2016年1月23日

 宜野湾市長選挙の最終日を迎えた。 それぞれの「志」を持って立候補した現職と新人の一騎打ちだ。 2つの陣営の支援者の熱い思いに支えられた2人の候補者が「大激戦」を繰り広げている。 現職の佐喜真淳(あつし)候補のために、「直滑降ブログ」を通じた最後の応援演説をやらせてもらう。 たった1人でもいい。 この「言霊」が宜野湾市民の人たちの胸に届きますように! 

 亡父・山本富雄(参院議員・元農水相)は「叩き上げ」の政治家だった。 町議会議員を3期、県議会議員を3期務めた後、国政に打って出た。 最初の参院選挙のキャッチフレーズは、「群馬を歩き回って故郷の土だらけになった靴のまま国会の赤絨毯を踏みたい!」(群馬の土を国会へ)というものだった。

 このキャッチフレーズには説得力があった。 亡父は地方政治家として、国会議員として40年近く群馬県中を歩き回っていたからだ。 「群馬県のことは隅々まで、誰よりもよく知っている」と言うのが口癖だった。 「政治の真髄は地域の1人1人の思いを行政に反映することだ。たとえ『柄杓で大海に水を注ぐような作業』であっても陳情を軽んじてはならない。そこに住む人たちの喜びや悲しみ、1つ1つの思いを丁寧にすくいとって、行政に反映していく。これが政治の要諦だ」と熱く語っていた。

 こんなこともよく言っていた。 「政治家は現場に足を運び、生身のひとと話し、足で本当の世論を掴む。自宅にあがってお茶をいただき、田んぼの中で農業を考え、商店街の人たちと膝詰めで議論し、お祭りで皆と一緒にお神輿を担ぎ、工場を視察してそこで働くひとと語り合う。ここが役人との決定的な違いなんだよ!」とも。

 佐喜真淳候補の最大の強みは、宜野湾市議、沖縄県議会議員としての実績に加え、現職の市長として4年間、全力で市政に取り組んできたことだと思う。 地元議員として、首長として、生まれ故郷の宜野湾の隅々まで足を伸ばしている。 ありとあらゆる場所を視察し、市民の人たちの自宅で、朝のラジオ体操の会場で、様々な集会で、数多くの人々と言葉を交わし、心を通わせて来た。 今、宜野湾の街のどこにどんな問題があるのか、どう対処し、どう解決すればいいのかを誰よりも分かっている。 

 すなわち、民意で選ばれた政治家である佐喜真候補は、日々、「市民の息づかい」を感じながら、全身全霊で宜野湾市の抱える問題や課題に立ち向かって来た。 このひと以上に「宜野湾の将来ビジョン」を語れるひとがいるとは、どうしても思えない。 もし山本一太が応援に入れたとしたら、この点を最も強調していたと思う。

 故郷を動き回る忙しい日程の合間を縫って、佐喜真市長は何度も東京に飛んで来た。 佐喜真候補の政府への精力的な働きかけがあったからこそ、宜野湾市への調整金が4倍に増えたのだ。 総理官邸で、関係省庁で、国会内で多くの政治家や役人等と会い、人脈を広げている。 いかにも沖縄県の人らしいあの屈託のない笑顔と、どこかリラックした雰囲気が、大勢のひとを惹きつけるのだ。 

 このブログを書きながら、ふと思った。 佐喜真候補のあの情熱とエネルギーはどこから出て来るのだろうか、と。 いろいろ考えてみると、佐喜真スタイルの根底に流れているのは、「スポーツマンシップ」だと思う。 スキー選手として国体に何度も出場し、全日本選手権で2位になったこともある父、山本富雄がそうだったように。 

 中学時代、サッカーに夢中だった佐喜真少年は、地元の名門校である普天間高校に入学した。 高校になってから野球を始め、毎日、一生懸命練習してレギュラーの座を勝ち取ったそうだ。 名護市民球場の外野フェンスをぶち抜くほどの打球を放つ強打者だったらしい。

 大学卒業後はフランスに留学。 空手の指導者として7年間、滞在した。 この経験が佐喜真市政のグローバルな視野に繋がっていることは想像に難くない。 市長としての過去4年間、佐喜真候補は、スポーツで鍛えた持ち前の体力と精神力、留学で培ったグローバルな視野、故郷への強い愛情、政治家としての「草の根のハート」をフル稼動し、宜野湾のために尽くして来た。 枚挙にいとまがない数多くの成果の一端を、どうしてもブログに書いておきたい。

 今回の市長選挙における佐喜真候補のキャッチコピーは、「ぎのわんがいちばん!」だ。 東洋経済新報社の調査によると、宜野湾市は2014年度の「都市の成長ランキング」で全国1位に輝いている。 これだけでも、市長として続投する十分な資格があると思うが、もう少し具体的な実績に言及させてもらう。

 最初に挙げたいのは、佐喜真市長が国との粘り強い交渉を通じて「宜野湾市への調整交付金」を4倍に増やし、その資源を市民に還元したことだ。

 この4年間で宜野湾市の「働く場所が増えた」ことも、佐喜真市政の大きな成果だ。 たとえば、サンエーコンベンションシティ、ドンキホーテ、ニトリ、プロト、ゼビオ等が次々に新規出店した。 
 こうした進出企業が1200人以上を新規採用している。 誘致した企業の分だけで1億5千万円の税収増に結びついた。 市の税収全体で見ると、4年間で10億円近く増加した計算になる。 この数字だけ見ても、宜野湾市が「成長力のある自治体ランキング」で1位に選ばれた理由がよく分かる。

 佐喜真市政の業績として、もう1つ忘れてはならないのが行財政改革の推進だ。 残念ながら、革新市政の下で行政は肥大化し、政治は停滞した。 佐喜真候補は、民間と同じ事業を「赤字を垂れ流しながら」継続することは出来ないと考えている。 

 だからこそ、未来のために様々な決断をし、各種の改革を断行した。 特別養護老人ホームや保育所を民営化し、給食センターも民間委託した。 指定管理者制度を導入し、市長給与のカット等も断行している。

 佐喜真市政の福祉政策にも触れておきたい。 佐喜真候補は3人の子供を持つ父親でもある。 子育て支援の充実には特に力を入れて来た。 学校給食費の半額助成、小学校6年生までの医療費の無料化、全ての私立幼稚園における4歳児からの2年保育、おたふく風邪など予防ワクチンの無料化等を次々に実現している。 

 こうした政策を可能にしたのは、佐喜真市長の粘り強い交渉で4倍に増えた調整交付金や成長による税収増、身を切る改革によって得た確かな財源があったからだ。 行政が努力を積み重ねて得た「果実」を子供たちのため、働くお母さんのため、皆のために活用する。 これこそ、佐喜真市政に貫かれている基本哲学と言っていい。 

 佐喜真候補が西普天間住宅地区の国際医療拠点構想の推進に中核的な役割を果たして来たことは、前回のブログ「宜野湾市の未来を創れるのは現職の佐喜真候補しかないない!」でも強調した。 昨年4月に返還された西普天間住宅地区の跡地に琉球大学医学部付属病院が移設される可能性がある。 現在、国、県、市が検討を続けている。 この議論を引っ張っているのも、もちろん佐喜真候補だ。

 仮に跡地のエリア内に移設された琉球大学医学部の付属病院が宜野湾市民の待望する初めての総合病院になったとすれば、市民の健康増進に繋がることは間違いない。 移設に合わせて医療関連産業を引き寄せることが出来れば、市の経済活性化の起爆剤にもなる。

 前沖縄振興担当大臣として自分が注目しているのは、同窓会の総意にもなっているという普天間高校の西普天間への移転の可能性だ。 たとえば、普天間高校が国の指定する「スーパー・サイエンス・ハイスクール」等に認定されれば、宜野湾市のみならず、沖縄全体の教育水準の向上にも貢献するのではないか。    

 佐喜真市政の下で「市道11号線」の工事も始まっている。 この道路が完成すれば、国道330号線の渋滞は間違いなく減少する。 佐喜真候補のエネルギーが、30年近く止まっていた街づくりのプランを次々に動かし始めている。

 最後にもう一度だけ、言っておきたい。 明日の1月24日(山本一太の58歳の誕生日)に開票される宜野湾市長選挙の争点は、「宜野湾の未来図をどう描いていくのか?」「安全で活力のある宜野湾市をどうやって創り上げていくのか?」ということに尽きる。 そして、宜野湾を「いちばん」に輝かせることが出来るのは、(あらゆる面から考えて)現職の佐喜真候補しかいない! 

 「佐喜真市長が続投すれば、宜野湾市はさらに発展する!」 それが、2年近く沖縄担当大臣を務め、沖縄の大きな可能性(「沖縄は将来、日本経済を牽引するフロントランナーになり得る」)を内外に訴え続けている政治家・山本一太の確信だ。 が、宜野湾の未来を決めるのは自分ではない。 宜野湾市民の人たちだ。

 宜野湾市民の皆さん、明日、宜野湾の未来が決まります。 宜野湾を「いちばん」にする具体的なビジョンを持ち、様々な構想を実現するための熱烈な意志と能力と手段を持つ佐喜真淳(あつし)候補にぜひ、皆さんの未来を託してください! 佐喜真市長と一緒に「夢」を実現してください!!


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」