私がまだ中学生だった頃の話だ。

私は旭川のカムイスキーリンクスというスキー場でとあるレースを観戦していた。

自分が出場しないレースを見るというのは私の人生の中でもあまりないのだがこの日は違った。

1人の 「化け物」 と呼ばれる男を見たくて私はスタートに向かったのだ。

スタートは既に多くの人だかりでその男の顔はよく見えなかったが黒く大きな物体が物凄いスピードで滑り降りてゆくのが見えた。

私がただ一方的に見ただけなのでこう言うのは相応しくないと思うが、これが私と彼の初の出会いだった。

この黒く大きな物体の名は 「佐々木明」 

現在まで日本のアルペンスキーの歴史の中で最も輝かしい功績を遺した男だ。

それから数年が経った高校1年生の頃、私ついに彼と同じフィールドに立った。
彼との初の対決はインターハイだった。


結果は私が2位で彼が1位だった。

中学生のあの頃、私は彼の後姿しか見えなかったのが高校1年生で彼と肩を並べて表彰台に立てた事をその頃の私は少し満足していたんだと思う。

そして「化け物」 と言われた男に私の名を知らしめた事と彼を射程距離に捉えた事に対して満足していたんだと思う。

しかしそのまた数年後、そこで得た自信は彼のとんでもない活躍により跡形もなく吹き飛ばされる事になるのだった。

時は2003年、、私が大学1年生の頃だった。
私はヘルニアになってしまい戦線を離脱せざるおえない状況となった。

日本に帰国しリハビリを余儀なくされ、いつ直るか分からない恐怖や耐え難い激痛と戦っていた時、佐々木明はウェンゲンという難コースで自信初の表彰台に立っていた。

それをテレビで見た時はヘルニアの激痛よりもはるかに大きな衝撃が私の体中を駆け巡った。

この日から私の壮絶な旅が始まった。

佐々木明という人物の背中を追う壮絶な旅が。





元々あまり仲がいい方ではなかったと思う。

私はそもそも生意気だし、明さんの事を食い入るように見ていたその眼差しはきっと殺気に良く似た何かを発していたのだろう。
それを感じ取ったのかは定かではないが、彼も私という生意気な後輩とは決して馴れ合おうとはしなかった。

そして2人の仲を近付けない決定的な要素があった。

「スタイル」 が真逆なのだ。

彼はその大きな体にピッタリな性格で、何もかもが大きかった。

よく笑うしよく怒る。

人を騙す様な事とは無縁で、その真っ直ぐな性格とライン取りは多くの人を引き付けるのだった。

一方あの頃の私は彼の目覚ましい活躍を目の当たりにし、高校生の頃隣にいた彼がとてつもなく遠くに行ってしまった事に焦り、その焦りが劣等感を作りだし、その劣等感と自分の弱さと戦うのに精一杯だった。


今思えば私も彼のその大きな魅力に引き付けられていたのかもしれない。

どんな時も笑っている彼に引き寄せられていたのかもしれない。


時は流れ2006年。
明さんが人生で3度目の2位表彰台に立った時だ。

私は初のワールドカップ一桁代の記録を残し、その年に行われたオリンピックでも7位に入賞した。

その頃からだろう。
私の中で激しく渦巻いていた劣等感というドス黒い雲が少しずつ晴れてきて、佐々木明という存在と真っ直ぐ向き合えるようになったっていったのだ。


その様子に応えるかのように明さんとの人間としての距離がどんどん近づき始めていったのを覚えている。

その後2010年 私がオリンピックで代表漏れした時も一番最初に声をかけてくれたのは彼だったし、今年のオリンピック直前で私が負傷した時も真っ先に日本から骨折に効くサプリメントを調達してくれた。

お互い意識はしていないものの昔とは比べ物にならないほど密な間柄となっていたのだ。

それもそのはず、、
私たちは15年近くも共にヨーロッパを旅し、アルペンスキーという競技に向き合い続けてきた戦友なのだから他にはない感情を抱き、共に戦ってきた2人しか分からない「何か」 があるのだと思う。



2014年3月9日

佐々木明 がワールドカップを去った。


いつかこの日が来るとは思っていたのだが、いざその日を迎えると私は彼がいなくなるという現実が全くもって受け入れられなかった。

長年追い求めてきた大きな背中が私の前から消えたのだ。

いなくなって分かった事がある。

私は相当明さんの背中を頼りにしてきたという事だ。

一国の代表としては情けなく聞こえるかもしれない。

でも事実だ。

いつも明さんを見ていた。

いつも彼の滑りをひとつの指標に練習していた。


そして今日 3月11日

彼が去って初めての練習をヒンターライトでした。

分かっていたが、独りだった。

あのデカい背中はもうない。

あの笑い声も聞こえない。


明さんのいないピステはいつもより広くて冷たく感じた。


本当にさみしいよ。


でももうそんなことを言っている場合ではないのは分かっている。

私は独りでも戦わなければならない。

私が後輩にその背中を見せて滑らなければならない立場になったのだ。



明さんが最後のレース、、私は明さんより成績が悪かった。

なんだか明さんに顔面を殴られた気分だった。

「それで俺を超えられるの? そんなのでアルペンスキー引っ張っていけるの?」

って言われた気がした。


明さんが最後の最後になっても、私はまだ明さんから学んでいた。
自分は明さんに教えた事なんて一つもないのに。

最後の最後まで頼ってしまった。

こんな情けない後輩が彼に認めてもらえる道は一つしかない。

世界一になることだ。


彼の達成できたなかったことを私が必ず成し遂げる。

 
明さんのように 真のスーパースターになるんだ。






私は彼と一緒に滑れた事を誇りに思います。



心から お疲れ様でした。



心から




ありがとう。






らぇjbらw
たおいれあ


また会える日を楽しみにしています。

ゴル友としても、これからも末永く宜しくお願いします。




湯淺直樹