“信仰”閑話…… 13/哲学 | 獨と玖人の舌先三寸

“信仰”閑話…… 13/哲学

「死はわれわれにとって何ものでもない、と考えることに慣れるべきである。」
と、古代ギリシアの哲学者、エピクロス(紀元前341~紀元前271年頃)が言っている。
エピクロスは“アタラクシア(心境の平静)”こそが“快”だとする、快楽主義の哲学を説いた人だ。
彼のモットーは、“隠れて、生きよ”だったという。
その彼が弟子に宛てた手紙の中で、“死”についての考え方を開陳している。
冒頭の言葉に続けて、
「それゆえに、死は諸々の悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、実は我々にとって何ものでもないのである。
なぜかと言えば、我々が存するかぎり死は現に存せず、死が現に存する時には我々はもはや存しないからだ。そこで、死は生きている者にも死んだ者にも関わりがない。
なぜなら、生きている者のところには死は現に存しないのであり、かたや死んだ者はもはや存しないからである。」(エピクロス関連書物(=_=;))
古代ギリシアの哲学者は、死なんて存在しないんだと必死に主張している。
生きている間は死んでいないし、死んでしまえば我々は生きていない。“だから、死なんてないではないか”と、彼は言う。
まあ、そう言われるとその通りだけどさ……。これ、日本人には納得されないんだよね。

後世、“エピキュリアン = 快楽主義者”という意味に転化してしまうから、彼のことを少し書いておこうと思う。この言葉自体の大流行がないのは、誤解を認識している英語圏があるということかな?
エピクロス自身は、肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視していたのであって、肉体的快楽をむしろ“苦”と考えていた。

エピクロスは、デモクリトスの原子論を負っており、不可分の粒子である原子が物質を構成する最小単位であり、それ以上分割できない原子と空虚から世界が成り立っていると考えていた。
(古代ギリシアの原子論はほとんど受け入れられることなく、その後2000余年間、大半の人々から忘れ去られていた。)
そうした存在を把握する際に用いられるのが“感覚”であり、エピクロスはこれを信頼に値するものだと捉えた。認識に誤りが生じるのは、この感覚経験を評価する際に行われる思考過程によるものだとした。この認識論が、彼の倫理学説の理論的基盤となっていると考えられている。
エピクロスの冒頭の主張は、
「死によって人間は感覚を失うのだから、恐怖を感じることすらなくなるのであり、それゆえ恐れる必要はない。」
――のだとする。このような平静な心、「ataraxia(アタラクシア)」を追求することを是とした彼の倫理学説の淵源(えんげん)は、彼の自然思想にあるようだ。

「幸福が人生の目的である。」
「快楽こそが善であり、人生の目的だ。」
エピクロスは、帰結的快楽主義であって、快楽のみ追い求めることを無条件に是としているわけじゃあない。ある行為によって生じる快楽に比して、その後に生じる不快感が大きくなるならば、“その行為は選択すべきでない”と言っている。
自然で必要な欲求――友情、健康、食事、衣服、住居ほか、
自然だが不必要な欲求――大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活など、
自然でもなく必要でもない欲求――名声、権力ほか、
これら3つに分類し、このうち“自然で必要な欲求”だけを追求し、辛苦や恐怖から自由な生活を送ることが良いと主張し、こうして生じる「アタラクシア」を追求することが善だと規定した。
こうした理想を実現しようとして開いたのが、「庭園」と呼ばれる共同生活の場を兼ねた学園なわけだ。

まあ、当然 非難や批判は┐(-△-≡-△-)┌


「古代ギリシアの哲学者」から「ヘラクレイトス」を連想し、「ヘラクレイトス」から「パンタ・レイ(すべては流れる)」というキャッチフレーズを連想する………これは難しい。
ヘラクレイトス(紀元前540年頃~紀元前480年頃)は、変化と闘争を万物の根源とし、象徴を“火”と観て、矛盾と対立を契機とする生生流転の姿が万物の真相だと提唱した。
(生生流転(せいせいるてん)――すべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくこと。“生生”は物が次々と生まれ育つこと。“流転”は物事が止まることなく移り変わっていくこと。)
「互いに異なるものからもっとも美しいものが生じる。万物は争いより生じる。」
「火は土の死により、空気は火の死により、水は空気の死により、土は水の死による。」
「万事に渡り、運命による定めがある。」
彼の言葉は断片しか残っていないが、キャッチフレーズを推察できるものとして、
「同じ河に入る者に流れよる水は、次々と相異なる。」
「同じ河に我々は入り、かつ入らぬ。我々はあり、かつあらぬ。」
「同じ河に2度とは入り得ぬ。」
対象としての“流れる河”は瞬間的に変化をしているから、“同じ河”には2度と入れない。
我々人間は、瞬間的変化をする生物なので、同じ河に2度入れない。
宇宙の万物が刻々と変化しているとすれば、河川も人間も変化を続けている。だから“2度”は決して存在しない。しかし、そんなことを言うと、“河”や“某”といった言葉も使えなくなるのよなあ。
この万物変化説を突き詰めていくと、言葉を失う(○□○) ヘラクレイトスを信奉した古代哲学者に、言語嫌悪症に陥り、言語を放棄してしまった人がいたそうだ。
たとえば氷。
「氷が溶けて水になる。」氷は常に水になりつつある氷でしかない。
「99%氷。」ある段階では――
「27%氷。」別の段階では――
これはずっと氷と表現していいのか? じゃあその逆は? そもそも氷は――

ハイチューシシマショウ……○| ̄|_

ハイジャパンニカエッテキマショウ……_| ̄|○


「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」(方丈記 序文)
“河は連続しているようだけれど、本質的には断続している。”
“淀みにできるあぶくは、できては消えて、長く一定の状態を保ってはいない。”
“この世の中の人間とその住居にしても、同様に。”

この世の無常が、まあ美しく謳われている。しかし、これは個人の詠嘆的な、著者である鴨長明が感じ取った無常でしかない。彼は後鳥羽院の推挙で、河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につけそうになったところを、血族の年長者に潰され、神職としての出世の道を閉ざされたのだ。
身内の、人間関係のトラブルが原因で、世俗から遁れたのさ┐(-_-Ξ-_-)┌

“無常”の世は、どこに遁れ住んでも“無常”だ。彼は、遁世すれば、無常とおさらばできると思っていたのだろうな。実際 遁世したことで、彼はどう考えていたのだろうか┐(-_-Ξ-_-)┌
方丈庵でこれを綴ったのは、1212年のこととされている。
(鴨長明――かものちょうめい。1155~1216年。賀茂御祖(かも みおや)神社の神事を司る神職一族。)

あの美文を読んで、“日本人”の一部は遁世することで無常から遁れられると錯覚した。
――これって、ただの“甘え”だから。なぁ! ひっきーども( `⊿´)σピッ
原初仏教は、“無常”を克服する教えであったはずだ。釈迦は、いかにすれば人間が無常の世において心の平静を得られるかを教えていたはずなのだが………。

日本に仏教が伝来した時、哲学性はもう失っていたのか? 社会、文化、風俗が失わせたのか?

無常“感”………。仏教的無常“観”は存在しない。
美術、芸術、そして文学ありき。
平家物語。徒然草。方丈記。花と言えば桜。花と書いても桜。日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様子、つまり“無常感”から――

哲学とは無縁。詠嘆できればよし。それが日本文化。これが日本の民族性┐(゜∀゜≡゜∀゜)┌





コレ、19の時の雑記ですドモ ヽ(゜▽゜*)Ξ(*゜▽゜)/ ドモ





※おまけ――
人間は、自分に危険が近づくと痛みを知っているために神経を断ち切る。瞬間的に仮死状態となるんだ。
目の前が真っ白になった経験をもつ人はたくさんいるだろ? 自己防衛本能は無意識に行われるけど、痛みを避けるという意識がなければ働かないのよ。
マジ無関係なおまけだ…f(-_-;
まあでも、思い出しちゃったんだなう笑