数え年 (厄年) | 獨と玖人の舌先三寸

数え年 (厄年)

(・∀・∩)はい、クエスチョンいただきました~ノシ


生まれた時点、基点となる最初の年を1歳、1年とし、以降元日(1月1日)を迎えるごとにそれぞれ1歳、1年ずつ加えます。
12月31日に出生した場合、出生時に1歳で、翌日(1月1日)に2歳となります。
1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になります。

誕生日前日00時に加齢、加年する数え方が満年齢、満といいます(※法令上)。
満年齢は生まれた時点の年齢を0歳とし、以後誕生日前日24時を経過ごとに加算します(当日00:00:01。※通常の年齢計算)。
現在日本では太陽暦を用いており、和暦と西暦の日付は一致しています。自分の当年の数え年は、
元日から誕生日前日00時までは“満年齢+2”、
それ以降は“満年齢+1”で計算すればいいのです。

日本では明治5年12月2日(1872年12月31日)まで天保暦が用いられていたため、新暦導入以前の和暦とグレゴリオ暦の日付には差異があり、元日が異なります┐(-_-Ξ-_-)┌
そのため、和暦の元日から換算した西暦の年をその和暦の西暦の年として生没年を計算しないと、誤った数え年が計算されてしまうのです┐(-△-≡-△-)┌

元禄元年1月1日 = グレゴリオ暦1688年2月2日。
元禄元年12月10日 = グレゴリオ暦1689年1月1日。
元禄元年は1月1日~12月29日(グレゴリオ暦1689年1月20日)までを西暦1688年として考えなければならないのです。 当時の文献など整合が失われてしまう……!┐(`△´≡`△´)┌

※天保暦。弘化元年1月1日(1844年2月18日)~明治5年12月2日(1872年12月31日)の間に用いられた和暦。

※Wikiだと人物の生没年月日を、西暦はグレゴリオ暦の実施日(1582年10月15日)以降をグレゴリオ暦で、それ以前はユリウス暦で記載しているようです┐(゜∀゜≡゜∀゜)┌

・導入理由――
※胎児が母親の胎内にいる期間(十月十日)も年齢に加算する。(?)
※太陰太陽暦は太陽暦(グレゴリオ暦)に対して約3年に1回(約19年に7回)の割合で閏月を挿入したため、1年の長さが年によって異なる。よって満年齢を用いるには問題が生じる。
閏月に生まれた者は閏月のない年に(正確な)誕生日がないので、満年齢が正確に計算できない。
etc...










厄年なんてくだらない妄信に踊らされる日本人。
起源不明。陰陽道と言われてるけど。平安時代にはもうあったとか。
科学的根拠がないのに、医科学で説明しちゃったよ、日本人wwww
某が勉強していた頃に受け取ったのは、「金儲け目的か」だった。子細は書けないがね。ハイ、カンケーシャのカタガタごめんなさい┌(_ _)┐
ま、気に病むだけバカを見るよ┐(゜∀゜≡゜∀゜)┌
男性――
前厄24・41・60

本厄25・42・61

後厄26・43・62
女性――
前厄18・32・36

本厄19・33・37

後厄20・34・38

某がよく参考にする陰陽五行説。その陰陽五行では“13”を不吉、厄としてる。八卦でね。でも諸々の宗教観念を学んだ上で、「虚空蔵菩薩(丑・寅)/乙丑(天神4)」で、吉祥と紹介した。
その概念を語る気はないからw 信じるか信じないかは(ry