p1/7
甘党ではないトシである。

そうは言っても1ヶ月に1回くらい電車に乗って外出するときに決まった和菓子屋を訪れる。「甲州屋」は戦後に創業した三多摩の老舗である。決して派手な菓子を作っているわけではないが、その味で地元に愛されている。店先から漂う「焼き団子」の香りに街行く人は足を止める。よくある和菓子であっても、使っている材料が吟味されていて評判である。酒まんじゅうは福生石川酒造の銘酒「多満自慢」、ミルクまんじゅうは西多摩郡日の出町の「東京牛乳」を贅沢に使っている。地産地消で言えば、青梅の梅、稲城の梨、小平のブルーベリーを入れたフルーツゼリーやフローズンデザートが人気だったりする。新鮮な原料が味の決め手になっていて、モノが良いことは分かる人には分かる。本店はちっぽけな造りだが、エキナカビルや有名デパ地下に販売店を出している。

甲州屋本店の決して広いと言えない店内には買った和菓子をその場で食べることができるスペースが用意されている。イートインコーナーである。昔から通っていたと思われるおばあさんがだんごを一本買って食べてたりする。ひっきりなしに客が来るような行列ができる店ではないのでふだんは若奥さんがひとり店番をしている。本店の主要業務はいくつかの販売店に出す菓子を奥の工房で手作りすることであり、商売人というよりも職人の店である。たまに若奥さんに代わって先代の主人であるご隠居さんが店番をしてたりする。


1.甲州屋外イートインコーナー

p2/7
ひょんなことから僕はご隠居さんの話し相手になった。初めは菓子作りの苦労話からだったかも知れない。何にでも興味を持って話を聞くタイプの僕はご隠居さんに気に入られたと見え、店の常連客というよりもご隠居さんの常連客になった。イートインコーナーで長話をするご隠居さんと僕は若奥さんからするとちょっとばかり気に障るようで、初めのうちは、
「おとうさん、お客さんの迷惑も考えないでいい加減にしたら。」
という牽制が入ったりした。ご隠居さんは、
「お客さんがおれの話を聞きたがってんだ。おれが引きとめてんじゃねぇ。」
と8割当たってて2割はずれてる言い訳をして僕とご隠居さんの会話が続く。2割迷惑というのは最初の頃の話で、甲州屋に行けば必ず長話になると覚悟して行けば迷惑なことは何もない。それで僕がたまに甲州屋に行くと若奥さんが「おとうさん」を呼びに行くという図式が生まれた。

甲州屋のご隠居さんは78歳。本人が言うのだから確かである。堂々たる戦前生まれで菓子職人の修行の後、昭和30年代初めに店を創業した。この三多摩の田舎町を昔から知っている地元の名士であり、しかも職人気質だから良い意味でプライドが高い。誰にでもニコニコするような人あたりの良い商売人ではなく、人によっては合わない「難しい」人である。それでも三多摩の歴史に興味がある僕はじっくりと話に聞き入る。人の話を上の空で聞いているか真面目に聞いているかは話し手にはすぐ分かるもので、僕の「真面目さ」はご隠居さんのおメガネに適ったようである。


2.甲州屋ノート1

p3/7
ご隠居さんは地元の開発秘話を話してくれる。
「駅前のベンチ、良い木、使ってるでしょ。あれ、おれが市に掛け合って入れさせたんだ。」
とか、
「あそこの公園、おれが土地を供出したんだ。子供たち、元気に遊んでて嬉しいってもんよ。」
とか、半分自慢で半分地元に貢献して来たことを話す。

だから市役所がおかしなことを言って来たら頑として突っぱねる。
「市の役人が税金のことで何回も来るけど追い返してる。住民税は払ってるけど、絶対に固定資産は払わねぇ。こっちがどんだけ市に貢献して来たか分かってないから、『払って欲しかったら市長に来させろ』って言ってある。」
かなり過激である。というよりも自分の中で筋が通らないことは絶対に受け入れない。

市の役人の「常識」に対しても手厳しい。
「あなたねぇ。市の行政やってるんなら、日本にいくつ市があるか言ってみなさい。」
と結構な難問を出す。
「お兄さんはわかるよねぇ。」
と僕に無茶振りして来るのでとりあえず得意のフェルミ推定で答える。
「だいたい1,000ですね(1都道府県当たり20くらい市があって全国に約50の都道府県があるから)。」
ご隠居さんはニーッと笑って、
「そう、市の数は783。」
ご隠居さんはなかなかの勉強家だったりする。だから年配の役人が、
「約3,000です。」
と市町村合併前の数を答えるのが許せない。ついて来た公務員試験を受けたばかりの若い役人が、
「およそ1,700です。」
と答えると、
「それは市町村。市町村は全部で1,741。おれが聞いてるのはここと同じ市の数。そんなことも知らないで何が市政だ。」
と追い返す。いやはや僕も危ないところだった。


3.甲州屋ノート2

p4/7
ご隠居さんは住民に対しても目を光らせている。ふだんは陰口を言わないけれどと前置きして、
「駅から延びてるあの道、行き止まりになってるでしょ。再開発の計画から40年経ってあのザマ。町内会の寄り合いで市に協力するように言ってんだけど、あそこの家が頑として動かない。困ったやつだ。」
とか、
「町内のつき合いで忘年会に出てるけど、ああいう席で乱れるのは高校教師と警察官と相場が決まってる。『しょうがねぇ野郎だ』って思いながら黙って見てるけどろくなもんじゃねぇ。」
とか、
「『甲州屋さん、おたくも年でしょ。いつまで稼ぐつもりなの』って言われるけど、ほっといてくれって言ってる。そんなこと言うやつはだいたい団塊の世代の小僧で、仕事が無いから朝っぱらからカラオケボックス、夜はスナックでカラオケ。それでマイクの取り合いして情けないったらありゃしない。」
たぶん、この間の新幹線放火自殺の犯人(まさに団塊の世代)も許せないだろう。というか、ご隠居さんにとっては70才の老人がけしからん小僧だったりする。

ご隠居さんは客も選ぶ。客がよく似た贈答セットの値段をご隠居さんの前でスマホを使って調べ出したから大変である。
「じゃあ(この値段なら)買います。」
「あなたに売る商品はないから帰ってください。」
丁重にお引き取り願う。だいたいにしてご隠居さんはスマホが嫌いである。
「うちの嫁さん、お客さんがいないときは店先でシュッシュ、シュッシュしてる。困ったもんだ。」
良かったー、僕はガラケーで。と同時に店先から「おとうさん」を呼びに行く若奥さんは実の娘でなくて息子の嫁だと分かる。

こう書くとご隠居さんは怒ってばかりの偏屈爺さんのように思えるが、彼なりのユーモアを持っている。
「お兄さん、この押し出しの木型と受けの木枠。受けの枠がよれてきたからって新しくして良いってもんじゃない。凸と凹、両方よれてしっくり来てるんだ。夫婦も一緒。女房が古くなったからって若い女に取り替えたってうまく行かねぇ。」
僕はふんふんとご隠居さんの人生訓・夫婦観を聞いていると、
「お兄さん、分かるでしょ。若い女だと入るもんも入らねぇ。古女房だとピッタリ入る。」
といきなり下ネタに突入する。そういう時のご隠居さんは唐突にニーッと笑う。

p5/7
その古女房、いやご隠居さんの奥さんもたまにイートインコーナーに出て来てお茶を出してくれる。ご隠居さんは「おかあさん、あれどうだったかなぁ」とか尋ねて、奥さんの言うことは素直に聞くタイプであることが分かる。僕が「うち、小さい時は貧乏で…」みたいな話をすると、
「こいつの家も貧しい農家で今でもその癖が抜けねぇ。」
「そうなのよ。お刺身のお醤油が余ったら、お茶を入れてご飯と一緒にお茶漬けにしないともったいなくて…」
「そういうのを見て、この娘なら間違いないと思って嫁にした。」
と恋バナを語ってくれたりする。50年経ってもまだ惚れてるんだなぁと思う。


4.甲州屋ノート3


家族の内情も聞いてしまったりする。
「若奥さんってお嫁さんなんですか。」
「長男の嫁。せがれはなーんもしゃべらんやつでどうなるかと思ったけど、若い嫁さんもらって跡をついでる。」
「へー、始めはご主人さん、お婿さんかと思いました。若奥さんは『おとうさん、おとうさん』って言うけど、ご主人はずっとしゃべんなくて遠慮してるのかなと思ってました。」
「だろ。メーカーのエンジニアやってたんだけど、40過ぎてから菓子作りに興味をもつようになったとかで跡継ぎよ。」
「よかったですね。」
「そう。おれが4年前に脳梗塞で倒れて今じゃ左手が満足に動かねぇけど息子に店を譲れて良かったってもんよ。」

「長男さんってことは次男さんもいらっしゃるんですか?」
と僕は立ち入ったことを聞いたりする。ご隠居さんの顔がサッと曇る。
「あいつはダメだ。元暴走族でね。」
とかなりヤバ系の話になる。
「高3で更生して中大の商学部に入ったんだ。」
「へー、中央大学なら大したもんじゃないですか。」
「卒業して信用金庫に入ってうまく行くかと思ったんだけどな。」
「銀行員なら地元のエリートでしょう。」
「それがよ。正月に昔の悪い仲間に誘われたんだな。『初乗り』しやがって。」
「えっ、検挙されたんですか。」
「それで済みゃ良かったんだけど、事故って後遺症残って信用金庫もクビよ。」
「(わっ、思いっきり『身内の秘密』暴露!)」
「次男はそれ以来、アルバイトで食いつないでるけど、今でも『あんなことしなきゃよかった』ってうじうじ女の腐ったみたいなこと言ってやがる。全然、立ち直ってねぇ。結婚も出来ずに、三男夫婦が『にいちゃん、にいちゃん』って面倒見てるけど。」

p6/7
「(三男もいたのか)三男さん、優しいんですね。」
「三男はあれでいて(どれでいてだ?)気持ちの優しい子でねぇ。結婚して孫が二人いる。孫ってのは可愛いもんだなぁ。長男は子なしだけど。」
「(あー、これこれ)」
「孫娘は『おじいちゃん、おじいちゃん』ってなついて、こないだも学校の宿題とかで絵を描くのに付き合わされたんだけどな。」
「良かったですねぇ。」
「三男は4人家族なのにいつの間にか6人乗りのワゴンに買い替えて、こないだも『おじいちゃん、寿司食いに行こう』って、『おれはお前のじいちゃんじゃねぇ』って言ったんだけど、銚子まで連れてってくれた。あの寿司は旨かった。」

「うちは3人息子がいるけど仲良くてね。このビル作るのに借金しておれが死んでも遺産争いしないようにしてある。前は駅の近くに広い土地と家を持ってたけど、ぜーんぶ売り払って8,000万。」
「(わっ、秘かに金持ち)」
「それでこの3階建ての店、1億でこさえて借金が2,000万。」
「(わっ、借金まで聞いちゃった)」
「団塊の小僧は『遊ぼう、遊ぼう』って言うけど『うちにゃ、借金があってあんたたちみたいに遊んでられないんだ』って言ってる。『かわいそう』っていうけど、どっちがかわいそうなんだか。手に職があって死ぬまで働けるってのは良いもんだ。長い間、会社勤めして何も残らないよりずっとましってもんさ。」
「そうですよねぇ。小銭はあっても毎日カラオケじゃね。」
「とにかく三兄弟には財産は残さねぇ。借金は長男が払えばいいし、財産がないのが分かってるから今のうちから兄弟みんな仲が良いってこと。」

「長男はひとーっつもしゃべんねぇけど真面目だし、嫁だってそんな息子んとこに来てくれて本当は感謝してる。店先で『シュッシュ、シュッシュ』は気に入らないけどそんなのはどうでも良いんだ。」
「(良かった。嫁いびりはないみたい)」

「次男もうじうじしてるけど、銀行で接待とかしてたんだろ。いい宴会場とか知ってんだな。先月、金婚式だったんだけど、次男の考えで豪華なホテルの個室借り切ってパーティー開いてくれてね。3人で金、持ち寄って。ありゃあ嬉しかったぁ。なあ、おかあさん。」
「立派なホテルだったわねぇ。3人とも良い子で良かったわ。」
だんご三兄弟の父親はどこまでも幸せなのだった。


5.甲州屋ノート4

p7/7
「おじいちゃん、おじいちゃん。大丈夫。」
孫でも来たのかなと思って振り返ると妙齢のご婦人。甲州屋のご隠居さんはいつの間にかいなくなっていた。
「おじいちゃん、そんなとこでぼーっとしてて大丈夫?」
「おじいちゃんって?」
「おじいちゃんのことですよ。」
女性は僕の方を向き、僕はハッとした。あたりを見回すと甲州屋のビルは5階建てになっていた。
「ご隠居さんと話をしてたんだけど…」
「ご隠居さんって。」
「甲州屋さんの創業者のご隠居さん。」
「何言ってんですか。祖父は30年も前に亡くなりましたよ。あれは2025年だったかしらね。」
「ええーっ、今は…」
「創業者の後、伯父が継いで今は私の代だけど。」
「ええーっ、三男の娘さん?」
「よくご存知で。祖父のお知り合いか何かですか?」
僕は何が何だか分からなくなった。2025年に創業者が亡くなってそれが30年前のことだとすると今は2055年? 僕は2015年から2055年までの40年も眠っていたのか? それとも超能力で40年の時を一気に飛び越えたのか? 僕はクラクラする頭で甲州屋のビルを見上げた。店からは香ばしい「焼き団子」の匂いがしていた。


6.甲州屋外観