やっと自由になれたのかも。「殺人ゾウ」のレッテルを貼られた国内最高齢「はな子69歳」5.26永眠 | めー子のブログ

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どうぶつまるごと。

Wikipediaより
はな子(はなこ、1947年 - )は、ので飼育されていたメスのである。

後に初めて日本にやって来たゾウで、日本で最も飼育期間が長かったゾウである。
2013年1月に66歳を迎え、日本で飼育された中で最も長寿のゾウとなった
永眠

はな子の経歴
1947年タイ王国で生まれた。タイでの名前は「カチャー」[4]

インドから送られたインディラ

「カチャー」は2歳半の時、タイから日本に贈られて、1949年8月22日にデンマーク船オラフ・マークス号でタイを発ち、9月2日神戸港に着いた。そして、貨物列車とトラックを使って、9月4日恩賜上野動物園に到着した。当初、上野動物園では「カチャー子」と呼ばれていたが、公募により、戦争中に餓死した「花子」(ワンリー)の名を継いで「はな子」と名付けられた[4]。上野動物園には、「はな子」到着のすぐ後の1949年9月25日インドから贈られた「インディラ」も到着し、年末までの3か月間で100万人近くの入園者が訪れるゾウ・ブームが起きた[5]

移動動物園を行うインディラ

1950年から、「はな子」と「インディラ」は移動動物園で日本各地を訪れた。「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は都内を中心に東京近郊を回った。その中には井の頭自然文化園も含まれていたが、そこで「はな子」を見た武蔵野市や三鷹市から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。1954年3月5日、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された[6]

しかし、1956年、深夜にゾウ舎に侵入した酔客を死亡させる事故が起き、さらに4年後の1960年4月にも男性飼育員を踏み殺す事故が起きた。このため、「はな子」は前脚を鎖で繋がれゾウ舎内に閉じ込められ、ストレスなどからやせ細った[要出典]

事故の2か月後に井の頭自然文化園に赴任し、「はな子」の飼育係となった山川清蔵は、「はな子」を鎖からはずし、運動場に出した。山川は退職までの約30年にわたって「はな子」の世話をし、その様子は、書籍やテレビドラマにもなった[7]

ゾウの歯はもともと4本しかないが、「はな子」は1980年代に歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていない。このため、餌はバナナやリンゴ等を細かく刻んだ餌が与えられている[要出典]

近年、飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、2011年夏に、飼育方法がそれまでの直接飼育から、飼育員が柵越しに世話をする準間接飼育に改められた[7]

2016年5月26日に死が報じられた。69歳没[3]
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はな子 永眠
2016年6月26日午後
井の頭自然文化園でで飼育されていた国内最高齢のゾウ「はな子」

 


 
「はな子」死す、69歳 戦後初めて日本に来たアジアゾウ 「大好きだったよ」の声

http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/26/hanako-die_n_10138846.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

東京都武蔵野市にある井の頭自然文化園で飼育されていた国内最高齢のゾウ「はな子」が5月26日午後に死んだ。69歳だった。NHKニュースなどが報じた。

はな子」は1947年タイ生まれ。1949年に戦後初めて日本にやって来たアジアゾウ。上野動物園を経て、1954年から井の頭自然文化園で飼育され、多くの来場者に親しまれた。

ここ数カ月、はな子は体調を崩し、3月14日から外に出なくなっていた。3月21日には「69歳のお祝い会」を開く予定だったが、体調不良のため中止になっていた。井の頭自然文化園では、はな子の近況を公式サイトで「柵越しにえさを与えたり、体をケアしたりしている」などと報告していた。

はな子の訃報を受けて、Twitterでは「ショックだ」「今までありがとう」など、その死を悼む声が相次いでいる。

ゾウの「はな子」画像集 http://huff.to/1TFGFTx


〈これまでのはな子の関連記事〉

●殺人ゾウと呼ばれ、コンクリートの監獄に閉じ込められた。61年後、この象の姿に胸が締め付けられた。
http://www.imishin.jp/hanako-the-elephant/

●68歳'象のはな子'の飼育環境に異議あり!タイに返還を求める嘆願書が海外で話題に
こちらより一部引用
http://spotlight-media.jp/article/226480197089935682
東京・井の頭自然文化園の象の『はな子』の飼育に関する問題で、タイに返還を求める運動が世界中で話題にもなっていた。

人間の不注意によって2度の事故。「殺人ゾウ」のレッテルを貼られる
井の頭自然文化園に移動して2年目の9歳の時。深夜泥酔して象舎に忍び込んだ男性を踏んでしまい死亡させてしまったのです・・・。この時のことが切欠となり、はな子は一時期鎖に繋がれていました。

そして13歳の時。再び飼育員の男性を踏み殺してしまったのです。相次いだ不慮の事故が当時新聞で大きく取り上げられ話題に。実は、はな子はとてもデリケートな性格で、2件とも人間の不注意から起きた不慮の事故だったのです。

これを機に、「殺人ゾウ」のレッテルを貼られ、来園者から石ころを投げられたりしたのです。殺処分するべきとの意見も上がり、暗いゾウ舎の中で2ヶ月以上も鎖に繋がれる生活を送ることに。
この時、はな子はストレスであばらが浮き出るほどやせ細り、3本の歯を失いました。

人間不信になりますます狂暴化していくはな子。そんなはな子の世話をする飼育員は誰もいなくなりました。しかし、運命の出会いが!

1960年6月。当時、多摩動物園で像を担当していた故・山川清蔵さんがはな子の飼育員として担当に。山川さんは人間への敵意をむき出しにするはな子に怯むこともなく、着任してわずか4日目には、鎖を外し、はな子と向き合って世話をはじめました。

山川さんのはな子への接し方はごく普通でした。朝出勤してはな子の元へ向かい、朝ごはんを与え身体をきれいにしてあげる。ただこの繰り返しでした。山川さんは、兼任で担当していた他の動物の世話が終わると休息も取らずにはな子の元へ走ります。

そして、はな子の身体に触れ話しかけるだけでした。2度の不慮の事故の記憶が残る来園者から「殺人ゾウ」の罵声が飛んでも、興奮するはな子により添い、いつも守ってあげたのです。

はな子は山川さんに心を開くようになった

山川さんの献身的な思いが通じ、はな子は少しずつ心を開いていきました。ここまで来るには6年の歳月が流れていたのです。山川さんは定年を迎えるまでの30年間。ひと時も離れずにはな子に寄り添い世話を続けました。

温厚さを取り戻したはな子は、殺人ゾウの汚名を返上。井の頭自然文化園のマスコットとして人気を集めることに。山川さんとはな子の交流が書籍やドラマになり、多くの人々が感銘しました。

そして、山川さんは自分の身体が癌だとも気づかず・・・、定年から5年後逝去。山川さんの定年後は、息子の宏治さんのチームがはな子の飼育担当となり、尊敬する父親から受け継がれた直接的な飼育方法が周囲の好評を得て、多くの来園者が訪れるようになったのです。

還暦を迎えたはな子。再び飼育方法が変わる

井の頭自然文化園で人気が定着したはな子。還暦を過ぎても度々ニュースで取り上げられるほど話題に。しかし、再び環境が変わる出来事がありました。きっかけは、2010年10月。獣医師がはな子の脚に薬を塗った直後、鼻で突き飛ばされてしまったのです。

獣医師は後頭部をコンクリートの床にぶつける軽いケガでした。しかし、近くには保留用の鉄環があり、頭部に当たれば大事になるところだったのです。これを機に、2011年から「準間接飼育」に移行する措置が取られました。

飼育員と直接触れ合い飼育する山川さんから受け継がれた飼育法とは変わり、檻の中から餌を与える飼育法です。この決断は、はな子を知る飼育員たちにとって苦肉の決断となったのです。
http://www.homemate-research-zoo.com/useful/14002_zoo_087/

海外からはな子を見物しに訪れたブロガーさんの投稿がきっかけに!

海外でもはな子の物語やニュースは知られています。はな子の様子を見に訪れたUlara Nakagawaさんというブロガーさんの投稿がきっかけでした。

ー以下抜粋ー

『現代の社会で最も古く容赦ない動物園のひとつであることにショックでした。小さい不毛なセメント構内の中で監禁状態であることに驚きました。彼女はほとんど死んでいるような状態でそこに立っていました。

さらに、驚いたのはこの動物園は東京で最も豊かなエリアに位置し、公園の一部がジブリ美術館に隣接していることで知られています。

コンクリートの刑務所は、はな子にトラップを取りつけました。行ったり来たりしながら単にどうすべきか解らないことで有罪です。少なくとも、彼女の長い嘆かわしい人生の物語を分けることができます。

日本で最も高齢で生きている象に対する望みがまだあるかもしれません。日本は象聖域がないのではないでしょうか。世界で3番目に大きな経済国であるにも関わらず、同国は他国より動物の権利保護において遅れているのではないでしょうか。

そして、もう一つ。安全な国の聖域への航空輸送は、おそらくはな子のような高齢の象には圧力とストレスが掛かります。あなたの考えを教えてください。そして、あなたの同士である優しい知人と共有してください』


※はな子のための嘆願書は、ブログが公開されて1ヶ月でおよそ60kの署名に達しました。
https://medium.com/@ulara.nakagawa/the-tragic-story-of-hanako-the-68-year-old-elephant-in-a-tokyo-zoo-7a5dbc0f0ba4#.2yxv73mtr

海外ニュースサイトでも取り上げられた

出典 http://www.dailymail.co.uk

11月26日に公開されたdailymailには、こんな内容が掲載されています。

『はな子の人生の66年間も一人きりで狭い構内に閉じ込められ、これは刑務所だ。日本で最も高齢象のはな子の悲話である』と。

『嘆願書は、井の頭自然動物園からはな子を追い出すことを願い準備された』とも。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3334842/Trapped-concrete-prison-66-YEARS-heartbreaking-tale-Hanako-elephant-spent-lifetime-Japanese-zoo.html

タイ国の意外な反応に驚き!

66年前にはな子を日本に贈ったタイ人の反応がネットで記事になっていました。

日本はちゃんと面倒を見ているし心配ありません。でも、タイ人が日本へ行ったら是非はな子に会いに行ってあげてください。はな子はまだタイ語を覚えていますよ。

出典 http://thailog.net

戦後間もない頃、タイ政府は幼いはな子を日本へ贈りました。はな子は日本の飼育員に親子3代に渡り愛されてきました。はな子はもう68歳です。歯はほとんど抜けてしまい、固い物を食べることもできません。

バナナは剥いて食べさせてあげ、野菜・果物は煮て柔らかくしてから与えています。こうして一日のカロリーを計算された食事をあげているのです。

某NGO団体に「コンクリートの牢獄」だと言われたはな子の部屋は、雪が降るような季節に生活するためのもの。井の頭自然文化園の飼育員たちは、高齢のはな子を十分に気遣いながら世話をしているのです。

もしタイに返還されたら、こんな風にしっかりとはな子の面倒を見てくれる人はいるのでしょうか? ずっと人間に飼育されてきた高齢のゾウを、欧米人が言うように自然の森に放したとして、いったい何日生き延びられるでしょう?

(略)
タイや欧米のNGOはパタヤやプーケット、他の観光地のゾウを保護するための資金を募ったほうがずっと有意義でしょう。それこそ涙が出るほど苦しんでいるゾウの子供たちがたくさんいます。

水も満足に与えられないまま食べ物やお金を恵んでもらうために暑い道路を連れられて歩かされるのです。中には耐え切れず息絶えてしまうゾウもいます。はな子おばあちゃんにはタイよりもずっとよく面倒を見てくれる人がすでにいます。

もしタイに連れ帰って鎖でつなぎ、質の悪い餌を与えたら、ただ彼女の死期を早めるだけに違いありません。

出典 http://thailog.net

これに対するタイ人の反応は?

僕も同じ考えだよ。日本人のほうがはな子の面倒をよく見てくれるし、日本人がはな子を凄く愛してくれているのが分かる。彼らが与えている餌を見てごらん。いいものばかりだよ。

出典 http://thailog.net

おばあちゃんはもう歳だよ。ちゃんと面倒を見てあげることが必要。つまり日本にいるのが一番いいってこと。個人的な見解だけど、もしタイに連れて帰ってきたら日本のようにしっかり面倒を見てあげることはできないと思うわ。

出典 http://thailog.net

はな子の生い立ちや、山川さんとの感動的な交流を描いたドラマや書籍は海外でも広く知られています。ひとりの一ファンが、海外からはな子の様子を見に来た時、あまりに狭い檻の中で暮らすはな子を見て唖然としたようです。

そして、英・動物愛護団体が反応し、はな子を適切な保護聖域へ移動させるか、あるいは今まで一人で暮らしてきたはな子の余生を、適切な施設で象の仲間と暮らせる環境においてあげたい、という嘆願書が集められました。

この嘆願書は欧米をはじめ世界中で注目を集め多くの署名が集まっているようです。しかしながら、タイの一部の方が言っているように、66年間たった一頭で、自然環境ではない日本の動物園の中で過ごしてきたはな子にとって、今さら海外の保護聖域へ連れて行くことが果たして彼女の幸せなのでしょうか。

はな子は何を望んでいるでしょうか。68歳のはな子の余生は、果たしてどちらが幸せだと思いますか?