日本は2013年にアベノミクスを始動しましたが、その後は、消費増税による2四半期連続の実質GDPマイナス成長(景気後退、リセッション)に陥りました。
その後、やや持ち直したものの、2015年4-6月期は実質GDPが再びマイナス成長になってしまいました。

デフレ脱却途上で、緊縮財政(消費増税)をしてしまった背景には、一体何があるのでしょうか?

「金本位心性」というキーワードを基に考えてみます。

気鋭のエコノミストの片岡剛士さんのコラムに不況と金本位心性の関係などに関する論考があります。

《「不況レジーム」に捉われる日米欧》(片岡剛士,2011.12.27)


"「金本位心性」という思想的拘束
さて現在の国際通貨制度は変動相場制であるため、各国は財政・金融政策を十分に行うことが可能である。そしてリーマン・ショック以降の各国は大恐慌の「教訓」に従って大規模な財政・金融政策を行った。だが米国の回復は緩慢であり、欧州は債務危機が発生するという苦しい状況、そしてわが国の場合はデフレと経済停滞が続いたままである。なぜなのだろうか?
 この疑問に答えるにはもう一度、大恐慌の「教訓」に立ち戻ってみる必要がある。先程大恐慌の原因として金本位制が政策の自由度を奪ったことを指摘したが、80年前の当時においても、例えばケインズは金本位制を「未開社会の遺物」(『貨幣改革論』)と断じて金本位制復帰の決断をした英国の大蔵大臣チャーチルを批判したように、金本位制の持つ問題点と危険性を見抜いていた経済学者は存在していた。だが各国の為政者や金融家は第一次大戦後に一旦離脱した金本位制に相次いで復帰する決断を下すのである。
 この決断には若田部昌澄早稲田大学教授が簡潔に指摘するように、金本位制という国際的な通貨制度が当時の正統派経済学の一部でもあったこと、そして金本位制が「健全財政」、「健全通貨」、「自由貿易」を是とする思想と結びついて、「節約、信頼、安定、世界主義」を代表し「健全」かつ「正常」なものの象徴とみなされていたことが影響したバリー・アイケングリーンカリフォルニア大学バークリー校教授とピーター・テミンMIT教授はこのような金本位制の持つ思想的側面を「金本位心性」と呼称したが、金本位心性というべき思想的な制約が金本位制の復帰へと各国を進ませ、金本位制を遵守するという制約の中で自ら政策の手足を縛るという失敗を生み出したのである"


「金融政策だって財源が必要」という発想の根底にもこの金本位心性があると、若田部昌澄さんは喝破されました。

(出典:2015.09.05,Ichiro Yamamoto)


現代においても、健全財政や健全通貨を国民生活よりも優先するような言説を、政治家や学者、エコノミスト、メディアなどで良く見聞きします。
その最たるものが、財政健全化や社会保障の持続性を高めるというお題目で主張された消費増税ですね。

節約や安定を健全かつ正常なものの象徴とみなし、不況時の財政赤字すら否定し、均衡財政を主張する論調は、善意で増税多数派工作をする団体の影響も相まって、日本では相当に強いと感じます。

この緊縮財政、緊縮金融政策などについては次の書籍に詳しいです。
《『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(野口旭) 》

野口旭さんによると、財政均衡への圧力が強いため、財政悪化につながらない金融政策に頼るところが大きいそうです。
日本では、アベノミクスの第一の矢「量的・質的金融緩和」(QQE)が実施されるまでは、金融政策も引き締め気味でした。

そして、日本で実施される景気対策といえば、公共事業や特定産業向けのポイント制度など、政府支出を伴う裁量的な政策が多く、この恩恵を受けるために、政官学産メディアが結託しているむきもあります。

家計の懐を暖める減税や給付金が必要な状況においてさえ、です。

高橋洋一さんによると "景気対策における減税系と政府支出系の割合は、OECD平均ではそれぞれ65%、35%となっていて減税系の割合が多い" 
そうです。


ところが日本では、増税で税率に応じた歳入増を見込み、それにより予算上の歳出権が得られ、それにより、自分たちのところに予算をつけることが出来るため、増税に賛成する人が多くいるシマツ。
日頃は、弱者を助けることを仕事にしている人や政策を主張している人でも、その仕事や政策に予算が必要となると、経済成長による税収増より増税に傾いてしまいます。

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これは、自分が正しい、自分が正しいと思うことを進めるためには「犠牲もやむなし」という「自分本位心性」と言えないでしょうか?

自分本位心性が強い方は「我賢し」という態度も見受けられます。

「自分本位心性」は、安保法制における議論でも見られました。
佐藤内閣における高辻氏の答弁を基にした憲法解釈などをベースに、安保法制を違憲と決めつけたうえで、論を展開していました。
あるいは、健全や安定ではない「戦争法案」や「徴兵制」というレッテルを安保法制にはることで、自分たちの主張が正しいと思わせたい、と受け取れるような主張をしていました。


この「自分本位心性」との戦いは、長いこと続きそうです。自戒も込めて。