「尖閣日本領」欧州の地図 日清戦争より前、中国主張を否定する資料(産経)おっとそこに竹島も!!  | 武蔵山タロウのブログ

武蔵山タロウのブログ

武蔵山タロウのブログ

テーマ:
2015.6.24 産経WEST の記事によれば、
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領と記した19世紀後半の英国、ドイツ製地図が現存していることが明らかになった。いずれも日清戦争(1894~95年)前の地図で、中国側の「日清戦争を通じて、日本が尖閣を奪った」とする主張を覆す資料がまた新たに見つかった。
1868年に発刊された地図「ハンド・アトラス」。現在とは島名が一部異なるが、「Hoapin-su」(尖閣諸島・久場島)の西側に国境線が引かれている。

1868年アトラス尖閣

 地図は長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)が調査発見した。19世紀当時、世界最大級の「スタンフォード地図店」(英国)が1887年に発行した「ロンドン・アトラス」と、ドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラー氏が1868年に製作した「ハンド・アトラス」の2枚。

 記事全文は、本ブログ記事の最後に転載しておきます。

 さて、久々のブログ記事アップは、同じ地図をネットで検索したところ、「竹島日本領」もはっきりしており、それどころか、当時の国際認識では「鬱陵島も日本」だったこと示す資料をここに記録しておきたかったからです。

 同じ地図(但し1872年版)による竹島周辺は以下です:
 1872年アトラス竹島

 David Ramsey Map Collection というサイトで見つけました。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~242260~5512932:China-----Korea-und-Japan-

 このサイトでは、マップ上自由にスクロール、拡大縮小できる優れものですので、試してみてください。
 
 見た通り、韓国と日本の国境線は、対馬の北西から、鬱陵島の西北西あたりを通って引かれています。
 鬱陵島は当時のイギリス(またはドイツ)での呼称"Matsu Shima"となっており、竹島は同様に"Liancourt ln."もしくは"Hornet ln."となっています。
 呼称について詳しく知りたい方は、こちら(日本の地圖における竹嶋松島の表記)。

 つまり、この歴史的・国際的な、日清戦争以前の地図からも、「竹島は日本領」は誰の目から見ても明らかです。「鬱陵島も日本領」とまでは言いませんが、もちろん宇山島も韓国領ですが、宇山島と竹島を混同するのはぜひやめてほしいですね。

 以上手短に、資料を記録するため、ブログにまとめました。

 最後に、産経新聞WESTの記事全文を転載しておきます。

<産経新聞>
2015.6.24 08:23
「尖閣日本領」欧州の地図 日清戦争より前、中国主張を否定する資料
尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領と記した19世紀後半の英国、ドイツ製地図が現存していることが明らかになった。いずれも日清戦争(1894~95年)前の地図で、中国側の「日清戦争を通じて、日本が尖閣を奪った」とする主張を覆す資料がまた新たに見つかった。

イギリスもドイツも…明治維新の頃すでに国際認識あった

 地図は長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)が調査発見した。19世紀当時、世界最大級の「スタンフォード地図店」(英国)が1887年に発行した「ロンドン・アトラス」と、ドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラー氏が1868年に製作した「ハンド・アトラス」の2枚。

 石井准教授は昨年7月、オーストラリア国立図書館がデジタル化した資料から、ロンドン・アトラスの1887年版を見つけ、尖閣周辺の領土表記がどうなっているかを調べた。

 その結果、尖閣諸島・久場島を示す「Hoapin-su」の西側に「……」との点線が引かれていた。ロンドン・アトラスだけでなく、約1年かけて、他の資料と付き合わせて調べたところ、点線は領土・領海の境界を示しており、地図上では、久場島を日本領と認めていたことが判明した。

 また、1868(明治元)年の地図「ハンド・アトラス」も同様に、久場島の西にラインが引かれ、尖閣諸島は「日本領」として、琉球併合前の沖縄と同じ色分けがされていた。この地図は、東大総合図書館に所蔵されていた。

 日本政府が国際法に基づく「無主地(むしゅち)先占(せんせん)」を閣議決定する前に、日本領であることを明示したこれらの地図が、何を意味するのか。


 明治政府は1885年から10年かけて、尖閣諸島に清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認し、日清戦争中の1895年1月、尖閣諸島の沖縄県への編入を閣議決定した。

 一方、中国側は「(中国名で尖閣を意味する)釣魚島は台湾省に属している。日本が台湾侵略の際に盗み取った」(中国外務省の洪磊(こうらい)報道官)と主張する。つまり、尖閣諸島は清国が領有する台湾の付属島として、日清戦争の講和条約「下関条約」(1895年4月17日締結)によって、台湾とともに日本に割譲されたという論法だ。

 今回、石井准教授が発見した地図は、日清戦争前の段階で、尖閣諸島に清国支配が及んでいないばかりか、日本領だったという認識を、日本政府の閣議決定に関わらず欧州列強が持っていたことを示す。中国側の主張を否定する資料といえる。

 尖閣諸島を日本領だと判断した英国のスタンフォード地図店の地図は、当時最先端の航海技術と各国機関への情報網をもつ英海軍の調査に依拠したとみられる。

 当時の尖閣諸島周辺は、ともに英国領となっていた香港と朝鮮半島南部沖の巨文島を結ぶ海上ルート上であり、英国海軍にとって重要な航路だった。

 石井准教授は「英国にとって、航行の安全を確保するために、周辺海域の島がどの国に所属するかは重要な情報となる。地図業者は、現地の新聞から最新情報を得て、地図を作っただろう。少なくとも、尖閣諸島に日本の支配権が及んでいたという国際認識があったことを示すといえる」と語った。

 世界地図の専門家の間では、スタンフォードの地図は海洋国家である大英帝国のおひざ元で発行され、その中でも当時の領土関係を比較的正確に反映した地図だと評価されている。

 スタンフォードやシュティーラーなど19世紀後半の大家が製図した世界地図がこれまで、発見されなかった理由について、尖閣諸島文献資料編纂(へんさん)会の国吉まこも氏は「大学や図書館などが所蔵する資料のデジタルアーカイブ化は近年始まったばかり。しかも、尖閣諸島問題は研究者が少ない。研究が進めば、こうした新発見は次々と出てくるだろう」と指摘した。(九州総局 奥原慎平) 
 ◇
【用語解説】無主地先占 国際法において、いずれの国にも属していない無主の地を、他の国家に先んじて支配を及ぼし、自国の領土とすること。