パリ襲撃テロ 根底はあくまで経済格差 | 清瀬市議会議員  石川秀樹のブログ

パリ襲撃テロ 根底はあくまで経済格差

87年春に初めてパリを訪れたときには、前年の連続爆弾テロの影響で、街角には重武装の警官が立ち、デパートに入るにも手荷物検査で足止めにあった。
そのテロはたしかイスラム過激派の犯行だったと記憶している。今回は「イスラム国」との関係で捉えられているが、過去何十年も前からパリではたびたびテロが起きている。

逆説的だが、パリは「開かれた」都市であるがゆえにテロリストの標的になってしまっている。86年の連続爆弾テロは中東の過激派組織との関連で捉えられていたが、いずれの時代も根底にあるのは埋めがたい経済格差により未来を信じることができなくなった若者たちの怨嗟である。

遡って52年のカミュ=サルトル論争は、今では米ソ冷戦の状況を背景にした政治的な論争だと認識されている。しかしアルジェリアの貧民街で育ったカミュにとっては、本当のところはイデオロギーの問題よりも、越えがたい経済格差こそが不条理の原点だったのではないか。
イスラム教の教義には通じていないが、問題がイスラムの教義にあるとは思えない。そんな偏狭な宗教であれば、千年以上も生き残るはずがない。原因はあくまで経済格差だ。


今朝の読売新聞でエマニュエル・トッドが電話インタビューに答えている。
「フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の2世、3世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのはなぜなのか。
 (中略) 
背景にあるのは、経済が長期低迷し、若者の多くが職に就けないことだ。中でも移民の子供たちが最大の打撃を被る。さらに、日常的に差別され、ヘイトスピーチにさらされる。「文化人」らが移民の文化そのものを邪悪だと非難する。
 移民の若者の多くは人生に意味を見いだせず、将来展望も描けず、一部は道を誤って犯罪に手を染める。収監された刑務所で受刑者たちとの接触を通じて過激派に転じる。社会の力学が否定的に働いている。
 (中略)
 真の問題はフランスが文化的道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない。人々は孤立している。社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは、何かにすがろうとする試みだ。
 私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。
 ところがフランスは今、誰もが「私はシャルリーだ」と名乗り、犠牲者たちと共にある。
 私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、「テロリストにくみする」と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ。」