舞台裏⑨ WBA世界ミドル級タイトルマッチ
第2ラウンド~親子鷹~3.30モナコ
傍でカメラを回し続けたTUG_manのブログより
石田順裕は自身のディフェンス力に絶対の自信を持っている。
あまつさえダウンを奪われようがノックアウトされることはない。絶対にない。何度だって立ち上がる。そう思っている。
事実これまで、試合、スパー含めどんな世界的強豪相手にも真に効かされた事はただの一度もなかった。
ぶっ倒したカークランドを初めパニッシャー、ピログ、カネロ、クイリン。クルーザー級と拳を交えた事だってある。それでもオレは倒れない。
守りに徹して戦えば絶対に倒される事はない。例えそれがヘビー級の選手相手だろうがその考えは変わらない。
“イシダは鉄のアゴを持っている”海外メディアからもこう評され、防御力の高さを認められている。“パンチをかわす神が宿っている”トレーナーにそう言われた事もあった。
しかし今回はその鉄壁の防御シールドをあえて外す。危険領域で戦う。そのレッドゾーンで3分間、ゴロフキンとやり合った。これがミドル最強の拳か。なるほど凄まじい衝撃だ。
しかし知っている。これならばオレの知っているパンチだ。攻めるぞ。
“カン!カン!セコンドアウッ、ラウンドツー!”
第2ラウンド開始、左で牽制し探り合う両者。第1ラウンド石田の攻勢を受けてか、ゴロフキンが圧力を増して来た。
ゴロフキンの左。もはやジャブではない。それ一撃が必殺のストレートだ。石田順裕は打ち終わりを狙うがゴロフキンのパンチを引くスピードが早くヒットさせるタイミングが合わない。
30秒経過。ピンと張る空気。お互いのプレスが見えない壁となってガンガンと衝突している。押せば引き、引けば押す。距離を奪い合う。
ゴロフキンステップイン、左を出すタイミングで右を大きく振る。右フック強振。いやもっと外から来る。スイングだ。それがクンと出鼻で角度を変えロングストレートに急変した。
見えるか。見えない。反射しろ。
“スバンッ!!”
よけた。石田順裕半歩下がりスウェー、鼻先で見切ると左フックカウンターを放つ。ゴロフキンダック。そこから左フックが飛んで来た。
“ドカッッ!!”
クリンヒットこそ免れたがラリアット気味に被弾した。
いよいよゴロフキンが出て来たぞ。強引だな。いいだろう。チャンスだ。決して引かない。ファイトしてやる。
超接近戦。石田順裕右アッパーからワンツーのコンビ。ゴロフキンのガードを強く叩く。ゴロフキンもワンツーを返す。石田かわして左フック。そのまま抱え込むと右アッパーを見せる。
右。倒れろ。押し込んでまた右。倒れろ。
互いのおでこをくっつけ合っての打撃戦。石田順裕の左フックがアゴを守るゴロフキンのガードを抜けてこめかみにヒットした。
起こせ。アッパーだ。ゴロフキンこれに右フックを合わせる。石田順裕かぶせるように左フックカウンターを見舞う。
青白い炎。赤い血。白いキャンバス。燃える闘志。
決戦の地モナコ。
ここからはほど遠く。そして思い起せばまた遠い。
石田順裕はグローブを取った。まさかプロになるなんて、世界の舞台に立つなんて、その頃は夢にも思わなかった。
「ボク、今日幼稚園行かへん。行きたくない。いやや」
少年はそう駄々をこねた。石田順裕6歳、年長さんになる頃だったと思う。
なぜ幼稚園へ行きたくなかったのか全く覚えていない。その日たまたま体調が悪かっただけかも知れない。ひょんと何の理由もなしに口をついた言葉だった。
「ホンマ何だったんでしょうね。ただ覚えてるのは、ほんだらってんで親父にジム連れてかれたんですわ。それだけは強烈に覚えてますね」
ノブヒロ少年はボクシングを始めた。
石田順裕右アッパー空を突く。ゴロフキンボディーから顔面へコンビネーション。右フックをカバーした振動で石田順裕の身体が大きく揺れた。
何が起こっているんだ。しのぐ石田順裕。嵐のようなゴロフキンの連打。ひるむな。行け。石田順裕飛び込んで左フック。
1分30秒を回った。
“オーウ!ゴロフキン、グッドアッパーカット!ビッグレフトヒッツ!”
平衡感覚を失う。もみあう。レフリーが割って入る。分けられる。打たれる。そしてまた打ち返す。
“ライトハンズ!チャンピオン、ゴロフキン!”
残り1分9秒。石田順裕はワンで止められ、ツーで痛烈な右ストレートを食らった。目のくらむような攻撃。ゴロフキンが迫って来る。
“ノブヒロはいじめられている。だから幼稚園に行かぬなどと言い出すんだ”
父はそう勘違いしてしまったのだ。日本拳法の有段者でもあった父は、とても厳格な性格の持ち主だった。
“男子たるものかくあるべし”
なよなよするな。よし、強くしてやる。親父はそう考えたらしい。父は息子の帰りを待ってはジム通いを始めた。自宅にもサンドバッグが吊るされ、自作のトレーニングルームを作った。
そのため喫茶店を営んでいた石田家は、その日以来、店を母一人で切り盛りすることになった。
「僕は比較的おとなしい子どもだったので、一人息子というのもあって、親父からしたら歯がゆかったんだと思います。親父はこだわりの塊みたいな人でしたから」
トレーニングの日々、父と拳で会話した。キツいシゴキだった。それは小学校に上がっても、中学生になっても毎日続いた。幼稚園でどうのなんて単なるきっかけの一つだったのかも知れない。
父は息子を強く育てたかった。
リングに吸い寄せられて行く。少しずつ上達して行く自分に気付く。いつしかノブヒロ少年は“ボクシングって面白いな”そう思うようになった。
寝屋川の親子鷹。今やISHIDAの名は世界へ轟く。父は息子の活躍をとても喜んでいる。自慢の息子。立派な男になったもんだ。
いいのを食ってしまった。拳の感触が骨の髄までズシリと響く。よっしゃ。石田は両拳を広げ、闘志をムキ出しにした。
石田順裕は“来いよ”と言った。
ゴロフキンは“オーケイ”とうなづいた。
“オーウ!ビッグライトハンズ!ISHIDAサバイブズ!”
実況が打たれてもなお前に出る石田の脅威のタフネスに声を上げた。
打たれずに勝てるならそうしている。ゴロフキンは強い。倒そうと思えば全てかわしきるとは行かない。しかしそれは相手とて同じ事だ。
リング中央には“LE CASINO MONTECARLO”モナコ主催ホテルのロゴがある。石田順裕はそこに立ってる。ゴロフキンもそこに立ってる。
2人そこでファイトしている。ボクシング世界戦。
父は滅多な事では試合会場に足を運ばない。今まで過去2回だけ、デビュー戦と日本タイトルを獲った試合を観に来た事があった。
なんでも息子が殴り合っている姿を見ていられないそうだ。石田順裕はそれを思うとおかしくて笑いそうになる。
ああ、そうだ。親父はそう言えば昔、こんな事も言っていたな。
“いいかノブヒロ。ケンカに負けるのは構わない。そら誰だって負ける事だってあるんだ”
わかってる。
世界の壁ってやつを嫌というほど味わったんだ。強いヤツはゴマンといるよな。もう2連敗中だ。負ける姿を世界中に配信されたよ。
“だけどいいか。絶対にやりかえせ。最後に勝って帰って来い”
そのあと決まってこう言うんだ。それが父の教えだった。
ああ、わかっている。
これだけ打たれたんだ。やられたらやりかえす。もうじき世界が驚く事になる。日本にベルトを持って帰るよ。最後に勝つのは、このオレだ。
“カーン!”
第2ラウンド終了のゴングが鳴らされた。麻衣夫人が息をグッとこらえ、目を凝らし、夫の戦う姿を見守っている。勝ってほしい。願う。信じている。
一分間のインターバル。息を整え、セコンドの指示を聞く。生き残った。無事では済まない。ここからだ。面白くなる。
第1ラウンド、左フックカウンターで効かす場面も作った。チャンスだった。あと少し、もう一歩踏み込めればゴロフキンを倒す事ができる。
第2ラウンド。ヤツも出て来たか。耐え抜いてみせた。ストレートで突き放し、接近されたらアッパーだ。フックにはフックを叩き込んだ。
いざ勝負だ。ゴロフキンを仕留めろ。
“もっと、もっとだ。もっと前に出ろ!”
第3ラウンド。チームISHIDAの作戦は、“ゴーサイン”だ。
第2ラウンド~親子鷹~3.30モナコ
傍でカメラを回し続けたTUG_manのブログより
石田順裕は自身のディフェンス力に絶対の自信を持っている。
あまつさえダウンを奪われようがノックアウトされることはない。絶対にない。何度だって立ち上がる。そう思っている。
事実これまで、試合、スパー含めどんな世界的強豪相手にも真に効かされた事はただの一度もなかった。
ぶっ倒したカークランドを初めパニッシャー、ピログ、カネロ、クイリン。クルーザー級と拳を交えた事だってある。それでもオレは倒れない。
守りに徹して戦えば絶対に倒される事はない。例えそれがヘビー級の選手相手だろうがその考えは変わらない。
“イシダは鉄のアゴを持っている”海外メディアからもこう評され、防御力の高さを認められている。“パンチをかわす神が宿っている”トレーナーにそう言われた事もあった。
しかし今回はその鉄壁の防御シールドをあえて外す。危険領域で戦う。そのレッドゾーンで3分間、ゴロフキンとやり合った。これがミドル最強の拳か。なるほど凄まじい衝撃だ。
しかし知っている。これならばオレの知っているパンチだ。攻めるぞ。
“カン!カン!セコンドアウッ、ラウンドツー!”
第2ラウンド開始、左で牽制し探り合う両者。第1ラウンド石田の攻勢を受けてか、ゴロフキンが圧力を増して来た。
ゴロフキンの左。もはやジャブではない。それ一撃が必殺のストレートだ。石田順裕は打ち終わりを狙うがゴロフキンのパンチを引くスピードが早くヒットさせるタイミングが合わない。
30秒経過。ピンと張る空気。お互いのプレスが見えない壁となってガンガンと衝突している。押せば引き、引けば押す。距離を奪い合う。
ゴロフキンステップイン、左を出すタイミングで右を大きく振る。右フック強振。いやもっと外から来る。スイングだ。それがクンと出鼻で角度を変えロングストレートに急変した。
見えるか。見えない。反射しろ。
“スバンッ!!”
よけた。石田順裕半歩下がりスウェー、鼻先で見切ると左フックカウンターを放つ。ゴロフキンダック。そこから左フックが飛んで来た。
“ドカッッ!!”
クリンヒットこそ免れたがラリアット気味に被弾した。
いよいよゴロフキンが出て来たぞ。強引だな。いいだろう。チャンスだ。決して引かない。ファイトしてやる。
超接近戦。石田順裕右アッパーからワンツーのコンビ。ゴロフキンのガードを強く叩く。ゴロフキンもワンツーを返す。石田かわして左フック。そのまま抱え込むと右アッパーを見せる。
右。倒れろ。押し込んでまた右。倒れろ。
互いのおでこをくっつけ合っての打撃戦。石田順裕の左フックがアゴを守るゴロフキンのガードを抜けてこめかみにヒットした。
起こせ。アッパーだ。ゴロフキンこれに右フックを合わせる。石田順裕かぶせるように左フックカウンターを見舞う。
青白い炎。赤い血。白いキャンバス。燃える闘志。
決戦の地モナコ。
ここからはほど遠く。そして思い起せばまた遠い。
石田順裕はグローブを取った。まさかプロになるなんて、世界の舞台に立つなんて、その頃は夢にも思わなかった。
「ボク、今日幼稚園行かへん。行きたくない。いやや」
少年はそう駄々をこねた。石田順裕6歳、年長さんになる頃だったと思う。
なぜ幼稚園へ行きたくなかったのか全く覚えていない。その日たまたま体調が悪かっただけかも知れない。ひょんと何の理由もなしに口をついた言葉だった。
「ホンマ何だったんでしょうね。ただ覚えてるのは、ほんだらってんで親父にジム連れてかれたんですわ。それだけは強烈に覚えてますね」
ノブヒロ少年はボクシングを始めた。
石田順裕右アッパー空を突く。ゴロフキンボディーから顔面へコンビネーション。右フックをカバーした振動で石田順裕の身体が大きく揺れた。
何が起こっているんだ。しのぐ石田順裕。嵐のようなゴロフキンの連打。ひるむな。行け。石田順裕飛び込んで左フック。
1分30秒を回った。
“オーウ!ゴロフキン、グッドアッパーカット!ビッグレフトヒッツ!”
平衡感覚を失う。もみあう。レフリーが割って入る。分けられる。打たれる。そしてまた打ち返す。
“ライトハンズ!チャンピオン、ゴロフキン!”
残り1分9秒。石田順裕はワンで止められ、ツーで痛烈な右ストレートを食らった。目のくらむような攻撃。ゴロフキンが迫って来る。
“ノブヒロはいじめられている。だから幼稚園に行かぬなどと言い出すんだ”
父はそう勘違いしてしまったのだ。日本拳法の有段者でもあった父は、とても厳格な性格の持ち主だった。
“男子たるものかくあるべし”
なよなよするな。よし、強くしてやる。親父はそう考えたらしい。父は息子の帰りを待ってはジム通いを始めた。自宅にもサンドバッグが吊るされ、自作のトレーニングルームを作った。
そのため喫茶店を営んでいた石田家は、その日以来、店を母一人で切り盛りすることになった。
「僕は比較的おとなしい子どもだったので、一人息子というのもあって、親父からしたら歯がゆかったんだと思います。親父はこだわりの塊みたいな人でしたから」
トレーニングの日々、父と拳で会話した。キツいシゴキだった。それは小学校に上がっても、中学生になっても毎日続いた。幼稚園でどうのなんて単なるきっかけの一つだったのかも知れない。
父は息子を強く育てたかった。
リングに吸い寄せられて行く。少しずつ上達して行く自分に気付く。いつしかノブヒロ少年は“ボクシングって面白いな”そう思うようになった。
寝屋川の親子鷹。今やISHIDAの名は世界へ轟く。父は息子の活躍をとても喜んでいる。自慢の息子。立派な男になったもんだ。
いいのを食ってしまった。拳の感触が骨の髄までズシリと響く。よっしゃ。石田は両拳を広げ、闘志をムキ出しにした。
石田順裕は“来いよ”と言った。
ゴロフキンは“オーケイ”とうなづいた。
“オーウ!ビッグライトハンズ!ISHIDAサバイブズ!”
実況が打たれてもなお前に出る石田の脅威のタフネスに声を上げた。
打たれずに勝てるならそうしている。ゴロフキンは強い。倒そうと思えば全てかわしきるとは行かない。しかしそれは相手とて同じ事だ。
リング中央には“LE CASINO MONTECARLO”モナコ主催ホテルのロゴがある。石田順裕はそこに立ってる。ゴロフキンもそこに立ってる。
2人そこでファイトしている。ボクシング世界戦。
父は滅多な事では試合会場に足を運ばない。今まで過去2回だけ、デビュー戦と日本タイトルを獲った試合を観に来た事があった。
なんでも息子が殴り合っている姿を見ていられないそうだ。石田順裕はそれを思うとおかしくて笑いそうになる。
ああ、そうだ。親父はそう言えば昔、こんな事も言っていたな。
“いいかノブヒロ。ケンカに負けるのは構わない。そら誰だって負ける事だってあるんだ”
わかってる。
世界の壁ってやつを嫌というほど味わったんだ。強いヤツはゴマンといるよな。もう2連敗中だ。負ける姿を世界中に配信されたよ。
“だけどいいか。絶対にやりかえせ。最後に勝って帰って来い”
そのあと決まってこう言うんだ。それが父の教えだった。
ああ、わかっている。
これだけ打たれたんだ。やられたらやりかえす。もうじき世界が驚く事になる。日本にベルトを持って帰るよ。最後に勝つのは、このオレだ。
“カーン!”
第2ラウンド終了のゴングが鳴らされた。麻衣夫人が息をグッとこらえ、目を凝らし、夫の戦う姿を見守っている。勝ってほしい。願う。信じている。
一分間のインターバル。息を整え、セコンドの指示を聞く。生き残った。無事では済まない。ここからだ。面白くなる。
第1ラウンド、左フックカウンターで効かす場面も作った。チャンスだった。あと少し、もう一歩踏み込めればゴロフキンを倒す事ができる。
第2ラウンド。ヤツも出て来たか。耐え抜いてみせた。ストレートで突き放し、接近されたらアッパーだ。フックにはフックを叩き込んだ。
いざ勝負だ。ゴロフキンを仕留めろ。
“もっと、もっとだ。もっと前に出ろ!”
第3ラウンド。チームISHIDAの作戦は、“ゴーサイン”だ。