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アスファルト=瀝青(ビチューメン)

天然のアスファルトは瀝青(ビチューメン)と呼ばれ、古代から使用されてきた事がわかっている。紀元前3000年頃の古代エジプトでは、ミイラ防腐剤としても使用された[1]

天然アスファルトは主に接着剤として使われ、旧約聖書の『創世記』ではバベルの塔建設にアスファルトの使用が記述されている[2]。アスファルトという単語英語に現れたのは原油の利用が一般的になり始めた18世紀に至ってからである。このため、英語においてもギリシア語のασφαλτοσ(asphaltos)からの外来語であった。a(しない)とsphalt(落とす)という意味がある。

日本では縄文時代後期後半から晩期にかけて、日本海側の秋田県山形県新潟県などで産出した天然アスファルトを熱して石鏃(せきぞく:石の矢じり)や骨銛(こつせん:骨のモリ)など漁具の接着、縄文後期の秋田県横手市八木遺跡の事例として網漁に用いる石錘漁網の接着[3]、破損した土器土偶の補修、漆器の下塗りなどに利用された。産出地のほか関東地方でもアスファルトの付着した遺物が出土し、黒曜石ヒスイなどとともに縄文時代の交易を示す史料になっている。これらは明治期に佐藤伝蔵による東京大学人類学教室の資料調査において発見され、佐藤初太郎によってアスファルトである事が確認された。藤森峯三は秋田県昭和町(現潟上市昭和)において縄文時代のアスファルト産出地を確認し、現在では原産地を特定する技術により広域に流通していたことが判明している[4]

日本書紀には、668年に「燃ゆる土」が越の国から天智天皇に献上されたとの記録があるが、これはアスファルトであるとも言われる。

日本で初めてアスファルト舗装が施されたのは長崎県長崎市グラバー園内の歩道であるといわれているが、成分分析が行われていないため定かではない(輸入品で舗装されたもよう)。したがって、一般的には明治11年東京神田昌平橋に舗装されたのが最初であるとされている。使用されたのは秋田県(現在の潟上市)からはるばる運ばれた天然アスファルトであった。



ローマン・コンクリート

ローマのパンテオンはローマン・コンクリート建築として有名であり、内径43m、天窓の直径9mという巨大建築物である。BC25年に創建された後火事で焼失し、ハドリアヌス帝時代に別の形で再建される。 材質は単層のローマン・コンクリートではなく、上に行くに従って軽くなる6層構造である[10]

基礎…凝灰岩と砕石1階…凝灰岩と石灰岩の2種の砕石2階(窓がある)…凝灰岩の砕石とレンガ片円蓋下部…レンガ片円蓋中部…凝灰岩の砕石とレンガ片円蓋上部…凝灰岩の砕石と軽石

その他の古代ローマ建築物例編集

ローマ・コンクリートを用いることで実現した次のような巨大建造物があるほか、古代ローマ各地のより小規模な建築物にもコンクリートが用いられていた

フラウィウス円形闘技場(コロッセオ)カラカラ浴場マクセンティウスのバシリカトラヤヌスの市場ローマ水道の水道橋や導水渠、分水施設(カステルム・アクアエ)などの構造物アウレリアヌス城壁(ローマ市街地を取り囲む防御壁)

ピラミッド コンクリート説編集

ウクライナの科学者、Victor Glukhovsky(ビクトール・グルホフスキー)は、古代のセメント製造法を調べ、アルカリ活性剤を加えることを発見したと主張している[11]。Glukhovskyの研究に影響を受けたフランス人の化学エンジニアJoseph Davidovits(ジョセフ・ダヴィドヴィッツ)は、古代セメントの結合構造であるジオポリマーの化学的構造を解明したとし、エジプトピラミッドの外殻に使われている石灰岩の化粧石が、自然石を切り出したものではなく、ジオポリマー石灰石コンクリートの一種である人造石で造られたとする説を発表した[12]

なお、ピラミッド内部の荷重を受ける部分に使われている石材は、石切り場から切り出して運ばれた天然石の花崗岩であり、石灰岩の化粧石とは材質が異なるにもかかわらず、あたかもピラミッドの全てがコンクリート製であるかのような、錯覚を与える記述をしているサイトが散見されるので、注意を要する。

ピラミッドの石切場で採取した石を砕き植物灰などと混ぜて古代セメント製のコンクリートブロックを作り、ピラミッドの石と成分などを比べて調べるという実験が、山口大学池田攻名誉教授によって行われたものである。番組中、池田教授は自然石では見られない石膏カリウムがピラミッドの石に含まれていることや、古代コンクリートの可能性がなくはないことに言及した。

高句麗国の将軍塚などのエジプトのピラミッドと共通の外観を持つ石積みの古墳や、同様の大陸式山城の石組みを用いた、日本の神籠石と呼ばれる巨石によって築かれた山城にも、ピラミッドの石を製造したのと同じジオポリマ-技術が使われていることが、顕微鏡を用いた分析からも確認されている。失われた古代技術がシルクロードによって極東まで伝えられた痕跡が認められる。



石造建築物 - (特定未確認) :理論上、石器時代に属する原始的な石造建築物遺跡がそれに当たる。最古の3階建ての建物 - エリコの塔エリコの町(パレスチナにある集落遺跡)のうち、紀元前9000年頃(ナトゥフ期初頭)に形成された遺跡に見出される石造建築物[38]建物利用が続く石造建築物 - (参考)ローマのパンテオン(その2代目)か帝政ローマ時代初期にあたる紀元前25年ローマにて創建されたが、初代は間も無くして焼失し、128年に再建されたもの(■右の画像参照)が現存する。再建以来、途切れなく建物利用が続いている石造建築物(同時に、建物)として世界最古か。当初は万神殿(パンテオン)、のちにカトリック教会堂に改装されて今に至る。階段ピラミッド - ジェセル王のピラミッド(別名:サッカラのピラミッド)古代エジプト第3王朝時代のサッカラにてジェセル王治世下で紀元前27世紀半ばに建造された(■右列の画像参照)。現存最古の階段ピラミッドであり、かつ、史上初・現存最古のピラミッドでもある。ジッグラト - ウルのジッグラトシュメール都市国家ウル(現在、イラクナーシリーヤ近郊にあるウル遺跡内)で紀元前20世紀前後に建造されたジッグラト(メソポタミアの階段ピラミッド)。現在知られているものは、以前からあったものの再建にウル第三王朝初代王ウル・ナンムが着手し、第2代シュルギ王の時(紀元前2090年代半ば)に完成したものとされる。ピラミッド - ジェセル王のピラミッド(サッカラのピラミッド) : 上述を参照のこと。スフィンクス(ギザの大スフィンクス) - 世界最大にして最古の石像(石製建築物)[39]。石造ドーム建築物 - 蜂窩状墳墓紀元前1500年頃からミケーネ文明で多く見られるようになる擬似アーチ(持送りアーチ)形状の天井を持つ墳墓が、既知で最古の明確な蜂窩状墳墓であり、したがって、史上初で現存最古の明確な石造ドーム建築物である可能性が高い(■右列の画像参照)。天井を備えた自立型建築物 - (参考)ハトホル神殿紀元前1世紀頃、古代エジプトデンデラに創建される。完全な天井のある自立型の建築物として最古か。現存する最も保存状態の良いエジプト神殿。現在はローマのパンテオンのように建物としては利用されておらず、遺跡である。仏教の石造建築物 - (参考)サーンチーストゥーパ紀元前3世紀半ば、アショーカ王による建立。■右列の画像参照。利用中のキリスト教の石造建築物 - (参考)降誕教会5世紀頃、パレスチナベツレヘムに建造された。今も使われているキリスト教会堂として世界最古の一つ。イスラム教の石造建築物 - (未編集)木造建築物木造建築物 - 法隆寺金堂および五重塔日本斑鳩宮近郊(現・奈良県斑鳩町域)に、推古天皇9年(601年)、聖徳太子によって建立されたとの説が有力であるが、異説もある。天智天皇9年(670年)に全焼したともされており、その場合、再建時期は不明とされる。このように諸説入り乱れる中ではあるが、早くて7世紀初頭の創建、遅くて同紀後半の再建と考えられている。