1989年6月4日に天安門広場で「虐殺」があったと今でも西側のメディアは報道している。この話を最初の報じたのは香港のサウス・チャイナ・モーニン
グ・ポスト紙(南華早報)で、それを西側のメディアが利用しているのだが、それを否定する情報がある。例えば、2011年6月にウィキリークスが公表した
北京のアメリカ大使館が送った1989年7月付けの電信文によると、
チリの外交官は群集に対する一斉射撃はなく、広場に入った部隊の大半は棍棒を持っていただけで、武装した兵士はそのバックアップ部隊だったと報告
している。
《櫻井ジャーナル》