先日,弁護側がNHKの番組を証拠として提出し,採用されたことにNHKが反発している件を取り上げました。
弁護側がテレビ番組を証拠として提出し,採用されたことにNHKが反発
これについて,昨日の毎日新聞でも記事なっておりました。
オウム裁判:取材の自由か裁判の公正か 番組の証拠採用、続く是非論争(毎日新聞)
この記事でも,博多駅事件で裁判所がフィルムの提出を命じた件が取り上げられていますが,どうも,フィルム自体の提出を求めたケースと,いったん放映された番組を証拠として提出したケースの違いが大きいことに十分言及されていない気がするんですよね。
取材の自由に対する弊害が大きそうなところの延長におくことによって,今回のようなケースも問題であると印象を与えたい意図かもしれませんが,「『取材・報道の自由への侵害は目に見えにくいが、長期的に社会から何かが失われていく』と懸念する」という引用された指摘からも,もやっとしています。
私も,フィルムの提出などには慎重であるべきだと思います。
ただ,いったん放映された番組を裁判で使った場合に,取材の自由に対する大きな弊害があるんだろうかという疑問があります。
記事の中には,「問題の根底には、取材を受けた側は通常、話した内容が裁判の証拠になることを想定していない、という現実がある」とありますが,具体的に想定はしていなくても,あらゆる人が知りうる公の電波にのせることを承諾する時点で,裁判での使用云々を超える腹のくくり方はしてるんじゃないかと。
いまや,多くの人が録画機器をもっていて,全番組録画の機器も普及し始め,デジタル化により,半永久的に残るという時代ですし,インターネットで,それこそ日本だけでなく全世界に発信されるような時代ですし。
もちろん,取材の自由,報道の自由は,国民の知る権利を支え,民主主義にとって不可欠なものです。
だから,本当に守らなければならない。
だけれども,そのためには,やはり説得な議論,主張をしていかなければならない。
フィルムの提出などの極度に慎重であるべきケースを,今回のようなケースと同列に扱うことは,かえって,慎重であるべきケースが軽んじられてしまうことになるのではと。
今回のようなケースも問題であるとするのであれば,安易に博多駅事件の延長に置くのではなく,今回のようなケースでも弊害がありうることを具体的に論証していくことが必要ではないかと思います。
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