24 名前: 安崎にされた名無しタン 投稿日: 2005/05/13(金) 19:15:54

当然卒論だから、資料によらない憶測はほとんどなく、淡々と事実だけを書き連ねているので、 ポイントを分かりやすくするため、ちょっと補って見ましょう。


終戦直後の日本には、放送局は国営のNHK一局しかなく、今日のような民間放送は存在しなかった。
そこで、日本でも「民放というもの」を作ろうということになって、

財界を中心に「民放設立準備委員会」を結成。

東商の藤山愛一郎会頭と、船田中理事長(委員長はこの人)がその中心メンバーで、そこに電通の上田碩三社長と、部下の吉田秀雄常務も参加していた。

ところが、ここで突然、

戦後二年もたったこの時期なぜか、藤山と船田にGHQから公職追放令がでる。
船田に代わって委員長に就任したのが、電通の吉田秀雄常務。
吉田は委員会の事務局を電通ビル内に引き取って、費用もすべて電通でみたというから、
本来財界主導で始まった民放設立準備委は、電通=吉田の事実上の支配下に。

怖いのは、同時期に電通の上田碩三社長にも公職追放が出されていて、吉田秀雄は電通の社長にも就任する。

そうなると、同年のうちに、なぜかまたGHQの方針が変わって、民放設立にゴーサインが出る。
電通社長吉田自身が免許を申請した民放第一号の「東京放送」こそが、悪名高き「現TBS」。

25 名前: 安崎にされた名無しタン 投稿日: 2005/05/13(金) 19:17:28

論文のこの箇所以降の記述によれば、東京以外の地方局も設立にあたり吉田が物心両面で出資。強い影響力を持つ。

公職追放になった電通の上田社長は、旧同盟通信では編集長を歴任したジャーナリスト畑の人 でボーン上田賞の名前の由来にもなっている。

ちなみにこの上田碩三はこの後東京湾で溺死(マジ)。
電通のメディア支配の始まりと電通自身の内部変革が同時に行われたように思えます。電通の47年宮廷革命説。

電通のバックをアメリカとする説の場合、そのつながりが最初にできたのは当然GHQ との間だと思えるのですが、GHQというのはご存知のように、太平洋戦争を戦っていたマッカーサーの司令部であり、軍事命令機構がそのまま統治行政機構になったものでありまして、占領の終わりとともに解消する組織です。

その後電通との関係を具体的にどこが引き継いだのか
ということになります。




( ̄□ ̄;)!!リンク先忘れたwww