【読書】葉隠入門/三島由紀夫 | THE ONE NIGHT STAND~NEVER END TOUR~

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「40歳からの〇〇学 ~いつまでアラフォーと言えるのか?な日々~」から改題。
書評ブログを装いながら、日々のよしなごとを、一話完結で積み重ねていくことを目指しています。

葉隠入門/三島由紀夫



昨年、新渡戸稲造さんの『武士道』を読んで(このシリーズで⇒武士道/新渡戸稲造 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ2)で読みました)から、いつか『葉隠』も読んでみたいと思っていました。そうはいっても原文で読むことも出来ず(20数年前、古文は得意科目だったはずなのですが(苦笑))何か適当な入門書はないかと思っているときにこの本を偶然見つけました。 昔、それなりに三島フリークだったので「久しぶりに三島を読むのもいいかもしれない。」と思い、手に取ったのでした。

この本、前半が三島による『葉隠』の解説、後半が笠原伸夫さんによる『「葉隠」名言妙』になっています。

<目次>
プロローグ 「葉隠」とわたし
一、現代に生きる「葉隠」
二、「葉隠」四十八の精髄
三、「葉隠」の読み方
付、「葉隠」名言妙(笠原伸夫訳)


『葉隠』と言えば、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一節が有名です。この言葉だけが独り歩きして「死を推奨する本」だと思われているのではないかと思います。そしてそれを、自衛隊に決起を促し自決した三島が解説してるというと「ファナティック(狂信的)」な内容を想像してしまうかもしれませんが、決してそんなことはありません。『葉隠』はそんな内容ではないですし、三島も本来はそんな人ではないと思います。三島がファナティックでない、という話をすると本題から脱線してしまうのでこれ以上は触れませんが、『葉隠』がそういう内容ではないということは、後半の名言妙を読めばわかるはずです。

ちなみに、この名言妙がとてもわかりやすい現代日本語になっています。初版が昭和43年(1968年)だということを考えると、信じられないくらいです。三島の解説を読む前に、こちらから読んだほうが先入観を払拭して三島の解説を読めるかもしれません。

三島は『葉隠』を哲学書だと評しています。僕が名言妙を読んだ限りの印象は、人生論であり、道徳論であり、そしてまた処世術の本でもある、ということでした。

三島は『葉隠』についてこう解説しています。

しかし、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というその一句自体が、この本全体を象徴する逆説なのである。(p10)

具体的にはこういうことです。

根本的には「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という「葉隠」のもっとも有名なことばは、そのすぐ裏に、次のような一句を裏打ちとしているのである。
「人間一生誠に纔(わずか)のことなり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事をばかりをして苦を見て暮らすは愚かなることなり。この事、悪しく聞いては害になる事故(ことゆえ)、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。」と言っている。
(p38)


「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」と「人間一生誠に纔のことなり。好いた事をして暮らすべきなり。」との間にある矛盾。この矛盾が『葉隠』の最大の特徴だと思われます。

これをどう解釈すればいいのか。名言妙しか読んでいない僕に正確な解釈ができるわけがありません。そして、『葉隠』全体を読んだからと言って、それができるとも限りません。

それでもあえて今の自分に引きつけた解釈してみれば、それは「死ぬ気で毎日ことにあたり続ければ、結果的により良い人生を送れる」ということではないかと思っています。とにかく、この矛盾する二文の間でバランスを取っていくことが大切だ説いているのではないか、と思うのです。

後段を読み進めれば、気遣い・寛容であること・酒席の心得・会議の方法・外見力の大切さ・人の使い方・子供の育て方、といってことに触れています。江戸時代の武士が、藩の役人として働き、成果を出すための処世術がふんだんに書かれています。「生きて奉公する」ことが前提の書です。何がなんでも死ぬことが大事だ、名誉だ、ということが書かれているわけではありません。

もちろん『葉隠』は江戸時代に武士のために書かれた書です。現代の我々ではそこに秘められた奥深い根底の思想には到達できはしないだろう、とは思っています。しかし、そうした前提を一度はずして読めば、現代に通じる人生値は人間関係に関する知恵を学べると思いました。そういう読み方をしてみるのも悪くはないのでは、と感じています。

最後に、僕がこの本の中で「日々このことを心がけなくては」とあらためて心に誓った部分を引用して終わりにします。
「就中(なかんずく)、武道は今日のことも知らずと思うて、日々夜々に箇条をを立てて吟味すべきことなり。(なかでも武士道では、どんなときに覚悟の程をためされることような事態が起こるかかもしれないと考え、日夜ことの筋道を整理して調べる必要がある)」
という一句について三島が解説した部分です。

長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期は必ずしも選ぶことができない。それは向こうからふりかかり、おそってくるのである。そして生きるということは向こうから、あるいは運命から、自分が選ばれてある瞬間のための準備をすることではあるまいか。(p49)