【仁川ジンモ旅②】4/3金①仁川大学済物補(さいもっぽ)校舎で5000₩に会った~性理館!
4/3金;①仁川大学済物補校舎、②旧市街チャイナタウン自由公園。③仁川総合芸術会館ジンモラスト公演・出待ち。
【仁川大学濟物浦キャンパス位置】 【仁川大学濟物浦キャンパス敷地内図】
参考画像【仁川大学濟物浦・性理館】 参考画像【仁川大学濟物浦・芸体能館】
何故、<仁川大学済物補(チェムルボ)キャンパス>にこだわったか(笑)
ジンモさんのプロフィール、最近は<仁川大学体育学科中退>となっているが
古くは<仁川専門大学体育学科(濟物浦)中退>だった。
これは、
2010年3月、仁川専門大学が仁川大学校に統合されたから。この当時は両校とも市立だったようで、2013年仁川大学が国立大学法人へ転換。
(複雑な両校の履歴は、↓↓↓)
で、2009年9月仁川大学は、松島(ソンド)キャンパスに移転したが、
芸体能学部は2年前まで物補校舎を使用しており、その校舎が今も残って居るとの事。
さて、
ジンモさんの中退の理由は分からない。。。
どのくらい通ったのかも分からない。。。
この後ジンモさんは3年の兵役に就いている事を考える。
思春期のジンモさんの心の内をあれこれ推測せずにはいられない。
で、
学校好きのオンマ(笑)
受験生ジンモさんの姿を想像し、多情多感な彼の青春の一頁に思いを寄せて、
<濟物浦(さいもっぽ=チェムルボ)>の地をどうしても、訪れてみたかったのである。
****
7時25分起床シャワー、食事カップメンお握り、TVは日本の『朝一!』を見ながら。
10時、ヨンシムさんが来て1時間ほど3日間の打ち合わせ。
オンマの行きたいところは、既にメールで知らせてあったが、
<仁川大学濟物浦校舎>は、異質なので訪問は半ば諦めていた。
ががが、、、文面から、
『きっと一番行きたいところは濟物浦と思いましたぁ~』
とヨンシム様~~~!!このあうんの呼吸(笑)
で、
初日の第一歩に、<濟物浦>訪問を設定して下さったのだった!!!
★11時11分ホテル出る。11時13分タクシー乗車★15分で仁川大学済物補校舎到着^^
おおお~ととと^^度肝抜かれた!!2段構えの^凄い石段^^^
山形県山寺の階段1015段も^^香川県金比羅さんの1365段も制覇したオンマ^^衰えたり!!
急勾配の石段を4つんばいで這いずり上がった~~(笑)
見下ろすとめまいがするほど^^ーー ^^^ 眼下に広がる絶景に絶叫ーー
★ひとしきり感嘆し、校舎探索開始~玄関を入ると、3分校の学科案内、、広い玄関ホール。
エレベータや「本屋」も有って各種掲示板。松島本校との間に無料連絡バスetc。ヨンシム様いっぱい解説して下さった^^^ありがとうございます^^^^^
job cafe(就職活動の情報室)~インターネット情報掲示、面接マナーもあって日本と変わらない。
★広い玄関ホールを突抜きぬけると^^こちらが正面玄関かな??
正面に運動場。その両脇に学生会館AとB、向こうは青雲大学かな?
★左右の校門にライオンの像^^
★ジンモさんもこの階段を上ったのかな・・などなど^^
かなり古い校舎、看板を取り外したような跡、
校門入り口の掲示板には、何も張られていなかった。松島本校との無料連絡バスかな^^
校門横の土手によじ登って^^^^ヒンシュクを買ったことは言うまでも無い(ハラハラさせてごめんね^^)
すみれ、桜^^春霞^^^^^18才のジンモ少年を思う^^我も18才(笑) 多情多感至福の刻^^
やったーーー 『仁川大学濟物浦校舎!ばんざーい!!』
さて、ここの訪問の目的<体育専門学校の痕跡>を探しに、校舎の裏手を目指す^^
★校舎の裏手、古い石垣^^なかなか良い感じ^^
★遠くの赤い建物は<成志館>。hpでは機械室って書いてあるけど、実に立派な名前(笑)
★おおお~~なんと立派な石造りの建物!!発見!!!
古く曰くありげな堂々たる姿^^^入り口に<ソンリガン>って??閉まっていた^^
近くに居た植栽作業?の方に聞いたら<勉強するところ>との事。
図書館?資料館??いろいろ思案し、建物の横に廻ると^^
カメラに収まらない壮大さ^^
あ、表札だーー おおお~~~~<性理館>!!!
突如、ドラマに良く出てくる<性理学派>が頭をよぎる^^
確か、鄭道伝(チョンドジョン)もそうだったような^^イサンでも出てきたような??
きっと、性理学派の資料の殿堂^^と勝手に想像(笑)
仁川大学と性理学はどんな関係??
帰国して、何日も調べましたぞ! 結論!!分からなかった!!!(笑)
<性理学>は難しすぎて、オンマの学力では手に余った。
さてさて、<性理館(ソンリかん)>は、、、講義室だった。。。
うう、ちょっと肩すかし(笑)
http://www.inu.ac.kr/mbshome/mbs/inujpn/etc/campusMap/index02.html
※性理館~B1階:機械室。1階~5階:講義室。屋上:水タンク,機械室。
この建物、昔は何だったのかは、未だに判明せず^^
開港期、このあたりは仁川府があったはず、、、きっと由緒ある建物に違いないよね。
<性理館>の偉容にすっかり<芸体能館>探索がぶっとんでしまったオンマ(笑)
どこかで<芸体能館脇に礎石が残って居ると書いて有ったような・・>
こんな曖昧な情報では、この広大な敷地^^探索は無理だったと思う^^
★あちこちで、学生達がボール遊びしている^^青雲大学かな??
周囲には、10校以上の学校が有って^どこがどこだか分からない。
帰ろうと校門に向かって行くと、これまた雰囲気のある銅像^^
折良く^^教授ふうの紳士が駐車場から出てきた^^
『あの銅像はどなたですか?』と、おずおず聞くと、日本語で^^
『日本から来ましたか?』とニッコリ^^
そしておもむろに財布から^^5000ウオン札を差し出した^^
え?くれるの?? う!おおお~~!!
『5万ウオン札の息子様^~^』と叫んだら^^
ニコニコ、何も言わず立ち去った^^^^
さすが^^インテリ^^
異国のおばあちゃんには、<性理学>の話をしても通じないよね(笑)
銅像の方は<性理学派の学者イ・イ様>だった^^^^、
お札になるくらいだから<相当偉い学者様>
興味のある方は、↓↓↓
思いがけず<5000ウオン様>にも会えて^^幸せ気分で^ー^
★12時11分仁川大学済物浦キャンパスを後にした^^
さよなら ~ さいもっぽ~~~
参考画像
野外劇場^^そう言えば公演芸術科もあるのよね^^ ゴルフ練習場は教育研究施設なのね^^
学生会館 B棟文書庫、サークルルーム
<マイメモ>
◆「済物浦」~さいもっぽ。韓国語読み「チェムルポ제물포역」、英語「Jemulpo」
※仁川(インチョン)の旧称。
◆仁川専門大学沿革
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%B7%9D%E5%B0%82%E9%96%80%E5%A4%A7%E5%AD%A6#.E6.B2.BF.E9.9D.A9
>2010年3月 - 仁川大学校と統合。
◆仁川大学校
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%B7%9D%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%A0%A1
>松島キャンパス。 済物浦キャンパス。ミジュホルキャンパス。
◆仁川大学公式hp(日本語) http://www.inu.ac.kr/mbshome/mbs/inujpn/index.do
>3キャンパスの施設図~左上に3キャンパス表示、クリックすると凄いよーー
http://www.inu.ac.kr/mbshome/mbs/inujpn/etc/campusMap/index.html#name06
●済物補キャンパス図面
http://www.inu.ac.kr/mbshome/mbs/inujpn/etc/campusMap/index02.html
>>>
1,済物浦 本館~教授室
2,ソンリ館(性理館)~講義室
3,芸体能館~講義室
4.成志館~機械室練習室
5,学生会館 サークルルーム~テコンド練習室、サークルルーム,剣道練習室
6,ドゥレト~教育研究
7,創業保育センター~教育研究
8,創業保育センター~待避所、サークル室
9.機械科実習棟~教育研究
10、実験実習棟~教育研究
11、機資材室~教育研究
12、野外劇場~野外劇場
13、ゴルフ練習場~教育研究施設
14、学生会館 B棟~化粧室、文書庫, サークルルーム、
15、学生会館A棟~待避所、文書庫, サークルルーム、
16、本館倉庫
17、本館倉庫
18、ポンプ場
■性理学(せいりがく) コトババンク
https://kotobank.jp/word/%E6%80%A7%E7%90%86%E5%AD%A6-86582
中国の宋代に興った新儒教の名。道学,理学,程朱学などともいう。周敦頤,程 顥らによって始められ,朱子によって完成した。万有の根本原理の「理」と人間の本質の「性」とを主要問題としているので,性理学という。 欧米ではNeo‐Confucianism(新儒教主義)
※【性理学】宋学の別名。宋学が事物(世界)や人間の本性を理ととらえるのでいう。
※【性理学】中国で宋代から明代にかけて隆盛だった儒学の一学説。漢・唐代の訓詁(くんこ)学に対し、宇宙の原理としての理を究明し、人間の本性を明らかにしようとしたもの。宋学の中核をなす。
※日本大百科全書(ニッポニカ)の詳細解説あり。
■李氏朝鮮の学問~『性理学』 儒学の一派~読み応え有り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e6%9d%8e%e6%b0%8f%e6%9c%9d%e9%ae%ae%e3%81%ae%e5%ad%a6%e5%95%8f
■李 珥(り・じ、イ・イ、1536年 - 1584年)=5000ウォン紙幣の肖像画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%8F%A5
>李氏朝鮮の儒学者。号は栗谷(りっこく、ユルゴク)、字は叔献(しゅくけん、スコン)。大韓民国では『東方の聖人』と呼ばれている。朱子学者として李滉(退渓)とならぶ二大儒と称される。李滉の主理説に対し主気説を展開した。朝鮮王朝に仕え、政界においても各方面で積極的な政治改革案を提議した。
●李珥(イ・イ)と母・申師任堂(シンサイム ダン1504 - 1551) / 烏竹軒
http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_5.jsp?cid=277391
>李珥(イ・イ)は、29歳までに受けた全ての科挙試験において1位の成績を取ったと言われる天才。 千ウォン札の李滉と共に韓国の生理学会を 代表する学者で、多くの政治思想と生理学理論を提唱し、これを政治に生かそうと努力した偉人です。
>烏竹軒(オチュッコン)は江原道にある中宗(在位1506-1544)の時に建てられた家屋。現在残されている韓国の建築物の中で最古のものとされる家屋。烏竹軒は5千ウォン紙幣の裏側に載っており、李珥が生まれた家であり、母・申師任堂(シンサイム ダン1504 - 1551)の生家。
>朝鮮時代最高の女流画家であった申師任堂は、良妻賢母の象徴として5万ウオン紙幣の肖像になった。敷地内には烏竹軒博物館もあり、様々な文化財を見ることができます。
●烏竹軒HP(日本語) http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=281337
【仁川ジンモ旅③】4/3金③仁川旧市街~チャイナタウン、旧日本人租界地、自由公園
につづく。