「戦後教育の転換点になる画期的な案」フリースクールでの義務教育案を弁護士が分析

弁護士ドットコム 9月27日(日)11時20分配信

現在は公的な卒業資格として認められていないフリースクールや家庭での学習を、新たな「義務教育」のかたちとして認める――。そんな制度の導入を目指している超党派の議員連盟は9月中旬、今国会への法案提出を断念した。

議連がまとめた「多様な教育機会確保法案」によると、子どもの保護者がフリースクールや自宅での学習内容や方法をまとめた「個別学習計画」を策定。市町村教委の認定を受けたうえで、計画通り実施すれば、学校に通わなくても義務教育を修了したと認めるというものだ。

報道によると、
法案提出を断念したのは、各党から「学校に行かないことを助長するのではないか」といった懸念が示されたためだという。

立法チームでは、条文の手直しも含め検討し直し、秋の臨時国会での提出を目指しているという。こうした仕組みの評価について、教育問題に取り組む多田猛弁護士に聞いた。

子どもには、学校以外の場所でも学習する権利が保障されるべき

小難しい話かもしれませんが、私は、法律家ですので、この法案について、まずは法律の視点から眺めてみようと思います。

そもそも「義務教育」とは、なんでしょうか? 日本国憲法の26条を見てみると、1項には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とあります。ポイントは、教育というのは、「義務」より前に先に「権利」であるということです

次のポイントは、主語が「すべて国民は」となっているところです。もちろん、一番重要なのは「子ども」の教育を受ける権利ですが、憲法は、年齢に限らず、この権利を保障しています。そして、26条の2項で、子女に普通教育を受けさせる「義務」がやってきます。これは、保護者を中心とした、我々大人の義務であるわけです。

さて、このように憲法を見ると、教育は必ずしも「学校」の場で行え、と言っているわけではありません。そして、教育は、まず先にそれを「受ける者」の権利として認められるものです。この教育を受ける権利は、最近では、子どもの立場から主体的に「学習権」として捉える考え方が主流となっています。ですから、
子どもの立場で考えれば、何らかの事情で学校での十分な学習ができない場合に、それ以外の場所でも学習する権利が保障されるべきでしょう。

そのような考え方からすれば、本法案の「年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく、その能力に応じた教育を受ける機会が十分に確保されるようにする」という基本理念は、憲法の理念合致していると言えます。義務教育の場を小中学校に限定してきた戦後教育の転換点と言え、画期的な法案であると思います。

いじめに遭って「学校に行かない」選択肢も

ところで、本法案による支援が必要な児童・生徒として、約12万人もいる不登校の児童・生徒がいます。不登校になる理由も様々で、その対策は一様に論じることはできませんが、統計では、その理由として最も多いものとして、「いじめ」があると言われます。

いじめにうまく対処する方法を学ぶという教育方法もあるのでしょうが、ひどいいじめにあって、どうしても苦しいとき、辛いときには、必ずしも「学校に行かない」という選択肢もありえます。

いまだになくならない、いじめによる自死の例を見るたびに心が痛みます。自ら死を選ばざるを得なかった子どもたちの多くは、居場所がなく、精神的に追い込まれた状況と言われます。子どもには、安らげる「居場所」が必要です。

そのような理由で学校に行けなくても、フリースクールや家庭などが、学校にかわる子どもたちにとっての「居場所」であれば、そこで学習する権利を認めることは、子どもたちの命を守るために重要と言えます。

受け皿となる寛容なセーフティーネットが必要

この法案によって、子どもが学校に復帰することをためらわせる、あるいは不登校を助長する、という批判も見られます。そして、まずは学校をより良くすべきだ、という議論です。ただ、その議論の前提には、いじめが一切なく、不登校児童・生徒が一切いない、より「良い」学校というものが存在するという命題が真実であらねばなりません。

しかし、実際はどうでしょうか。私は、学校や社会がある限り、必ず、

集団の中でなじめない人はいますし、いじめを根絶やしにすることはできないと思います。そのようなキレイごとでは解決しません。もちろん、学校をより良くする取組みは重要ですが、だからと言って、不登校児童・生徒がいることが悪いかのような論調には、賛同しかねます。

大切なのは、いじめが生じたとき、それが大きくなって、子どもの心を傷つけてしまわないように予防することです。何らかの理由で学校に行けない、あるいは行きたくなくなったとしても、いったんはそれを許容し、受け皿となる寛容なセーフティーネットが存在することが必要です。

公権力の介入は逆効果になりかねない

この法案には様々な課題があることも事実です。フリースクールも様々な形態や指導方針のところがありますが、教育委員会の審査等によって財政上の援助が受けられるところとそうでないところとの

差が生じるでしょう。フリースクールは、本来公的機関の介入を受けない「フリー」であることに意義があります

家庭の指導やフリースクールに公権力が介入することとなっては、結局子どもの「居場所」を奪う逆効果にもなりかねません。また、この制度によって義務教育を修了した児童・生徒が他の子どもたちから差別されるようなことがあってもなりません。

さらに、法案全般に言える問題として、「財政上の措置を講ずるよう努める」「必要な施策を講ずるよう努める」「必要な支援を行うものとする」などといった、抽象的な努力規定が多く、具体的に、子どもたちにどのような支援が行われるか、明確ではないところが懸念されます。

また、本法案で解決できない問題として、「貧困の連鎖」があることも指摘しておく必要があります。裕福な子どもだけが学習塾など十分な教育を受けて、そうでない子どもたちとの格差が生じている問題にも取り組む必要があると思います。



【取材協力弁護士】
多田 猛(ただ・たけし)弁護士
弁護士法人Next 代表弁護士。第二東京弁護士会・子どもの権利に関する委員会 委員。ロースクールと法曹の未来を創る会 事務局次長。ベンチャー企業・中小企業を中心とした企業法務、子ども・家庭の法律問題をはじめ、幅広い分野で活躍。
事務所名:弁護士法人Next
事務所URL:http://next-law.or.jp/

弁護士ドットコムニュース編集部


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