高知白バイ事件判決は、およそ被告人を納得させることが出来ない裁判だったことが問題 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

折角いいところまで議論が煮詰まりそうだったのに、頭に血が上ってしまったために裁判員の存在を忘れてしまって思わず相手に暴言を吐いて意見交換の場から退場されてしまった方がおられるようである。

理詰めで反論されると、再反論の備えがない人は思わずカッとなり、暴言を吐きがちだがそういう時は一歩退いて、頭を冷やしてどう対応するか考えるのがいい。
その場で十分の再反論が出来なくとも、自分の直感を信じてもう一度相手方を説得する方法を考えればいいだけのことである。

直感は、結構正しい。
何故正しいのか、ということを論証するのは難しいが、何か変だな、と思ったときはまずはどこが変に思えるのか徹底的に検証してみるのがいい。

高知白バイ事件の判決文を読んでいるだけでは、なかなかその変だと思う部分を解明することは難しい。
その道のプロが周到な検討を経て、一見して上級審では覆されないような判決文を書いているのだから、判決文の中から判決の弱点を見付け出すことはまず出来ない。

判決文に顕われていない事実や証拠が重要になる。

まだ私の感想を述べるには早いのかも知れないが、高知白バイ事件の判決は当事者を納得させるだけの感銘力を欠いているのだからやはり裁判としては欠陥があった、というのが私の目下の感想である。

第1審の高知地裁の判決は、当時裁判所に提出されていた証拠に基づいて事実認定すれば止むを得なかったのかも知れないな、という感想だが、死亡した白バイ警察官の結果回避行動の欠如を殆ど考慮に入れないで、否認しているから情状酌量の余地がないとして実刑判決を出してしまったところに問題がある。

現実に立証できるかどうかの問題はあるが、死亡した白バイ警察官は100キロ近い猛スピードでバスに衝突したはずである。
白バイの後ろを走行していた自動車の運転手の証言、供述の信用性を簡単に否定し、対抗方面から来て事故現場付近に差し掛かったという別の白バイ警察官の証言を採用してしまったところに地裁裁判官の予断と偏見があるように思われる。

被告・弁護側が警察の証拠捏造疑惑を声高に主張していたから、反って検察や裁判官の関心が証拠の捏造の事実ありやなしやに集中したのではないか、死亡した白バイ警察官のスピードが実際どの程度であったのか一審段階で現場検証すればよかったのではないか、被告・弁護側で一審判決が出される前に事故検証作業を行っていた方がよかったのではないか、等の憾みが残るが、多分当時としてはあれが精一杯だったのだろうとも思っている。

一審段階で裁判所に顕出された証拠に基づいて判決を出すとすれば、無罪判決は難しかったかも知れないが、それでも執行猶予判決は出せたのではなかろうか、というのが私の感想である。

裁判の流れを概観して、これは絶対にいけないと思ったのは、控訴審である。

被告・弁護側が一審判決を受けて周到に準備したはずの証拠申請を全部却下し、一人の証人も調べないで即日結審している。
当然控訴理由書等は詳細に検討しているはずだが、原審の判決や原審に顕われた証拠だけをいくら検討しても、控訴人である被告人を納得させるような判決を書けるはずがない。

控訴審が原審裁判をなぞるだけ、ということになったら三審制は何の意味もない。
正義の実現のためには、まずは被告人も納得させるような丁寧な審理を心がけるべきだと思うが、控訴審の裁判官にはそもそもそういう心が欠けていたように思う。

法律審である最高裁が最高裁判例違反や重大な事実誤認は認められないとして上告を棄却することは制度上ある程度止むを得ないと思うが、控訴審の裁判官が無罪を争っている控訴人の訴えをこんな形で斥けるのは刑事裁判の在り方としておかしい。

ヒラメの裁判官とは言わないが、どうも審理不尽の違法がありそうだ、というのが私の直観である。

保冷所さんの冷静で周到な裁判分析、証拠資料分析には敬意を表するが、結論として私は高知白バイ事件については再審手続きに付するのが相当だと思っている。