SEALDs KANSAIのデモに行って来た。 | 沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

沖野修也オフィシャルブログ Powered by Ameba

Kyoto Jazz Massive 沖野修也 Official Blog

今週の日曜日


京都で行なわれた

SEALDs KANSAIが主催した

デモに行って来た。


実は

官邸前や関電前のデモに

参加していたものの

その規模の縮小や収束と共に

デモというものから

足が遠ざかっていた。


しかし、

毎金に

国会前で行なわれている

SEALDsのデモに

奥田愛基さんから

お誘い頂いて

僕は考えを

変えることになる。


実際に、

SEALDsの若者達が

ラップをしている映像を観て

「あれは

音楽家がやるべきことでは・・・」

という思いを抱いていたし、

渋谷駅前で行なった

World Peace Festivalも

SEALDsのデモに

触発された部分が

大きかったからだ。


ただ

京都と東京を

頻繁に行き来している僕は

全く予定が合わず・・・。

たまたま
8/23は京都にいて

遅れていた

ラジオの選曲提出があったけれど、

丁度

SEALDs KANSAIの

デモがあったので

参加することにした。

出発地点の

円山音楽堂には

間に合わなかったので、

四条木屋町から合流。


ダフト・パンクの

「GET LUCKEY」を

オケにして


トラックの上で

若い2人のMCが

ラップ調のコールをしていた。


そのオケのチョイスは

今っぽいし

悪くないと思った。

僕を含めて

その質や音楽性は・・・

なんて言う人がいるけれど、

あれはあくまでコールで

ラップのスタイルを

取り入れたと思えば

よくやっているんじゃないかなぁ。


結構、好感が持てた。

何よりも
あのコールには

ラップが本来持っていた

初期衝動があるのだ。


今のラップに

それがないとは思わないけれど、

学生達は本気で

"言いたいこと"を

口にしている。


しかも、
ラップ調にすることで

安保法案や

安倍政権に反対する言葉は

リズムとグルーヴを獲得し、

人の身体の中に

こだまを呼び起こし、

唱和のハードルを下げている。

もっと判り易く言おう。

楽しそうなのだ

(安保法案を巡る状況は

悲観的だけど)。


「戦争法案絶対反対!」
「戦争したがる総理は要らない!」

というメッセージが
メロディーのない

(厳密にはあるのだけれど

ないように聴こえる)

ラップ調のコールになり

誰もが

参加し易くなっている。


そこに

殺伐とした

ネガティヴな空気はないし、

声を出す気持ち良さを

その若者2人が

誘導してくれているかのようだった。


なのに、
僕は
最初
声を出さなかった・・・。

恥ずかしかったからだ。

「国民なめんな!」
とか
「安倍は辞めろ!」

という言い回しは

僕にはできない・・・。


実際に

自民党は

国民を舐めていると思うし、

安倍さんには

お辞め頂いた方がいいけれど

単純に抵抗があった

(理由は割愛します)。


だからと言って

彼らの発言を

否定している訳ではない。


心から

そう思っているだろうし、

僕が30歳若かったら

(現在48歳)

トラックに乗って

一緒に叫んでいたかもしれない。


という訳で

初めは黙って行進に紛れた。


でも
その内、
僕は
自分だけが

声を出していないことに

気付いた。


勿論、
長い行列の中には

黙って

プラカードを掲げているだけの人も

いただろう。


でも
僕の回りは

声を上げている。

おじいさんも
おばあさんも
お父さんも
お母さんも
勿論
若い人達も。

回りが

声を上げているから

自分も・・・
と思った訳ではない。

今度は
デモに参加しながら

観察者でい続ける自分が

恥ずかしくなった。


観察するなら
列を離れればいい。

実際に
観察する為に
列を何度か離れた。

でも
2度目に合流してからは

行列にいる間は必ず声を上げた。


もう

恥ずかしくはなかった。

コールは

強要されたものでは

なかったにも関わらず。


何しに来たの?

って話ですよ!

多くの人が

声を出して練り歩く。

だから

何事?

って道行く人が

振り返る。


一人よりも二人、

二人よりも三人の方が

ボリュームは大きくなる。

だから僕は
一緒に声を上げた。

それに
街の中で

自分が言うべきことを

声に出している

という自覚があった。

それは今、

僕が本当にやりたいことだった。

見知らぬ人との一体感も

そこにはあるしね。


ラップ調のコールは、

たとえオケが

僕の好みでなくても

そのテンポとフロウが
皆をノセてくれる。

僕が好きだったフレーズは

「民主主義って何だ?」
「これだ!」

という

コール・アンド・レスポンス。



ただコールを

繰り返すのではなく

ちゃんと参加者が

レスポンスできていることで

常連の存在を知ったし

参加者の

短期間での習得(賛同?)にも

感心した。


Tell me what democracy looks like?
This is what democracy looks like!

なんかも

ちゃんと言えてたもんなぁ。

こんなのが定着してるって、

新しい。


そう、

選挙に行くことだけが

民主主義じゃない。

僕達は議員達を

常に監視しなければいけない。

当選者に

全権委任した訳ではないからだ。


議会を見学したり中継を見たり、

役所や議員会館に

抗議に行くのも立派な民主主義だ。


勿論デモも。

そんなもん効果ない!

なんて意見を言う人も

いるがそんなことはない。


確かに

車を運転している人達は

迷惑そうな顔をしていたけれど、

河原町に

おそらく買い物に来た人の中にも

足を止めて

デモを眺める人は少なくなかった。

でも
皆が黙って家にいたら

その気持ちは

誰の目にも

触れることはなかっただろう。


ところが

こうやって

デモを行なうことで

僕達の気持ちは可視化され、


国のやり方に

憤りを感じているという人が

存在するという状態を
世の中に発信できるのだ。

京都だから

外国人観光客は

写真を撮っていた。

ラップ調のコールでの

デモンストレーションを

古都京都で

見るとは

思ってなかったんじゃないかな?


それにしても
自分が

河原町通りをデモ行進するとは

夢にも思わなかったなぁ。


子供の頃に憧れた

都会であり、

先週の火曜には

河原町の

三条と四条の間にあって

新装オープンした

ファッション・ビル、

BALの内覧会で

DJをしたばかりだったから・・・。


丁度

BALに差し掛かった時に

登壇?した

学生のスピーチも素晴らしかった。

寺田ともかさんという方

(検索してみて下さい)。


安保法案の矛盾を

よく勉強しているし、

具体的な

戦争回避の方法も提案していたし、

何より主張が明確で
その力強い発声には

日本を

絶対に戦争する国にしては

いけないという意思を感じた。


今の若者、
大したもんだと思う。

僕は
常々、
若者には
実績も
経験も
人脈も
お金も何もないから

追いつかれることはない・・・

なんてあぐらを

かいていたけれど、

SEALDsや

SEALDs KANSAIの

若者達の発言や行動を見て

自分が間違っていることに

気付いた。


確かに

彼らには

何もないのかもしれない。

捨てるものや

失うものもない。


でも、
何もない代わりに
勇気がある。

顔を晒し、
人前で声を出し、
意見を言う。

それって
勇気がいることだと思う。

中傷や批判を恐れず、

街の中で

大声を上げている。


感心しただけでなく
尊敬すらした・・・。

河原町四条を南下し
デモが佳境に入ると

参加者の声が

どんどん大きくなっていった。


ビルの谷間に入って
陽が射さなくなって

沿道の人の数は

少なくなったけれど

僕達のテンションは

一向に下がらなかった。


MCは声を枯らしながらも

コールを続ける。


彼らは絶対に安保法案を

止められると信じている。


僕はそれまで

「でも無理だろうな」

と思っていたけれど、

止められることを

信じている彼らを見て

僕は

諦めることを止めた。


諦めていたら

永遠に止められない。

止めると信じているからこそ
本当に止まるかもしれないのだ。

政治家の暴走。
戦争への誘導。
無関心と言う名の病状。

"止まる訳ないじゃん"

と冷笑したり、

静観してるんじゃなくて

真剣に止めないと

この国は

ますます危険な方向に進んで行く。


止める方法を

考えないと!

止める為に

ありとあらゆる手段を

試みないと!!


羞恥心を捨て、
大いに反省し、
刺激を受けた、
SEALDs KANSAIのデモ。

予定が合えば

次回、

或は次々回にも

参加してみたいと思う。


予定が合わない時は

自分にできることを

試してみよう。


諦めないとか

往生際の悪さって

自分の特性だと思っていたのに

危うく

大切な信念を

失う所だった・・・。