燐光群回顧録 | conburi-danのブログ
三日前までジャブジャブサーキット「さよならウィキペディア」で舞台にたっていた、
七ツ寺共同スタジオに燐光群「屋根裏」を観にいった。
ジャブジャブサーキットの公演期間中、毎日マチネソワレの2ステージだったので、
七ツと宿泊先以外にはどこにも行ってなかった。
いつもなら少しは歩く大須の街もまったく歩いてなかった。
そうそう、ういろうも買って帰らずだったのだ。
公演期間中、大須で行ったのはセブンイレブンと王将。。。

前置き長過ぎました。
燐光群である。
「屋根裏」である。刺激的な舞台だった。
もう何年前に観たのか記憶が定かではないが、
戯曲も買って、何度も読んでいるのに、
何度観てもその度に「あぁ燐光群って面白いなぁ」と感じる一本。
坂手さんってすごいなぁと感じる。

開場前、受付まわりで円城寺さんとご挨拶、ふと視線を感じて見上げると、
楽屋のある二階の窓からマリさんと樋尾ちゃんが手をふってくれていた。
車いすのはしぐちは他のお客さまより先に劇場に入れてもらい、
杉山くん、武ちゃん、皆々さんにいつも通り「はし~ぐち~しん」の掛け声で
車いすごと平台の上にあげてもらう。
一度しか共演できていないが、いつも通り素敵なみんなに再会できた。

燐光群との出会いは1988年、京都の西部講堂だった。
作品は「危険な話 OFF-SIDE」。
面白くて面白くて、「乾杯しますんでどうぞ中へ」って言われて、
知り合い一人もいないのに、ノコノコ入って、皆さんと酒を酌み交わした。
車いすになる前、まだ立って歩いていたころのことだ。
坂手さん、猪熊さんは立って歩いていたころのはしぐちを知っている数少ない演劇人だ。
その後、東京に観に行ったり、京都公演の際は手伝ったり、
知人が燐光群に入ったり、やめたり。ずっと一緒に芝居を創りたいと思っていたが、
なかなかかなわず、出会ってから20年以上たった2011年「推進派」で初めて
燐光群の舞台に参加させていただく機会を得た。
震災後の東京、節電で暗かった、エスカレーターが停まっててエレベーターに行列が出来、
ホームから改札に行くのにとっても時間がかかった、余震も何度もあった。
初日が延期になったりもした。それでも、一本作品を創って、東京~伊丹~名古屋と公演をした。
当たり前のことだが、観ているのとは違う刺激的な時間だった。

いつになく、そんな燐光群との関わりを思い返す芝居でもあった「屋根裏」
みなさんの海外ツアーの無事と成功をお祈りしてます。