ナン日か前。
衆議院で、「憲法審査会」ってのが開かれたね。
そこで、「集団的自衛権の行使」について問われたとき。
招かれた憲法の専門家のことごとくが「憲法違反」だと答えた。
こちらの動画はTBSのニュース。
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NHKはけっこう尺をとって報道してる。
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このことを、僕もFacebookで以下のように書いた。
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これはすごい。
このニュースを観た人も多いだろう。
学者も人の子、ってことか。
検討の余地なし、って言うかのようにキッパリ答えてる。
安全保障法制のでばなをくじいてくれたね。
今後の進展にも影響大だ。
御用学者を呼んだつもりがヤブヘビになった、ってことだろか。
自民党の船田さんが驚いてたのはもちろんだけれど、メディア側もこれを予想外に感じたのがナレーションの文面からうかがえる。
裏での根回しはされてて当然、っていうことを物語ってるわけだがぁ。
それだけに、ここでの専門家さんの発言はものすごく有難いね。
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いかにも「デカシタ!」って感じで書いたんだけれど。
じつは、ささやかに、引っかかってることがあった。
「やけに堂々と、大きく伝えてるな」。
「それでいいのかな」。
「なにを考えてるのかな」。
なんて感じ―――。
こんな疑問が、虫がつぶやくようにささやかながら頭をよぎってた。
でも、僕はそれをやり過ごしながら上のポストを書いた。
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こんなツイートがあったよ。
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そうか、椛島有三プランのとおり
1)違憲なんで一旦廃案
2)国民運動として改憲へ弾み
3)来夏に改憲
という段取りか。
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椛島祐三さんという方のお名前を聞いたのは初めて。
調べてみると、保守主義団体の「日本会議」の事務総長。
「日本青年協議会」の設立者でもある、とのこと。
その人物の「プランのとおり」。
プランのとおり・・・。
計画のうち・・・。
「政府が一方的に決めたことじゃない」ってかたちに持ってこうとしてる。
そのための揺さぶり・ぬか喜ばせ。
ってことか。
自民党は、青年部・青年局による街頭行動を、全国でイッキに展開してる。
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これを「国民運動」として扱うのかな。
まともに考えたら、そんなことはないだろう、って思っちゃう。
税金を使って、自民党の部内者とか自民党つながりの人たちを使ってのキャンペーンだ。
それを国民行動として扱うのはムリヤリすぎる。
ただ、そんなムリヤリさが珍しくもないのも実情だ。
今が「戦前」といえる時期ならなおさらだろう。
太平洋戦争もそうだったって聞く。
いつのまにか、そして気づいたら、戦争が始まってた、徴兵制が始まってた。
もし、自民党の青年部・青年局を「国民運動」として扱うなら。
いわゆる「アリバイ作り」なんでしょう。
いずれ改憲への国民投票がされて、投票結果が捏造されて、改憲にこぎつける。
そのときに、「こんな風潮がちゃんとある」って示すための伏線。
いくら街頭活動をやったって、賛同する人はいない。
国民の99%は自分たちがやってることに反対だ。
なーんてことぐらい、彼ら自身で分かってて当然だからね。
こうした運動は、人々の賛同を得ることを第1の目的にはしてないだろう。
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それと―――。
次のように言ってる方がいる。
日本が戦争することに賛成してる方みたいだね。
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憲法学者達がプロの技術者としてイデオロギーはおいといて「違憲だ」というなら尊重すべき。
9条改憲後ならイデオロギーはおいといてプロの技術者として「合憲だ」というでしょうから。
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なるほど。
僕をふくめて、戦争を望まない一般人のほぼ全員は、こんな視点を持たなかったはず。
くだんの憲法学者さんたちの意見は、とても「有難い」ものだったからね。
僕が最初に感じた「ささやかな引っかかり」の答えだ。
たしかに、学者さんたちは「人として戦争反対」って言ったわけじゃないし、それを言うために招かれたわけでもない。
でも、本心からか・段取られたかは別として、その意見はいまの僕たちにとって「有難い」ものだった。
はたして、その「権威ある」人たちの意見が、戦争を望まない大衆にとって主張のよりどころになる。
「違憲である」ってことが主張の根拠であるかのように錯覚する。
あたかも、彼らが自分たちの代表であるかのようになる。
そして、その人たちが「合憲」って言うことも受け入れなくちゃいけないようになる。
そんな心理を国民にもたせるため。
なんてね。
たださあ。
僕たちは、そもそも「憲法学者さんが言うから賛成・同意する」なんていう人たちじゃない。
このたびの憲法学者さんたちの発言が、なんで「有難い」ものだったか。
っていったら、ただ単に、僕たちの希望と合致したからだ。
僕たちにとって「都合のよい」ものだったから「有難い」ものだった。
9条が改憲されたあとに、集団的自衛権の行使を「合憲」だって彼らが言ったとしたら。
そりゃあ、ただそれだけのことだ。
学者じゃなくても分かることを、学者さんが言ってるだけ。
このたびの憲法審査会で「違憲」だって言ったのと同じようにね。
僕たちは、戦争に参加・加担することに反対なんだ。
まあ、「僕たちは」とか言いながら、他にどれだけの人たちが反対してるか明確には知らない。
とにかく僕は反対。
憲法うんぬん以前の話だよ。
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ところで、正直なところ。
ため息がでるね。
さすがすぎるよ、支配者さんたちは。
水掛け論をバンバン展開する。
揺さぶって揺さぶって、感情をあおって、論点から視点を外させる。
大衆をわあっと調子にのらせて、あとでバタンと引っくり返す。
超一流の詐欺師のワザで心理操作して、ぬか喜びさせて、奪う。
このたびの憲法審査会が「ぬか喜び」させるためのものなら。
バタンと引っくり返すのも、そう遠くなさそうだよ。
とにかく、これも揺さぶり揺さぶるためのものでしかない。
まあ、僕たちは落ち着いて、自分の視点・意思をクールに維持してればよいさ。
揺さぶられない・煽られないように心がけましょ。
アホらしいことにはシラケてましょ。
僕たちはただ、戦争に反対、戦争に参加・加担することに反対でいればいいんだ。
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さらにあとがき。
【人類の判断基準】
法律・憲法、あらゆる規則というもの。
これらは、日常通例の判断・決定のために参考になる。
よしあしの「判断がしやすい事柄」について判断・決定するのに便利な「目安」だ。
それ以外に対応できるほど万能・絶対・全能じゃない。
ほどとおい。
だから、適用性があるかどうか判断が難しい、もしくは適用する規則がないと判断される事柄については、そこはもう法律・憲法・規則のでる幕じゃない。
そんな規則を適用させるために「理論的解釈」(拡大解釈)をするのは本末転倒なんだよ。
頭脳も精神も歪ませる行為だ。
法律・憲法・規則を「万能・絶対・全能」の基準として扱うのは、偶像崇拝と同質のものだ。
法律・憲法・規則をよりどころにして主張がされている社会はまた原始的だ。
判断・決定は、「人間性」を基準にされるべきなんだから。
僕たちは、その時々にある事柄について、人間性をもって、一緒に判断・決定していく人々であるべきだからだ。
それができない人たちの社会には、法律があって、警察がいて、裁判があって、戦争がある。
「人間性」を基準としたら判断のつけようがない・解決にいたらない。
と思う人がいるなら。
それは色々な意味で、「考える事を面倒くさがる」ことのを示している。
すでに自分の命を他人にゆだねていることも示している。
みんなのハピネスよりも、自分の安心ための思考・行動に時間を使っていることも示している。
判断基準は、主張のよりどころは、法律でも、憲法でも、あらゆる規則でもない。
みんな・当事者すべての満足を望む「人間性」だ。
【癌になる国民半数を救おうぜ!】
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