成仏2/大乗仏教2 | 獨と玖人の舌先三寸

成仏2/大乗仏教2

開祖 釈迦は、仏陀“覚(さと)れる者”となりました。
覚りをさまたげる煩悩を断ち、
輪廻の苦から解き放たれ(解脱)、
覚れる者に成る(仏陀)、それを成仏と言います。
弟子たちは、釈迦と同様の解脱を得るために、釈迦より指導を受けました。死後はその教えに随い、釈迦の説いた教義を学び、教団の戒律を守り、三昧や禅定とよばれる瞑想を行う修行に勤めました。
そうして、釈迦と同様に輪廻から解脱できる境地(=涅槃(ねはん))に達した者を、阿羅漢と呼びました。
これは、広い意味では成仏ですが、教祖である釈迦に対する尊崇の念から、阿羅漢に成ることを成仏するとは言わず、あくまで仏陀は無師独悟した偉大なる釈迦ただ一人であり、阿羅漢に達した弟子はその複写にすぎないと考えたのです。


大乗仏教では、成立初期は、現世で直接に阿羅漢果を得ることが難しい在家信者であっても、輪廻を繰り返す中でいつか釈迦と同様に独自の覚りに到達できるのではないかと考えられました。
“釈迦が前世に菩薩であった時のように、たゆまぬ利他行に努めることで、自分も遠い未来に必ず成仏できる”――そう信じて菩薩の修行、六波羅蜜を日々行じていくのが、初期の大乗仏教の教えでした。
(成仏をめざして修行する者を菩薩と呼びます。)

大乗仏教の発展に伴い、それらの修行の階程をふむことすら歴劫(りゃっこう)修行であると考えられるようになりました。(仏に近づきつつも、無限に近い気の遠くなるような時間で、結局は永久に仏と成ることはできない。)
一切衆生は本来成仏していると考える思想(如来蔵・本覚)や、“信”によって本尊へ加持することで、煩悩に結縛された状態からただちに涅槃に到達できるとする密教の即身成仏などの思想も生まれました。


※即身成仏(そくしんじょうぶつ)――
人間がその肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることをいいます。
即身成仏の思想は、主に真言密教の教義(空海の“即身成仏義”により確立)で、真言宗において説かれています。天台宗、日蓮宗でも“法華経”に基づき説かれています。
即身仏(修行者が瞑想を続けて絶命し、そのままミイラになること)と混同されることがままですが、即身仏と即身成仏は全く別物です。
ここでいう成仏は、“生きている状態で悟る事”です。


※大乗仏教――
ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教分派のひとつです。
自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心を起こすことを条件とし、この“利他行”の精神が、大乗仏教と部派仏教と区別する指標になっています。