p1/9
なにげに投資家のトシである。

先だって資産運用に関して取引のある銀行の運用担当員と「ご相談」を行なった(1階の窓口でなく2階の応接室にて)。まだ30を少し過ぎた運用担当の支店長代理Y氏と40半ばの金融商品エキスパートの支店長代理O氏である。支店長代理×2が私の対応をするのはもちろん私が支店のVIPであるからである…わけもなく、三多摩の田舎支店はナンバー2を大量生産して(肩書きインフレーション)年配の客の自尊心をくすぐりヤンキー上がりの若造にお引き取り願うだけのことである。Y氏は若いと言っても10年選手で都心有力支店支店長レースにかろうじて踏みとどまっていることは20代後半の4年前から支店長代理として同じ田舎支店にくすぶっていることから分かる。Y氏が「◯◯市駅前支店」と「◯◯市中央支店」の両方の支店長代理であるのは「元□□銀行◯◯支店」と「元△△銀行◯◯支店」がメガバンク再編で合併したからに過ぎず、店舗所在地がやっと同じ住所に統一されたのにまだ2つの支店が残っているという奥深い内部対立を物語っている。なお、◯◯市にはあと3つ店舗登録があるがいずれもATMコーナーであり、Y氏はスーパーの店先に設置されたATMの前でティッシュを配っている兄ちゃんとは違うことを申し添えておこう。田舎にぽつんと置かれた機械の前にひとり銀行員が常駐してたらそれは完全なイジメか罰ゲームである。

一方の年の行ったエキスパートのO氏は若手指導員として出世コースからはずれた銀行員である。金融に長けていると言っても50才の実質定年まであと数年。45歳で「黄昏研修(集団肩叩き説明会)」を受けた口であろう。最後は名誉職の田舎支店長を拝命して銀行員人生を終える。もちろんO氏とて人生が終わったわけではなく50歳でメガバンクを強制的かつ自主的に退いた後は出向先の関連子会社か天下り先の取引先企業で一発逆転を狙うことになるのかも知れない。三多摩にある東証一部上場企業の取締役常務として実績を上げてその子会社の社長を狙うのかも知れないし、もしかするとその田舎会社の財務再建のためにいきなり取締役社長として火中の栗を拾うのかも知れない。あるいは「本社シンクタンク名プラス横文字」みたいな名前の子会社、たとえば「みずほ総研ソリューションビジネスエンタープライゼズ」(←かなり胡散臭い架空企業名)で中小企業の資材調達や在庫受発注管理の効率化ソリューションサービス(問題の解答・解決施策提案)の責任ある立場に就くのだろう。勤務先も新宿初台の東京オペラシティ(地上54階地下4階の超高層おしゃれオフィスビル)だし、やっと肥料のニオイがする百姓の相手から解放されて文化的都市生活が送れるようになるのだし、「まあいっか」である。


東京おぺらしてぃー¥


p2/9
そんな他人のことはどうでも良い。ともかく彼らによると私の手持ちの金融商品のひとつが大きくリターンを出しているとのこと。安全確実を是とする私であるから株式・REIT(不動産投資)・先物取引には手を出さない。また刻一刻と変化する相場の動きとその材料(情報)を収集するほどヒマでなくすべては投資のプロであるファンドマネージャーまかせであるが運用先を預金金利と債権のみに設定することで高いリスクを避けた商品を購入していた。ただしその金融商品は日本円をいったん外貨に交換してから投資を行なういわゆる外貨建てでありハイリスク・ハイリターンでないとは言え為替変動のリスクから元本保証の無いものであった。

ここで投資に明るくない読者諸氏に向けて説明すると、金融商品とは債権・株式・REIT・先物取引などへの投資を巧みに分配し(リスクを分散し)、場合によっては外貨建てにすることで海外での高い利率をベースとし、また場合によっては体裁として生命保険や年金の形式を取るものである。投資先も債権・株式といった大雑把なくくりでなくてローリスク・ローリターンの先進国国債からハイリスク・ハイリターンの新興国株式まで組み合わせることが可能だが、投資の方向を具体的に「設計」したものが金融商品である(「設計書」が渡される)。金融商品のあるものは元本保証があり、あるものは元本保証はないが10年で500%増加を顧客の最大ターゲットに運用する(500%よりも高い運用益が出た場合はすべて銀行側の取り分とする)など商品は千差万別ある。このあたりで読者の何割かの方はおそらく頭が痛くなって記事を読むのをやめてこめかみに貼る梅干しを買いに走っていることと思う。私もクラクラする頭でこの複雑怪奇な「金融工学」の内容を「ご相談会」で理解しようとするのである。

だいたいが金が金を生む「現代の錬金術(金融工学)」を使っている金融業は、町工場のようにネジ一本作らない、肉屋のようにコロッケひとつ揚げない虚業である。他人の金を右から左へ流す際に錬金術を駆使して「右と左の間」で儲けるいかがわしい業態である。もちろんすべての商工業は生産者から消費者へモノを流して儲けているが、「右と左の間」で加工を行なったり物流を行なったりする。寿司屋は魚と米を仕入れてそのまま客に出しているわけではないし(カウンターで生のアジ丸一匹と精米一盛りが出て来たら客は怒る)、八百屋は青果市場から買って来た段ボール箱入りのリンゴを客に渡すわけではない(2ダースのリンゴを渡された客は「ここはコストコかっ!」とツッコミを入れる)。

これに対して銀行・証券会社・保険会社のやっていることは、小口の金をまとめて事業を支援するなど社会発展に寄与するという本来の目的から大きく離れてしまっている。私は銀行員を見たら「この金貸しがっ!」と石を投げたくなるし、証券会社のチーフエコノミストが景気動向について語っているのを見ると「株屋の手先が何を言ってるんだっ。消えろっ!」とテレビを消すし、金融業界に多くの卒業生を送り出している一橋大の男子学生を見ると「錬金術師の卵、割って油ひいて焼くぞっ!」とフライパンで殴りたくなる。金融業、さらには金融工学などの多くの分野の経済学は私にとって学問をはき違えた侮蔑の対象である。
「偏微分と多重積分を金儲けに使うなってーのっ!」
「多変量解析で怪しげな10次元空間ベクトル射影を最小化するんじゃないっ!」
いくら頭が良くてもやってることは人間愛と幸福から一番遠いことである。


2.金融工学ブラック=ショールズ方程式


p3/9
さてそんな偏見にとっぷり漬かって発酵した私だが、泥棒の上前をはねるべく購入した金融商品は国内銀行の普通預金金利が年率0.02%、定期預金金利が年率0.03~0.05%のこのご時世にあってそもそもの高い海外預金金利(~5%)もさることながら折りからの円安によって商品価格はこの4年間で1.5倍に跳ね上がった。まさに投資家に対するアベノミクスの恩恵であり、金が金を生む現代の錬金術・超能力である。読者の中にはやっかみから、
「ったく、いくら儲けたんだ?!」
と怨嗟の声を荒げる人もいるだろうし、
「金融商品って、さぞかしお高いんでしょう…?」
と力無く羨望の声を漏らす人もいるだろう。白状しておくと200万円が4年間で300万円になったということである。いわゆるスケールメリットを考えてなぜ2,000万円を投資しなかったのかと言われれば単なる気分の問題だし、なぜ2億円投資しなかったのかと言われればたまたま手元になかったからであって他意はない(見栄でない)。いずれにせよアベノミクスで富裕層がボロ儲けする仕組みがここにある。

それにしても信じられないような利回りである。小学生向けの算数の問題では、
Q:200万円が4年間で300万円になった。1年あたりの利率はいくらか? ただし単利とする。
であり、200万円の元金に対して4年間の利息が100万円あるいは50%なので年利は、
A:50%÷4=12.5% ■
高校数学の問題では、
Q:200万円が4年間で300万円になった。1年あたりの利率はいくらか? ただし複利とする。
であり単利計算の場合の12.5%より小さい利率で同じ額の利息が得られることが予想される。高校数学の単元で言えば「指数と対数」。大雑把に言って元本と利率から元利合計を求めるのが指数計算(べき乗計算)、元本と元利合計から利率を求めるのが対数計算である。具体的には、
A:年利をxとすると元利合計は200万円×(1+x )^4 = 300万円 (^4は4乗の意味)
すなわち、(1+x )^4 = 1.5
対数を取って、4 log(1+x ) = log 1.5
それゆえ、log(1+x )= (log 1.5) / 4 = 0.04402(電卓による)
対数の定義より、1+x = 10^0.04402 = 1.107(電卓による)
したがって、x = 0.107 = 10.7% ■
この程度の利率(と年数)では単利(12.5%)も複利(10.7%)もあまり違わない。って国内の預金金利(0.02~0.05%)よりもずっと高いんだが。


3.フィボナッチ対数らせん


p4/9
それにしてもいかがわしい金を手にしたものである。円安によって私が儲けた一方で誰かが損をしている。私のプラス100万円は誰かのマイナス100万円であるというゼロサム(合計がゼロ)が経済の原則である。
「いやいやそうじゃない。人間の社会生活は決してゼロサムでなく、愛を誰かに与えれば自分も愛に満ち、人を傷つければ自分も傷つく」
というのは真実であるにしても、富裕層を支える保守政党(自民党、次世代の党、維新の党のうち旧みんなの党一派)が、
「経済活動は互恵関係(win-winの関係)に基づいており、レストランが1万円を儲ければ客は1万円分の幸福を手にする」
などというまことしやかな非ゼロサム経済に問題をすり替えて自分のボロ儲けを正当化するのは欺瞞であり罪悪である。レストランで1万円払って幸福感を得る客は多いが、自分の意思によらない形で1万円を取られて幸福な人はいない。殴られて笑っている人間は見たことがない。

非ゼロサム経済という金持ちの妄言を信じない私は自分の儲けで誰が泣いているのだろうと思いを巡らせる。
「泣いているのは、円安でエサ代が高騰して可愛がっていた乳牛を屠殺場に回した牧場主の娘か?(ドナドナドーナドーナ♪)」
「泣いているのは、円安による火力発電用石油の高騰で電気代が支払えなくなって電気を止められた母子家庭世帯主のキャバ嬢か?」
「泣いているのは、円安によって学校帰りに友達と食べていたパン代が払えなくなり仲間の輪から外れてグレた少年を男手ひとつで育てた町役場勤めの父親か?」
「泣いているのは、アメリカ産大豆の高騰で作ってる豆腐の値段を一丁50円から60円に上げたら客がみなスーパーの相模屋豆腐に流れて店がつぶれた三丁目の正直屋とうふ店の奥さんの背中にくくりつけられた赤ちゃんか?(赤ちゃんは以前から泣いてたような気がするが)」
「泣いているのは、『この物価高じゃしょうがないだろう。それにしても最後にもう一度お前の作ったハムエッグが食べたかったなぁ。』と静かに息を引き取ったおじいさんか? 泣いているのはそれとも、『あなた、ハムと卵が買えなくてゴメンね。』と冷たくなった旦那の手を握り続けるおばあさんか?」


4.ハムエッグ


p5/9
いやいや、ネガティブになってはいけない。不労所得として得た100万円であれば派手に散財することこそ社会への還元である。経済の血液として金を流すことが社会貢献であり、利益を内部留保としてため込むことが悪なのだ。そう自分に言い聞かせると、さっそく新しいパソコンを20万円で買い、海外旅行代金20万円をツアー会社に振り込んだ。ここは夜の経済にも金を流さねばとキャバクラ代2万円×年20回=40万円を計上(5,000円ポッキリは最初の顔見せだけであって場内指名をして延長をするとたいてい2万円くらいにはなる)。これで合計80万円。残りの20万円は…やったことがないパチンコデビューにでも使ってみるか。思えばこれが私の転落の始まりだった。

やってみるとパチンコはとんでもないハイリスク・ローリターンだった。1時間に2万円くらい事も無げに飛んで行く。確かに2万円が5万円になることもあったが、その昂揚感がローリターンを気分的に補っているだけのことである。1週間も持たずに予算計上していた20万円がなくなった。しかし勝った時の快感が私をパチンコ屋に向かわせた。「出る台」を求めて朝の開店時間に並ぶパチンカス生活。
「あと200万円ある。元手が大きければスケールメリットが働いて取り返せるはずだ。」
という完全な誤解には気づかなかった。小さい元手で小さい利益が得られれば大きい元手で大きい利益が期待できないこともないが、小さい元手で損失が出ている以上、元手を大きくすると損失は膨らむのが道理だった。パチキチになっていた私はそんな簡単な理屈も理解できず、いや理解しようとせず、パチンコ屋に通う頻度を増加させた。1ヶ月も経たずして手元に残っていた200万円はすべて失われた。

生活費に困り始めた私は消費者金融に「融資」を申し込んだ。そもそも融資とは設備投資などでリターンが見込める事業に対して貸付を行なうことであり、性質上ノーリターンである生活費に対して行なう貸付は融資でなく一時的な延命措置である。しかし冷静さを失っていた私はテレビでイメージCMをバンバン流している大手消費者金融5社が新たに共同で創設したという「スタンダード・アンド・プアーズ」(米最大手格付け会社)ならぬ「アモーレ・プアーズ」から200万円を借りることにした(※「アモーレ・プアーズ」=「アコム・モビット・レイク・プロミス・アイフル」による共同出資会社)。

利息約20%で200万円は1年で240万円の借金になり3年では320万円…ではなく、複利のため350万円になった(200万円× (1+0.20 )^3 = 350万円)。生活に困って追加の「融資」を受け、借金は500万円にまで膨らんだ。こうなると大手金融業者とて愛(アモーレ)を貧者(プアー)に分け与えてくれるはずもない。大手への借金完済のために闇金融への借り換えが待っていた。今度は利率約40%で500万円。借金は3年で1,400万円になった(500万円× (1+0.40 )^3 = 1,370万円)。その間の生活費を大手は貸してくれるはずもなく闇金から借りた借金は合計2,000万円を越えた。


5.消費者金融大手5社


p6/9
魔が差したのはそんな時だった。イライラを募らせていた私は駅前で募金活動を行なう男子高校生数名と口論になった。「恵まれないアフリカの子供たちに愛の手を」。そんな偽善に腹が立った。だいたいこういう募金活動はバカな高校教師がチャリティーの校外実習として思いつきでやらせているものである。
「アフリカよりもいまだに東日本大震災で苦しい生活をしてる人達がいることを知らないの?」
「災害に遭わずとも日々の生活に困っている貧困家庭が日本にどれほどあるか分かっているのか?」
「いろんな不運が重なってホームレスとして路上生活をしてる人に目をつぶって何がアフリカだ。」
「ノーベル平和賞のマザー・テレサが『私の下で働きたいという気持ちがあるならまずあなたの周りの困っている人を助けなさい』って言ったの知ってるのか!」
私のまともな理屈(まともであると自分では思っている理屈)に対してニヤニヤしている男子学生に私はカッとなって募金箱を取り上げた。何も募金箱を奪って逃走しようとしたわけではない。事実、一歩も動かず募金箱に手をかけただけである。しかしそれで充分だった。私は窃盗罪の現行犯で逮捕された。私の論理がいかに正しくとも行なったことは強奪にあたり、その行為には窃盗罪・恐喝罪・強盗罪のいずれかが適用される。10年「以下」の懲役となる窃盗罪(または恐喝罪)が適用され、5年「以上」の懲役となる強盗罪を免れたことは救いだった。頑迷な高校教師らと示談が成立するはずもなく(示談は教育指導に誤りがあったことを認めることになる)借金を抱えている身辺状況では情状酌量も認められなかったため、初犯にもかかわらず執行猶予がつかず裁判では懲役半年の実刑判決が下された。

たった半年だが刑期を終えて出所すると私は仕事も住所も何もかも失っていた。借金は自己破産により無くなったとは言え、住むところにさえ事欠いた。以前、話題になったネットカフェ難民の生活が続くことになる。ナイトパック6時間で1,500円または9時間コースで2,000円。これだけあればとりあえず日々眠る場所を確保できる。ネットカフェ側も分かったもので24時間長期滞在コースを1日あたり2,500円で提供していた。難民の需要に応える多くのネットカフェがあることは、ネットカフェの供給を受ける難民がかなりの数にのぼることを意味していた。問題の深刻さから政治家と役人の視察団がやって来ることがあったが話が噛みあわない。
「ねぇ、お兄さん。こんなとこで1泊2,500円も払うなんておかしいんじゃないの。1日2,500円だったら1ヶ月75,000円だよ。計算できる? アパートなんてもっと安いとこあるんじゃないの。君たち、そうだよなあ。」
同意を求める政治家に役人たちはただただ頷くだけだった。アパート暮らしができれば苦労はない。5万円のアパートを借りるためには敷金・礼金・家賃前納・仲介業者手数料が各1ヶ月分で合計20万円が必要なのだ。保証人のアテがない場合は物件によっては門前払いだし、保証人代理業者をつけられる場合はそれだけ割高になる。その日暮らしの、すなわち"hand-to-mouth"の(手にしたものをすぐに口に入れる)人間に20万円超の金を準備できるはずもない。政治家と役人の視察団は何も分かっていなかった。


6.政治家の視察


p7/9
そんなネットカフェ生活さえ困難になった私は水が低きに流れるように自然と安ホテルに住み着くようになった。ホテル暮らしと言うと話が見えなくなるが、ドヤ街の簡易宿泊所(木賃宿)での連泊である。1泊1,500円。ネットカフェほど見栄えが良くない代わりにネットカフェで1畳半のスペースは簡易宿泊所では2~3畳になった(※ネットカフェでは1畳の空きスペースとパソコンとテレビを置く半畳のスペースがあり、眠るときはパソコン・テレビの下に足を突っ込む形で横になる)。簡易宿泊所のあるドヤ街(「ヤド」のある街)は東京の山谷(さんや)、大阪の西成あいりん地区、横浜の寿町、川崎の日進町などがあり、私は日進町の「吉田屋」という簡易宿泊所に泊まることにした。ドヤ街での生活は希望を持たなければそれなりに安定したものだった。生活保護は受けやすく物価が極端に安かった。出どころのあやしげな物を売っていたのかも知れない。自販機の50円缶コーヒーが住民の一番のぜいたくだった。危険と不衛生は承知の上、夜は決して外に出ないなどの防犯には気をつけていた。

7.ドヤ街の自販機

しかしそれは起こった。不審火が絶えなかったドヤ街ではあるがたいていは老朽化した宿泊所の漏電かムシャクシャした住民による放火でボヤ騒ぎで済んでいた。今回は違った。ガソリンを撒いた凶悪な放火であり、あっという間に隣の宿泊所を含めて全焼した。私はすんでのところで窓から飛び降り一命を取り留めた。死者10名、重軽傷者10数名を出したドヤ街の火災は住民トラブルによるものと言うより古株の簡易宿泊所の排除を目的としたものであると考えられた。ただし、不動産業者が地上げ屋を使って犯行に及ぶのはどんな土地でも高値で売れたバブル時代の話であり、むしろ新手の貧困ビジネス・福祉ビジネスが勢力拡大を狙ったものと推察された。


p8/9
原因が何であるにせよ、結果として私は「安定な生活」を失った。ネットカフェ難民時代と同じく生活保護の(継続)申請に必要な「あなたの住所または居場所」の欄は空白になり、実際は生活保護が認められない路上。私はドヤ街の住人よりもさらに貧窮した路上生活者となった。家庭ごみとして出されたペットボトルや缶や新聞紙を「自主的に回収」し、つまりは条例を犯してリサイクルして日々の生活費を稼ぎ、それでも腹が減れば未明の飲食街の裏通りで残飯を漁った。眠るのは公園というわけに行かなかった。公園のベンチは横になれないよう真ん中にじゃまをする板が釘打ちされているし、夜になると公園そのものが立ち入り禁止になった。これは路上生活者が公園に住み着かないようにという意図で近隣住民への配慮としても路上生活者の根絶としても社会正義に反しないように思われるが、では当の路上生活者はどうすれば良いのか行政だけでなく社会全体がほぼ無策だった。「路上生活者ゼロで幸せな社会を」というキャッチフレーズは「路上生活者を救って幸せな社会を実現しよう」という社会福祉の決意表明でなく「路上生活者が死んでくれれば幸せな社会が実現されるのに」という不作為の殺人を意図しているかのようだった。

社会から生かされない私の居場所は駅コンコースと周辺ビルをつなぐターミナルの一角であり、そこにはすでに何人かの先住者が暮らしていた。通勤通学客や買い物客が忙しく往来する通路の柱の陰に、無為に横たわる路上生活者が住んでいるという社会の二重構造を象徴しているかのような場所だった。壁のポスターに証券会社による資産相続とさらなる投資の相談を勧めるキャッチコピーが躍り、「幸福とは金である」という強者の論理が悲しく目に映る。

「私はどこで間違ったのだろう。あの火事さえ起きなければここに来ることはなかった。いや、あの男子高校生が募金などしていなければ私は…そうじゃない。あの一件は借金まみれになった自分が招いた事であって闇金ならずとも消費者金融に金を借りなければ良かった。そもそもパチンコなどに手を出した自分の弱さか、それともギャンブルを可能にしたあぶく銭が悪いのか、魔法か超能力かのように金が金を生むことを是とする金融業が悪いのか。いやいや、金融業を悪と言うのならどうして私はそんな業者と関わりを持ったのか。」
答の出ない問いに私は頭を巡らしていた。今さら答を出してもしょうがない問いだった。


8.野村証券前のホームレス


p9/9
ブツブツと口を動かす私を見て小学生とおぼしき女の子が母親に言う。
「ママ~。あのおじさん、あんなとこに座ってるよー。足、けがしたのかなぁ。」
「これ、見ちゃいけません。さ、早く…」
モーパッサンの「ジュール叔父」の世界だった。二人が通り過ぎるといつものように人通りの多い往来は私に対して口を閉ざした。

そんな中、一人の娘が往来から抜け出して私の方に近づいて来た。女子大生だろうか。二十歳過ぎに見えるやや背の高い清楚な娘は私に向かって言った。
「おじさん、これ食べる? 私、今日の分はもう食べちゃったからあげるー。」
娘はかばんから取り出したリンゴを私にトスした。
「はは、ナイスキャッチ♪」
物言わぬ生活を長く続けていた私は礼も満足に言えず体を揺らすようなお辞儀を何回かしてリンゴをかじった。リンゴの美味しさよりも久しぶりに人間扱いされたことが嬉しくて私は溢れる涙を止められなかった。顔を上げると彼女は照れくさそうないたずらっぽい笑顔を浮かべていた。
「へへ…」
私には彼女が天使に見えた。
「いや、本物の天使なのか、天に召される前に私を呼びに来た。…はっ、このリンゴには毒が!」
私はリンゴを落とすと意識を失った。




気がつくと私は見覚えのある部屋にいた。傍らにはかじりかけのリンゴがひとつ。
「あ・れ? 彼女は? もしかすると今のは…? いや、その前のドヤ街もネットカフェも募金活動の男子高校生も夢? だったらどこからどこまでが?」
私は借金をしたのか調べたくなかった。調べるのが怖かった。私は金を儲けたのか調べたくなかった。調べる必要はなかった。それが夢でないにせよ、金融工学とやらの超能力で手にした金はたとえひとときの眠りの中でも私を転落に追いやった。銀行に相談に行ったことも何もかもリンゴひとかじりの浅い眠りの中で見た夢で良かった。ならばこの記事は消してしまえば良いが、「一炊の夢(邯鄲の夢)」ならぬ「一齧の夢」として記録に残しておく。