我が家のルーツも所郁太郎のルーツも岐阜県大野郡で同じだったとは… | 横浜 コーディアル司法書士 所博之

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LECと伊藤塾を通じて司法書士講師業25年のキャリアを活かしたブログ


世間はサッカー日本代表の本田圭佑選手が、イタリアセリエAの名門チームである「ACミラン」に移籍が正式に決まり、チームの中心でエース番号の10番が背番号であることにも注目しています。

期せずして、息子の小学生最後の県大会で与えられたチームの背番号も10番。
小学校1年の6月から始めたサッカーで、おかげさまで最後の最後の大会で初めて10番を背負うことになりました。親の欲目で6年生になってさらに上手くなったと思っていましたが、10番を与えられたことで、今まで続けてきた甲斐があり、努力が報われた形となりました。



先月の秋季区大会では春に続き優勝しましたが、この県大会では、宿敵「横浜Fマリノス・プライマリー」と、トーナメントの3回戦で対戦するというくじ運のなさ。
息子の10番を背負う試合を1試合でも多く観戦したいというのが、親としては正直なところだっただけに残念です。


ところで、前回、所郁太郎が我が家のルーツと関係がありそうだということをこのブログで載せました。
こちらも期せずして、我が家の実家の相続登記を確認する機会があり、曽曽祖父の戸籍を見ることになって、やはり同じ所一族だったんだと驚いています。



我が家のルーツもこの戸籍から分かるように、岐阜県大野郡(現在は揖斐郡)ですが、所郁太郎のルーツも同じ岐阜県大野郡(揖斐郡)。
ちなみに大野郡から所一族も北海道の開拓団を派遣し、できた町が常呂(ところ)郡常呂町(カーリングで有名な町ですが、現在は、北見市に常呂町として統廃合)。
さらに私の曽祖父も北海道開拓団にという話もありましたが、村の人々に引き留められたといいます。
その北海道開拓団という経緯もあり岐阜県大野町と常呂町は姉妹都市となっています。

所郁太郎 は、美濃国赤坂(現在の大垣市赤坂)で生まれ、大野郡(現在の揖斐郡)の医師「所伊織」の養子となって、緒方洪庵の適塾で学んだ。適塾では、福沢諭吉、大村益次郎と一緒に医学を学び、長州では、井上聞多(井上馨)の一命をとりとめ、桂小五郎(木戸孝允)の推挙により髙杉晋作の参謀も務めた。

母に確認をしたところ、そういえば嫁入りしたときも、所郁太郎の話を義理の祖父から聞いたことがあると、私も今回初めて聞くことにもなって、今年も新年会をした湯田温泉がつないでくれた意外なルーツとなったわけです。
祖先の功績に恥じないよう、私も仕事ができればと日々業務に取り組んでいます。