
スピ系心理カウンセラー thank you伝道師 ナース凛

うちは・・・自称~明るい

娘と


娘が3歳のときからこの暮らしです。
その時の私はまだ20代

仕事もしていて、
やり甲斐

力仕事だって、
そのへんの男の人には負けない自負が、
ありました

庭を新たに掘ったり、
庭師さんのようなことも、
思い立ったが吉日

スコップで地面を掘って、
ブロックを積み上げて。。。


その私が体力というものを、
感じさせられ始めたのは

30代をちょっと過ぎてからの、
最初の不整脈発作

それから、
突然腰に痛みを強く感じ

椎間板症と診断されましたが、
階段も満足に一人で上れない


・・・それまでの私は、
ホント

なんでも気力でできるんだ

と思っている不届きものでゴザイマシタ。
感謝の「か」の字も感じていなかった頃です

年齢を重ねるに連れ、
いろんなことへの限界点が見え始めて、
一番ニガテな「人に頼る」ことも、
必要になってきたことに愕然

仕事も・・・子育て事情がありまして、
残業の多い職場や、
いろんな問題のある職場を通過して、
現在に至るわけなんですね。
仕事のことに関しても、
正直、話を今聞いてもらいたい・・・ということが、
多々出てくるようになってきました。
いろんなことを経験してきた上で、
今の自分の考えはどうだろうか

他の人の意見を聞きたいことも、
増えてきました。
仕事は極力、
自宅には持ち越したくなかったのですが、
どうにも、
そうはいかない状況が、
どんどん増えてきました。
看護師の仕事だけではなく、
管理的な要素を持つ役割がやって来て、
人に任せることがニガテ故、
現場では現場での仕事をし、
その他の自分の仕事は持ち帰る日々。
書類等の作成然り、
人間関係然り、
仕事の内容然り。。。
10代の子供に、
親が悩んだり、
凹んだりする姿を見せたくないのですが、
どうにも・・・ならなくなってしまいました。
今の職場でも、
実は悩んでいました・・・

子供たちの心を開いてもらうためには、
どうしたらいいのか・・・

話を聞いてくれるコたちも、
たくさんいるのですが、
授業中に携帯でゲームをし、
無断で教室を抜け出し、
教科書、ノートは持参しないコが、
中には一つの小さな集団となっているのです。
私は就職したばかりでしたが、
授業の見学をしていた時から、
「それはしまおう!
やりたいのは分かるけど今はその時間

・・・と声をかけていきました。
何度言っても、
その場を離れれば、
元の木阿弥です

他の教員も半ば呆れていて、
注意はするけれど、
後は放任という名の放置状態

「授業にならない」
・・・と言われていても、
ではどうしたらいいだろうか?
そのコたちの気持ちに寄り添いながら、
対策を練っているようには、
私の

(

そのうちに、
授業を放棄している小集団は、
私を疎ましく感じ始めたことでしょう。
ひとりひとりと対面しているときは、
話をしますが、
集団になると無視されることが増えてきました。
正直・・・心がブレました。
慣れない環境で、
自分を信じて、
相手を思ってしているはずのことが、
裏目にしか出てないように思えて。。。
いっそ、見て見ぬフリをしたほうが、
いいんじゃないか・・・とまで、
思える程です。
この子たちが、
こういう態度を取らなくちゃならない原因が、
私のなかに、
他の教員たちのなかにも、
学校の中にも、
このコたちひとりひとりの中にあるのだと。
それは悪いことなんかじゃない

その心のモヤモヤの端っこに、
触れることができないでいる、
私を含めた大人たちの課題なんですよね。
ひとりひとりが、
かけがえのない存在です

みんな迷い、悩み・・・どうしたらいいか、
わからないだけ。。。
厳しさも「優しさ」のひとつだから、
ダメなものはダメと一貫していこう。
どんどん話しかけていこう。
最初はそんな気持ちだったのですが、
どんどん気持ちは萎える一方で・・・。
嫌われたくない


人の目を気にしだしてる私が、
ひょっこり出てきてるんですよね。
誰のために・・・?
誰でもない、
自分を守るために「逃げ」の姿勢が強くなっていたのです。
それらのことを、
同年代の子供としてどう感じ、
もし自分だったら、
心を開くためにはどうして欲しいと感じるか?
今朝、娘に問いかけてみたんです。
娘の反応としては、
まず、
授業中の態度や、
教師に対する態度が信じられないということ。
一度注意されたら、
気をつけると思うこと。
今の

そんな態度には出さない。
自分だったら、
たとえ無視されても、
それで終わりじゃなくて、
何度も何度も話しかけてもらうことかなぁ。。。
まさにあなたはマザー・テレサだゎ

自分でもそぅ思ってきたけれど、
自分以外の人から聞かされると、
また重みが違いますね

『愛情の反対は放置すること』
私は自己保身のために、
放置・・・、
もしかしたら責任転嫁もしようと、
どこかで思い始めていたのかも知れません。
自分からしつこく(←それもどうよ

無視してくる相手にアタックしたか・・・?
そうなんです。。。
行動が伴ってなくて、
その自分自身の矛盾に、
モヤモヤしてたんですよね。
嫌われたくない。
これ以上、
嫌な思いを自分がしたくない。
完全なる自己保身ですゎ

自分の本能・・・心の奥底で求める行動と、
実際の行動の選択との分裂が、
このモヤモヤを形成していたのです

娘に聞いてみてよかったです

このコたちに嫌われてもいいんや。
むしろ嫌われていいんだゎ。
それが私の愛情からくるものなら、
ドンとしていればいい。
嫌われてればいい。
人として失礼なことや、
近い将来自分の首を絞めるような我欲には、
しっかりと向き合って・・・、
何度でもアタックして伝えていこう。
『この教員、なまら(←方言デス=すごく)腹立つわ

そのくらい、
思いっきり嫌われる覚悟で、
ぶつかっていけばいいんだよね

うちには、
私が何を考え、
何を思い、
どうしたいか・・・を聞いてくれる娘という天使がいます

それが何よりも心強くて、
ブレないでいたいと思わせてくれます。
不必要なコなんて一人もいません。
スピードは違っても、
ひとりひとり・・・ちゃんと成長していくもの。
大人が諦めてどうする?
それこそ、
愛情の反対の放置じゃないですか!
心折れそうになるでしょうけどね。
それでも自分にウソをついて生きる人生だけは、
もう選びたくない

気力だけで生きる人生は、
もう選ばない

できないことはできないと言おう。
困ったときは相談していこう。
ぶつかるときは、
思いやりを持ってぶつかっていこう。。。
・・・と思いました。。。



