ママブロネタ「育児環境」からの投稿

スピリチュアル心理カウンセラー thank you伝道師ナース凛です。
子供っていくつになっても、
やっぱり子供・・・なんですよね。
私の親はうるさい!
私、いくつになったと思ってるのよ~(怒)!!!
親になってみて分かる。。。
子供がどんどん大きくなって、
自分の世界を拡げていくと分かります。
いくつになっても心配なんですよね。
この『心配』が問題です。
私の場合ですが、
それこそ子供が小さい時の心配は、
子供が痛い思いをしないように・・・とか、
危ない目に遭わないように・・・とか、
楽しく学校生活を送れるように・・・とか、
そりゃぁもう!
あらゆることが心配の種でした。
学校へ行くのを見送ったあとも、
交通事故に遭わないかしら・・・ん~心配!!!
だから一言も自然に多くなってしまうのです。
勉強にしてもそうなんですよね。
『勉強しなさ~い』
子供にとっては大きな迷惑です。
勉強する意味も、
そこまで親が心配する理由も、
分からないのですから。
自分は大丈夫って、
思うものです。。。
子供が小学校高学年くらいから、
私もさすがに考え始めました。
遅かったですね・・・気づくのが。
私のこの心配は、
自分が安心したいから・・・からきていました。
言われたとおりにしてくれたら安心。
親目線でいい加減なことをしていたら不安。
なんとも単純で、
自己中心的だったんだろう・・・と反省です。
子供はいろんな体験を通して、
学び、成長していくものです。
さぼっていて、
予想外の結果になってガツンとショックを受けようが、
友達とケンカをしてこようが、
はたまた友達に嫌われることになろうが、
それは子供の成長には必要だから、
起こっている現実だということです。
・・・が、
私は子供が悲しむ顔を見たくない。
ガッカリする姿を見たくない。
そんな子供の姿を見て、
何もできないことが辛いと思っていました。
それは今も変わりはしないのです。
でもね。
どんなに口うるさく言ったところで、
それをするかしないか、
そもそも言われたことを取り入れるかどうか、
言われていることをどうとらえるかは、
本人のみぞ知る世界なのです。
大人の世界でも、
人間関係が上手くいかないことが増えたのは、
相手も同じ人間で、
自分も相手も、
それぞれに違う意見を持っていることを、
理解しようとしないことが発端になっています。
権力や自己中心的なものの見方で、
相手を思い込みで判断してしまう落とし穴に、
スッポリ落ち込んでしまっているのが、
今の社会。。。
もし、
どうしてそれが必要なのかを理解できたなら、
めんどくさいことでも、
きっと多くの人がやろう!と思えるでしょう。
子供もそうなんですよね。
必要性を子供が理解できるように伝えることと、
親である私が、
どう考えているかを、
これまた子供に伝わるように言葉にしていくことが、
子供を動かす秘訣なんだなぁ。。。
どんなに口で言っても、
忘れたとかなんとかでしたが、
自分がこれじゃマズイ!と感じたら、
デキル子なんですよね。
子供を信じる・・・我が子とは言え、
自分とは別人格である存在で、
かけがえのない存在であればあるほど、
心配という言葉で、
口出ししたくなってしまうものですよね。
失敗も恥を掻くことも、
子供の人生には必要なことだから起きている!
このように思い続けることは、
ちょっと歯痒いところもあります・・・ホントはね。
でも、
親が子供を信じてあげなければ、
子供はやる気を失います。
「どうせ・・・私(僕)なんて」という感情を、
知らぬ間に植え付けてしまうことになってしまうのです。
子供が高校受験のとき、
志望校はかなり絶望的でした。
本人もこれでは受からないと察知して、
猛勉強を始めました。
私もうるさいことを言わず、
「頑張ってるね!」
「もぅ合格しかないんだから、それだけ考えよう!!!」
志望校の前を通ったときには、
「来年の春には制服来て、ここの入学式に出てるんだね」
・・・あたかも決定事項のように、
話しました。
この子は絶対に目標を達成するんだ。
私が疑ってしまったら、
その現実を引き寄せてしまうだけなんだ。
この子はやるときはやる子だから、
絶対に大丈夫!!!
時々襲ってくる不安や心配を、
押しのけて・・・ひたすら信じることを貫いた結果!!!
見事に志望校合格を果たすことができました♫
親子で嬉しくて泣いて喜び合いました。
信じてくれると、
それだけで大きなパワーになるものなんですよね。
心配ばかりされてしまうと、
親は悪気はまったくないのですが、
なんだか自分が不甲斐なくて、
「どうせ・・・信じてもらえないんだ(悲)」
「どうせ何やっても認めてくれないんだ(哀)」
・・・知らず知らずのうちに、
劣等感というものを、
子供の心に、
植え付けてしまうものなのです。
これでは子供は新しい芽を、
ことごとく摘まれているようなものに、
なってしまいます。
気づいたときから変えることができます。
そして、
変わるのは親のほうです。
勉強だけではなく、
思いやりを育てることも、
親の家庭での責任です。
お手伝いをするなどの役割を持たせて、
それを自分なりに頑張ったときや、
人の役に立てたときは、
家族と言えども、
惜しみない感謝の言葉のシャワーを、
贈りましょう。
親が悪かったな・・・と思ったときには、
親の威厳ではなく、
子供の威厳を守ってあげましょう。
大人からきちんと間違ったことを認めて、
謝ることを見せることです。
こうしていくうちに、
我が子も自然にそれを見て育っていきます。
心配してあれこれ口出ししているときは、
心配がどんどん大きくなってたような気がしますが、
今では、
とても優しいコに育ってくれました。
バイト先でも、
失敗もあるけれど、
結構褒められることがあるみたいなんですよね♫
そんな話を聞いていると、
自分の子育ても、
途中で方向転換してよかったと思いました。
失敗することも、
叱られることも当たり前・・・。
その時、その瞬間、
その子の成長に必要なことなのです。
失敗してもいいよ。
一番になれなくてもいいよ。
ただ一生懸命やったと自分に言える人になれ!
どんな評価を受けたとしても、
自分自身がそれでも力を出し切ったと思えることを選べ!!!
・・・そう子供に伝えています。
後は子供の人生。。。
子供が進む道は、
親の敷いたレールの上では決してないんですよね。
期待はしますけど、
子供の芽を摘むようなことはしないように、
したいものです。。。ハイ。。。