念仏 | 獨と玖人の舌先三寸

念仏

3月前半の、「密教」「成仏」の後、続く予定だったモノです。草稿だけは仕上げていたのですが…。
なぜ続けなかったのかと言えば……………………それは秘密です(^b^)(cv.石田彰サン)
御新規ということでwwww
続・仏教ネタです∠(`´)ビシッ


今日一般的には、仏様へ合掌時に称える(となえる)もの、将(はた)は幽霊やお化けの類いに遭遇した時に称えるものwwww という認識になっていますが((((´◇`;))))
ねんぶつとは、浄土教系の仏教教団において、合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と称えることを言います。
仏陀に対する帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などを表します。
“南無”はサンスクリット語「namo」の音写語で、「わたくしは帰依します」と意味しており、“阿弥陀仏”は「無量の寿命の大仏(amitaayus)」「無量の光明の仏(amitaabha)」の「はかることのできない」という部分のamita(サンスクリット語)を略出したものです。
阿弥陀仏は、みずからの名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓っており、衆生の積むべき往生行の功徳すべてを代わって完成しようと言っているのです。
これが本来の”他力本願”です。

※帰依――神仏を信仰し、その威徳にすがること。信仰、信心は類義語。
・本願――仏、菩薩が、衆生を救済するために起こした誓願。
・往生(おうじょう)――死後、極楽浄土へ生まれ変わること。国語では成仏は類義語。
・衆生(しゅじょう)――全生命体。特に人間。
・功徳(くどく)――現世、来世に幸福をもたらすことになる善行、善根。また、神仏の恵み、御利益。こうとくは別語。


善導(中国浄土教の僧)の六字釈義(“南無”の二字と“阿弥陀仏”の四字、合わせて六字に関する釈義(六字釈))を学んだ浄土宗開祖 法然は、「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀仏に「どうか、私を救って下さい」と願う事で阿弥陀仏に極楽浄土へ導かれると説きました。
しかし、法然の弟子 親鸞は、そこから「南無阿弥陀仏」は衆生が浄土に往生する因であるから、名号のいわれである“まかせなさい、必ず救うぞ”という仏の呼び声を聞信すべきであると、師とは異なる理解をしました。親鸞は名号を本尊とし、六字のほかに九字、十字の名号を書いています。
ちなみに、親鸞は「南無」を「なも」と発音しており、浄土真宗本願寺派では「なもあみだぶつ」と呼び習わしています。
俗に「なんまんだぶ」「なまんだぶ」「なんまいだー」としばしば唱えられています。
「南無阿弥陀仏」と唱えることを、“念仏を唱える”、“名号を唱える”と同義とされています。
(※願往生――浄土宗では、衆生が極楽浄土への往生を願い「南無阿弥陀仏」と唱えることで阿弥陀仏が救って下さると解釈します。)



“念”とは、憶念、仏隨念、心念(観心)、観念(観想)、称念などの意味があります。
“仏”とは、ここでは仏身、仏名の意味があります。
仏身とみる場合、具体的な仏の相好や像と観る時と、仏の本質的な実相の理をあらわす法身(ほっしん)とみる時とで、“念”の意味も変わってくると考えられています。
仏身を念ずる場合は、生身や像身の色相(すがたかたち)を観ずることであるから、観念の意味が強くなります。
法身を念ずる場合は、それは“理を観ずる”のだから、念は憶念、思念、心念などの意味となります。
仏名で観れば、名は称え呼ぶものであるから、称念の意味となるわけです。
念仏は、“さらに正しく物を見る”(真実に目覚めよ・真実に生きよという意)ために、五停心観(ごじょうしんかん。止観と同一とも。)という、心を停止する観法(かんぼう)があり、その中に念仏観があります。これは、睡眠や逼迫の障りを対論して心を静止せしめるための方法を言います。



※初期の仏教では、仏を憶念することを念仏と言いました。古い経典で、仏弟子たちが「南無仏」と唱えたと言われていますが、それは現存の仏陀釈尊に対する追憶の念仏を指しています。

※大乗仏教初期に、多仏思想が成り立ちました。その思想に伴って仏が多様化していき、諸仏の徳を讃嘆し供養することが大切な行とされました。

※日本天台宗開祖 最澄(伝教大師)は、止観によって阿弥陀仏と自己の一体を観想する念仏修法を導入しました。
・参考「密教4/天台宗・最澄(伝教大師)・円仁(慈覚大師)」→ http://ameblo.jp/emeth-spriggan/entry-11185471209.html

※踊念仏(おどりねんぶつ)とは、太鼓・鉦(かね)などを打ち鳴らし、踊りながら念仏・和讃を称えることを言います。その起源は、平安時代中期の僧 空也にあると言われています。
鎌倉時代、時宗の一遍が信濃国 伴野(現 長野県佐久市)を訪れた時、空也に倣って踊念仏を行ったと伝わります。(佐久市跡部にある西方寺では、唯一、現在も実演されており、重要無形民俗文化財に指定されています。)
・同時期、九州の浄土宗の僧 一向俊聖が一遍とは別に踊念仏を行っていました。以来、一向時衆の僧が遊行(ゆぎょう)に用いるようになり、全国に広まりました。(こちらは山形県天童市の一向上人 佛向寺(ぶっこうじ)開山忌踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)のみです。山形県無形文化財に指定されています。)
一向俊聖より興る天道念佛(元は天童念佛)は、雨乞い念仏の一種と見られており、出羽方面に伝承があります。
・一向時衆とは、一向俊聖の系統のことで、浄土宗とは別、のちの時宗一向派。空也・一遍・国阿・一向と、みな“不断に別時念仏を行う衆”で、遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、夫々の教団が同一視されてしまっていました。
・盆踊りや念仏踊り、出雲阿国(いずものおくに)が創始した歌舞伎躍りに大きな影響を与えました。
・参考「古神道2 (仏教・盆踊り)/御来光・山岳信仰」→ http://ameblo.jp/emeth-spriggan/entry-11148101588.html