々巧みになっていく。


くだらない口げんかは、こういった用語の使い方や、


そこへ持ち込むまでの展開が上手いかどうか、先手を取れるかどうか


でほとんど決まるんだということを感覚的に学んでいくわけだ。




そういう連鎖で今日までさかんに使われ、その存在が強化されてきた言葉たち。


そして、それらの用語でケンカや議論のようなものをしつつ、何十年も過ごし、


死期迫り、欲望がそぎ落とされ、虚が取れたときにやっと気が付く。


あれほど強く他人に主張してきたことはなんだったのだろう?


あれほど正義と思いこんできたものの根拠はなんだったのだろう?


それらの源泉は、自分の利益を実現するために都合よく利用した、


言葉の寄せ集めでしかなかったのではないか?


相手に言ってきた言葉を、実は自分で何一つ信じていない、と。



このように、自分は結局何一つ確信を持って理解していないということに気が付くのだ。



これらの用語は、言葉なのに、具体的なモノや概念を示すわけでもない。


「イメージ」だけでやりとりされており、中身は何も無い。


そのイメージでさえ、使用者の全員がそれぞれ違っている。


だから、つかみどころなく、共有・検証・反論のしようがないのだ。


それでいて、人の反応だけを拘束する、薄気味悪い「幽霊用語」たち。




一般に、通常の会話の中で、論理的な思考を展開することは難しく、


多くの人にスラスラと理解されるのは、


「○○だから、○○だ」くらいが限度だ。


このくらいの短文でも、コミュニティーによっては説明くさいと拒否されることもある。


従って、会話のやりとりは、


「あれって佐々木じゃない?」

「うん、佐々木だと思う。」

「あそこの店おいしかったよ」

「へー今度行ってみようかな」


といった1フレーズのやりとりになりやすい。



これはケンカや言い争いや議論のときも同様だ。


言い争いのような、ほとんどの明確なルールのない闘いの結果は、


多くの人を味方に付けられるか?で決まる。


そのとき、周囲に理解されやすく、支持されやすいのは、


やはり1フレーズの用語となる。



「愛(情)」

「人間らしさ」

「○○なのが人間」

「○○なのが人生」

「それはあなたの考えでしょ?」


といった先述の用語は、1フレーズで用いやすく、


使える場面も幅広いため、非常に便利だ。


このような構図があり、「幽霊用語」を使えない側が負け、


巧みに使える側が勝つ。という不毛な構造ができあがっている。



格闘ゲームでいえば、いつでもコンボに組み込める必殺技のようなもの。


そういった必殺技とコンボをたくさん覚えていつでも繰り出せるかどうかが、


格闘ゲームの勝敗を分ける最大のポイントとなる。



テレビの討論番組などでも、この構図はほとんど変わらず、


お互いに自分が支持する学説や所属する集団の見解をくり返し、


相手の主張を幽霊用語で攻撃する、というのを繰り返しているだけ。



実のある議論、話し合いを行うためには、


こういった「幽霊用語」を排除することが必要不可欠だ。


「幽霊用語」を用いずに、説明・説得する技術を身につけることは、


本当に有益な論理性を身に着けるための第一歩となる。



そして、双方がより良いものを目指すことを話し合いの共通の目的として掲げ、


「ルール違反」をせず、相手の主張を理解する姿勢を持って話しあいを行えたとき、


必ず、有意義な知見が得られ、双方の信頼も強化される。



そのためには、その事象や概念について本当に深い知見、


知見が不足し、相手に有益な情報を提供できない場合は、主張を控え、聞く側に徹する姿勢、


が必要なのはもちろんのこと、



「相手をいいくるめたい!」

「議論に勝ちたい!」

「正しさを認めさせたい!」

「モノを売りつけたい!」

「いいね!が欲しい!」


といった自分の動物的利益よりも、



相手のためを考えて発言し、

自分が学ぶために聞き、

共通の目的を達成するために動く、


といった人間的利益を優先することが必須となる。




「話しあいじゃなくて、感情をぶつけ合っているのだ!それが良い関係だ」


などと都合よく正当化して自らを省みないうちは、

幽霊用語や演技で相手を表面的にコントロールすることで


満足を得ようとする悪癖を改善することは難しく、


それは、穴の開いたバケツに水を入れようと頑張っているようなもので、


くたびれて水を入れることができなくなったときに関係が破綻することになる。



感情は、自らのバケツの穴の原因や、位置や、大きさを調べ、


「穴=慢性的な感情のトラブル」を修復していく以外に、鎮める方法はない。



愚痴をはじめ、誰かや何かに感情をぶつけてスッキリするのは、


一時的な応急処置にしかならないと心得ておくことだ。